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57.元令嬢付き使用人の末路

(ようやく、着いた……)


 ダクマーはハイベルク家の門の前でほっとしたように笑みを浮かべた。


 彼女が辺境のリデル家別荘を発ったのが実に六日前のこと。


 そこから街道沿いに進んで乗合馬車でも探そうとした矢先、土砂降りの雨に見舞われた。


 森の木々の下でどうにか雨をしのいだが、今度は森の中で迷った。


 迷った挙句、急斜面になっていることに気付かずそのまま滑り落ち、今度は泥だらけに。


 替えの服などを入れたカバンも中まで泥に塗れ、仕方なく雨で泥を落としたが、白物は全て茶色くくすんでしまった。


 雨が上がり、ちょうど通りかかった乗合馬車に声をかけるも、物乞いだと思われ足早に立ち去られた。


 やっと捕まえられた乗合馬車も、ダクマーが乗り込んだ途端、お通夜のように誰も喋らなくなる。


 客が早々に降りていき、途中で客が声をかけてもダクマーの姿を見て皆引きつった笑いを浮かべて乗車を拒否していた。


 これでは商売にならない、と半ば強制的に馬車を下ろされたダクマーは、乗合馬車を転々とし──。


 ──大小様々な不幸が起き、結局ここまでたどり着くのに六日もかかってしまった。


 もう月が空高く上っている。


 しかしもう、どこかで休んで出直せるような金も余裕も彼女には無かった。


 屋敷の門番に、


「ダクマーです。辺境より帰還いたしました。ディートリンデ様にお取り次ぎを」


 と声をかけると、門番は胡散臭そうな者を見る目でダクマーを頭から爪先まで見た後、「……ちょっと待ってろ」と屋敷に入っていった。


 門番の姿が見えなくなったのを確認したダクマーは、屋敷の塀にふらり、と手をかけた。


 立ちくらみだ。


 旅の駄賃も底をつきかけたため、馬車代の節約のためにもう二日も食事を抜いている。


 彼女が最後に食べたのはほとんど客のいない劣悪な宿の、豆が二、三粒入っただけの薄いスープだったか。


(でも、報告を聞いたらディートリンデ様もお喜びになるわ。なにせリーゼロッテをボニファーツ様が殺してくれたんですもの)


 ダクマーは空腹を堪えるギラギラした目を細めた。


 辺境伯家を追い出されたダクマーが、街道外れの森でボニファーツに出会った時は心底驚いた。


 むしろ向こうの方が「なぜ辺境にハイベルクの使用人が」と驚いていたが、ダクマーの事情を把握した彼が薄い笑みを浮かべたのが印象に残っている。


 その笑みでダクマーは大体のことを察した。


 リーゼロッテに対して、よくディートリンデが浮かべる笑顔にそっくりだったからだ。


 唯一違うのは、その目にもっと残虐で品のない殺意が宿っていたことくらいか。


 彼はダクマーに「リーゼロッテと会いたいから連れてきて欲しい。そこで罪を認めさせてあげるから」とだけ頼んだ。


 その言葉が額面通りではないだろうと、ダクマーは理解し、そして頷いた。


 リーゼロッテが地下牢に入れられたことからも、彼が彼女を粗末に扱うことは目に見えている。


 人狼と同じ檻に入れたことがその証左だ。


 おそらく、もう彼女はこの世にいないだろう。


 もしかしたら行方不明になったことすら誰も知らないかもしれない。


(あんな女、誰も探さないわよね)


 空腹で回らない頭で考えたリーゼロッテの哀れな末路に、ダクマーはほくそ笑む。


 唯一の懸念はリーゼロッテを気に入っている辺境伯が捜索し始めることだが、さすがに他貴族の別荘までは手が出せないだろう。


(これで……これで私はディートリンデ様付きになれるわ……!)


 戻ってきた門番に促されるまま、ダクマーは意気揚々と屋敷の中に足を踏み入れた。












 ダクマーはディートリンデの部屋に通され──ると思っていたが、通されたのは物置にも等しい使われていない部屋だった。


 掃除はしているものの煩雑に置かれた家具の中、ディートリンデは優雅にソファに腰掛けていた。


 その後ろには下男だろうか、珍しくコルドゥラ以外の従者が控えている。


(コルドゥラがいないってことは……やはり私の『昇格』が決まったってことね)


 ダクマーが勝ち誇ったように口端を上げると、ディートリンデは一瞬不快そうに眉頭を歪めた。


 古い家具特有の埃っぽさの中に、ダクマーから放たれる()えた臭いが混ざり合う。


「随分遅かったのね。待ちくたびれたわ」


「はい、ですがお待ちいただいただけの成果はあるかと」


 開口一番浴びせられた皮肉にも、ダクマーはにこやかに受け流した。


「そう。じゃあ報告して頂戴」


 ダクマーは辺境伯家での失態はそこそこに、ボニファーツと出会い、彼がリーゼロッテを始末してくれたであろうことを報告した。


 報告の間、ディートリンデは妖艶な笑みを浮かべただの一言も発しない。


 それは報告が終わった後も続いた。


 弾む心が(しぼ)むように、ダクマーはこの唐突な沈黙に僅かな焦燥を感じ始めていた。


「あ、あの……ディートリンデ、様……?」


 名前を呼ばれたディートリンデは先ほどよりもさらに不愉快そうに顔を歪めると、今度ははっきりとダクマーを睨みつける。


 いつもの余裕綽々(しゃくしゃく)な彼女が剣呑な雰囲気を纏い、ダクマーはどきり、とした。


「それで? 貴女……翡翠の指輪はどうしたのかしら……?」


「ゆ……指輪は……その……」


「取られた、のよね?」


 ダクマーの無言の頷きを待たず、ディートリンデは頭を抱え大きくため息をついた。


 心底幻滅した、といった様子に、ダクマーは混乱しつつ顔を引きつらせた。


(ど、どうして……リーゼロッテが罪を認めさえすればよかったのでは……)


「あ、あの……指輪などなくとも、もうリーゼロッテ様はいらっしゃらないのでは……?」


 ディートリンデは頭を抱えたまま瞳をぎょろり、とダクマーに向けた。


「いるわよ」


「……は……?」


「だから、いるって言ってんでしょ! リーゼロッテは生きてるわよ! 貴女、余計なことをしてくれたものね!」


 ディートリンデの突然の激昂に、ダクマーは肩を震わせた。


 そこには彼女の憧れだった妖しい美貌の才女はいない。


 ただ醜くぞんざいな振る舞いの恐ろしい鬼女がいた。


「い、生きてるとは……ボニファーツ様は……」


 ダクマーの声が震える。


「彼なら捕まったわよ。その親も、その仲間も全部ね」


「は……?」


 ディートリンデの言葉に、ダクマーの細い目はこぼれ落ちそうなほどに見開かれる。


 そんな彼女の様子はお構いなしにディートリンデは続けた。


「貴女、私の指示をちゃんと理解できてなかったようね? 私はあの子に罪を認めさせろって言ったのよ? 自殺に見せかけて殺せなんて言ってないわ。そんなの、私が悪役みたいじゃないの」


「あ、あくやく……?」


「分からないならいいの。ま、貴女がここまで帰ってきてくれたのはラッキーだったわ」


 多少引っかかる言い回しはあったものの、微笑んだディートリンデにダクマーはもしかしたら許してもらえるかもしれないと期待した。


 ──しかしそれの考えは甘かったとすぐに思い知る。


「貴女が死ねばうちとリデル家の件は関係ないって言えるんだから」


「ひっ……」


 ぞっとするほど妖しく、美しく、残酷な笑顔でディートリンデは嘲笑う。


 ダクマーは数歩後退るが空腹も相まって尻餅ついた。


 彼女に迫るのは、ディートリンデの背後に佇んでいた下男。


 おそらく、このために雇われた男だろう。


 彼は懐からギザギザとした波刃のナイフを取り出すと、ダクマー目掛けて構えた。


「お、お待ちください! へ、辺境で噂を耳にしまして!」


 殺される、と思った瞬間、嫌な汗とともに口をついて出た。


 その噂は聞いたものの、その時はどうでもいいかと思い記憶からも報告からも消したものだ。


 しかし、なんでもいい。


 殺されないためにはなんでもいいから自分が役に立つところを見せなければ。


 ダクマーは必死に、ディートリンデに哀願の瞳を向ける。


 その彼女を、ディートリンデはつまらないものを見るような目で見つめた。


「話してみなさい」


 ディートリンデの言葉に、下男は歩みを止めた。


 ダクマーはほっとしたように息を吐くと、生き急ぐように語り始める。


「は、はい。植木屋の話です。辺境伯の家の枯れ木を切る予定で下見に行ったら突然巨大な金色の光が庭の一画を包み、少々騒ぎになったと……なぜか枯れ木を切る話はたち消え、後日訪問した時には枯れ木に花がついていたと聞きました」


 言いたいことがめちゃくちゃだ、とダクマーは思った。


(落ち着け、落ち着いて、生き残るチャンスなのだから)


 どんどん荒くなる呼吸に、ダクマーの焦りはさらに強まっていく。


「それが? リーゼロッテとなんの関係があるの?」


 今にも泣き出してしまいそうな彼女の様子に、ディートリンデは視線を外し、わざと苛立ったような声を出した。


「そ、その光に巻き込まれたのか、中心で倒れていたらしいのです。へ、辺境伯と……リーゼロッテ様が」


 つまらなさそうに自分の爪を眺めていたディートリンデは止まった。


 金の光、枯れ木が復活する、そして──リーゼロッテ。


 一見なんの関係もないそれらをつなぐものを、ディートリンデはよく知っていた。


「……へえ……そう……」


 彼女はゆっくりと立ち上がると、ダクマーの方へと歩み寄る。


 艶やかで美しい彼女は、ダクマーの頭にそっと手を乗せ、撫でる。


 一瞬肩を震わせたダクマーは、ただ撫でられたことに感動した。


(ようやく、ようやく認められた……!)


 何日もまともに風呂にも入れず、強烈な臭いを発するごわごわな髪にも関わらず、ディートリンデは何も言わない。


「それはとても有益な情報だわ。ありがとう、ダクマー」


「! それじゃ……」


 頭上から降った感謝の言葉に、ダクマーは驚喜の声と共に顔を上げ──固まった。


 口元は左右対象と言っていいほど完璧な微笑みを浮かべている。


 しかしその瞳は全く笑っていない。


 むしろ深淵を覗いてしまったような錯覚を覚え、ダクマーは声なき悲鳴を上げた。


「でもそれはそれ、これはこれよねぇ……()っちゃって」


 ディートリンデはダクマーの頭から手を離すと、扉を開け去っていこうとする。


 その足をダクマーは縋り付くように掴んだ。


「ディートリンデ様!!」


 ディートリンデはダクマーを見下ろすと、冷たい声で言い放つ。


「私をその名前で呼ばないで」


 悪役みたいじゃないの、とダクマーには聞こえた気がした。


 掴まれた手を振り解き、彼女はその部屋を後にした。


 ダクマーが何か喚くような声がするが、分厚い壁に阻まれ内容までは分からない。


 もしくは、下男に口を押さえられているのかもしれない。


 いずれにしてももう、ディートリンデの頭にはダクマーの存在など無かった。


「あの子、約束破ったのね……」


 自室へ戻るまでの廊下、ディートリンデはハンカチでダクマーに触れた手をごしごしと拭いていた。


 ディートリンデとリーゼロッテの間で交わした約束など、ひとつしかない。


 そのたったひとつの、しかし重い約束を彼女は破ったのだ。


「……ならこちらも、約束通りにしてあげないと、ねぇ……」


 ディートリンデは用済みとばかりにハンカチを放り投げると、口端を静かに上げた。


 空高く貼り付けられたような月が青白い光を放ち、ディートリンデを不気味に照らす。


 遠くで女の悲鳴を聞いた気がした。

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