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62.二人は婚約したい

本日より四章開始です。

「……承知しました。食事会についてもそのように」


 リーゼロッテの父、ヘンドリック・ハイベルクは水晶から手を離すと、疲労を吐き出すようにため息をついた。


 水晶を介しての会話ですら妙な威圧感のあるその相手が、意外な要求をしてきたのはつい昨晩のこと。


 双子の娘に聖女迫害の疑惑がかけられ、手っ取り早く出来の悪い娘を辺境送りにした。


 それ自体は別にいい。


 どちらがやってるにしろやってないにしろ、否定されるのは目に見えている。


 故に理由など聞かなかった。


 大事なのは『双子の片割れを追放した』という事実だけだからだ。


 切り捨てるのも王太子の婚約者より成り上がり息子の婚約者の方が損が少ない。


 どちらを取るかは明白だ。


 そう思っていたのだが──。


「まさかあの堅物変人に気に入られるとはな」


 ヘンドリックは感情のない顔で呟いた。


 侯爵の地位をも遥かに凌ぐと言われる英雄、ユリウス・シュヴァルツシルト辺境伯その人が、あの不出来な娘と婚約したいと申し出てきたのだ。


 聖女がハイベルク家を許したことは、創環の儀が行われた時点で明らかだ。


 しかし未だに公式の発表はされていない。


 それをどこから聞きつけたかは知らないが、辺境伯は「もう許されたのであれば、そのままリーゼロッテを自分の婚約者に」と言ってきたのだ。


 昨夜それを聞いた時は一瞬耳を疑った。


 なんとか「一旦妻と相談する」と水晶を切ったものの、思わず「お前は本当に辺境伯か?」と疑いをぶつけそうになったほどだった。


 とはいえ、それ以上の感想は湧いてこなかった。


 辺境伯と縁続きになることはハイベルク家としては確実に利になることだ。


 今更追放されていた娘を嫁にもらおうという奇特な貴族など、ほとんどいないだろう。


 実際、次の婚約者候補を探すのでさえ難航していた。


 その中で、辺境伯が申し出てくれたのはまさに渡りに船だった。


 伯爵として見ればこの婚約は大変満足できるものだが、父親としての感情は無に近い。


 嫁ぎ先が名家に変わったところで、リーゼロッテを見る目など変わらない。


 そもそも彼女に向ける情など欠片もない。


 もちろんそれはディートリンデやアンゼルムに対しても同じだ。


 彼らはただハイベルク家を巨大にするための駒にしか過ぎない。


 気を取り直したヘンドリックはその日の内に妻のナターリエに話を通し、粛々と先方に了承の旨を伝えた。


 辺境伯もお招きして家族皆で食事会を開こう、などとナターリエが宣ったが、本心を言えば女子供に付き合わされる家族ごっこなど煩わしい。


 もっと言えば、そこに家族ですらない辺境伯が加わるなど意味がわからない。


 しかしそれが辺境伯家に娘を嫁に出す伯爵として、果たさねばならぬ義務ならば仕方がない、といった薄情さだった。


「……」


 ヘンドリックは重い腰を上げ、窓の外を見やる。


 雲ひとつない夜空に細長くすり減ったような月が浮かぶ。


 心許ない月明かりを、温室の硝子が反射して、月以上に煌々と輝いているように見えた。


(…………そんなことより、私にはせねばならぬことがある)


 眩さに若干目を細めた彼の頭からは、娘の婚約(こと)などとうに消えていた。











 朝食後、市内の視察に向かうユリウスに、リーゼロッテは同行した。


 横並びに座る彼らは、はたから見れば仲睦まじい夫婦に見えるだろう。


「リーゼ」


 馬車の中、呼びかける声は相変わらず中性的な少年のそれだ。


 あの日うっかり唇を重ねてしまったが、今回は聖女の力は発動しなかった。


 彼も吸魔を使ったわけではないので当たり前と言えば当たり前だ。


 しかし所構わず発動しなくなった分、少しは成長できているのではないかと、リーゼロッテはほんの少し自信がついた気がしている。


「どうされましたか? ユリウス様」


「今日から少し慌ただしいからな。今のうちに言っておきたい」


 そう言うと、彼は目尻を微かに下げた。


「……ハイベルク伯爵が婚約を認めた」


「本当ですか……! 良かった」


「ああ、それでひとつ。数日後、王都の屋敷で両家の食事会を開くらしい」


 食事会、の一言に、リーゼロッテの動きがぴたりと止まる。


「食事会……ですか?」


「ハイベルク家とシュヴァルツシルト家は長い歴史はあれど、今までほとんど交流がなかったからな。お互いを知るという点でも必要なことだろう」


「なるほど……」


「婚約が正式に決まったら、互いの知人だけ集めて婚約披露パーティーを催そうかと思っているが、それはまた今度だな」


「そう、ですね……」


 嬉しそうに話すユリウスに対して、リーゼロッテはどんどん沈んでいく。


 彼女の暗い表情に、彼は首を傾げた。


「…………どうした」


「……その……」


 リーゼロッテは口ごもった。


 彼が嬉しそうにすればするほど、こんな卑屈な思いに囚われていく自分が嫌になる。


「……食事会、には……ディートリンデも……姉も出席するのでしょうか……」


「…………」


 ぽつりと呟いた言葉に、彼は口を閉じた。


 自分がもたらした沈黙とはいえ、リーゼロッテはいたたまれなくなり俯きかけた──がそれは止められた。


 ユリウスの腕に抱かれたからだ。


「ゆ、ユリウス様……! 外から見えます……!」


「大丈夫だ。馬車は動いている。見えたところで一瞬だ」


「そ、そう言われましても……」


 もごもごと言い淀むリーゼロッテの声に目を細めながらも、身体を離した。


「……ならば手を」


 やんわりと差し出された手におそるおそる手を重ねると、彼はそれを優しく握りしめる。


「すまなかった。配慮が足りていなかった。会いたくないのであればご両親のみの出席という形に今からでもできるが」


「い、いえ、違うんです。嫌とか、会いたくない……とかではなくて」


 申し訳なさそうに眉を下げた彼に、リーゼロッテは慌てて繋がれていない手を振った。


 いや、違う。


 本当は嫌だ。


 会わずに終えられるなら会いたくなどない。


 しかし──しかし。


 俯きかけた顔を、ユリウスに向ける。


「……向き合わないと、と思うのです。だから会って話さないと、と思うのです……」


 微かに繋いだ手が震えた。


 時折、昼夜関係なく幼いディートリンデの夢を見る。


 あの頃は仲良く遊べていた。


 リーゼロッテが聖女だと分かった時点で豹変した、と思っていたのだが、よくよく思い返してみると、もっと前から彼女はどこかおかしかった気がする。


 子供らしからぬ言動と邪な残酷さが増え、違和感を覚えた時点が確かにあった。


 時の聖女の魔力を使えば詳細に分かるかもしれないが、それをできるほどの技術は今のリーゼロッテにはない。


(……何故ディートリンデがああなったのか……知りたい)


 知りたいけど拒絶されるのではないか、知ったところで彼女の態度が変わることはないだろう。


 しかし、彼女に向き合わないということは幼いディートリンデに背を向けるような気がして、胸が鈍く痛んだ。


 とはいえ、彼女がディートリンデと会うのを躊躇う理由は他にもあった。


「……私たち、外見はそっくりなのですが、私よりディートリンデの方が何事も器用なのです。技能的なことだけでなくて、人間関係も……」


「…………」


 微かに眉をひそめた彼の手を、僅かな力で握り返す。


「だからその……ユリウス様がディートリンデに会ってしまったら……その……」


(ユリウス様を取られてしまいそうで……モヤモヤします……)


 そのまま言うには憚られる本心は、またも彼に遮られる。


「!」


 リーゼロッテの口からそんな言葉は聞きたくない、とばかりに押し当てるような一瞬のキスに、彼女は瞬いた。


 繋いだ手にほのかに熱がこもる。


「私はリーゼを愛している。姿形がそっくりだからと言って別人に代えたりなどしない」


 力強く真っ直ぐに言い放ったユリウスは、彼女の頬に触れると輪郭に沿って指を滑らせた。


 滑らかな手触りの肌にじんわりと彼の温もりが浸透していく。


「ユリウス様……」


「リーゼ……」


 見つめ合った彼らはゆっくりと唇を寄せ合い──。


「あのー」


 あと少しで触れる、というところで、困惑したイーヴォの声が聞こえた。


 弾かれたように身体を離した二人は、居住まいを正すと小窓から顔を覗かせる彼に視線を移す。


 いつの間にか馬車は停まっていたようだ。


 窓の外に市内へ続く大きな門が見えている。


 二人の羞恥に染まった表情に苦笑しながらも、イーヴォは問いかけた。


「お二人とも、もう市内に着きましたが、どうします?」


 今日は馬車で市内を回る予定ではあるので降りる必要はないのだが、走行ルートがそもそも決められていない。


 その上、あのまま市内を回ったら視察するどころか、二人の甘ったるい雰囲気を市内中に宣伝して走るようなものだ。


 主人が見世物になるようなことはできるだけ避けたい、というイーヴォの配慮でもあった。


「……すまない、イーヴォ」


「いえ。私にも覚えがありますから」


 ルートを手短に伝えられたイーヴォは手綱を再び手にする。


(そういえばイーヴォさんとデボラさんの馴れ初めは聞いたことがない気が……)


 紳士的でかなり美形に入るだろう亜人のイーヴォと、元軍人で屈強かつ豪快なデボラが付き合っている姿は正直想像がつかない。


 しかし今よりも亜人差別がもっときつかった頃に付き合い、今は二人も子供のいる素敵な夫婦だ。


 きっとその馴れ初めも素敵に違いない。


 リーゼロッテのむず痒い視線を感じたのか、


「……あまり変な想像はしないでくださいね」


 と肩越しにイーヴォは言うと、若干呆れたように軽く笑った。

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