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56.料理人は決別する

 リーゼロッテとユリウスが別荘を出たところで、辺境騎士団が到着した。


 しとしとと雨が降り、ローブを目深にかぶったユリウスは近付いてきた団長に耳打ちする。


「数人に亜人たちの保護を頼む。その他は他に捕まっている亜人がいないかくまなく捜索。屋敷内で倒れている者たちは全て捕えよ」


「は!」


 団長は騎士たちに指示を出すと、屋敷の中へと入っていった。


 彼らの姿が見えなくなったところで、ユリウスはフードを取った。


 色素の消えた髪が軽く揺れる。


「ユリウス様……」


 リーゼロッテの沈んだ声色にユリウスは微笑んだ。


「大丈夫だ。心配をかけた」


「ユリウス、ちょっといいかな?」


 伸ばしかけた手をローブの中にしまうと、ユリウスはテオの方に向かった。


 その背中を彼女は憂いを帯びた表情で見つめていた。


「……気になるのか?」


 背後から聞こえたザシャの声に、リーゼロッテは振り向いた。


 上半身裸だった彼は、ユリウスと似たような暗い色のローブを身に付けている。


 その後ろではロルフが騎士に亜人たちを受け渡しているのが見えた。


「……はい、少し……。本当に終わったんでしょうか……?」


 リーゼロッテは責任を感じていた。


 あの時咄嗟に発動させてしまった聖女の力で、結果的に彼の復讐を止めてしまった。


 それが良かったことなのか悪かったことなのか分からない。


 言葉少なに振る舞う彼の心の内が見えず、彼女にはいまいち『終わった』という実感は持てなかった。


「ったく……何があったのか知らねぇけど、大丈夫だ。終わったよ」


 頭をがしがし掻きながら彼はリーゼロッテの前にゆっくりと歩み寄った。


 少し俯き加減に彼女を見つめる彼は、その手をローブの中に入れる。


 かさり、と薄い紙に指先が触れたが、今見せるべきではない、とザシャは軽く首を振った。


「……あんたの惚れた男はそんなヤワじゃねーよ」


「…………え」


 リーゼロッテは一瞬、何を言われたのか分からなかった。


(惚れ……た……?……惚れるって……す……好き……って意味では……?)


 言葉の意味と、それに含まれた彼の意図を理解したリーゼロッテは真っ赤な顔で狼狽た。


「なっ………な……!」


「バレてないとでも思ってたのかよ」


 あまりの表情の変化に、ザシャは肩を震わせてくくく、と笑う。


 俺の惚れた女はそうでなくちゃな、と少し寂しいような気持ちをごまかすようにさらに笑う。


 リーゼロッテは赤らむ頬を両手で押さえる。


 過去にも誰かにこんなことを言われたような気がする。


 そんなに自分の気持ちは筒抜けなのだろうか、それは貴族として女性として一体どうなんだろうと混乱する頭で彼女は思った。


「そ、そういえば、なにかお話があるとおっしゃってませんでしたかっ?」


 リーゼロッテは堪らず話を逸らす。


「あ……あー……あれな」


 彼は顔を横に背けると、痛いところを突かれたように再び頭を掻いた。


 正直言って、彼は屋敷であったこと全てを忘れてて欲しかった。


 彼女にとって辛い出来事が多かったのもあるが、彼は夢を見てしまったのだ。


 自分が彼女を守れるなどと。


 実際はずっと、彼女に守られてばかりだった。


 情けない、などと嘆いた次には自分の入り込む隙間などないと悟ってしまった。


 彼にはもう、覚悟ができていた。


 自分のことはからっきしなのに人のことばかりな愛しい彼女が、この先も彼と寄り添って生きていけるように。


 人のことばかりなのは俺も似たようなもんか、と彼は内心ひとりごちた。


「……あんたは」


 リーゼ、と声をかけかけて、彼は止めた。


 名前を呼んでしまったら抱きしめてしまいそうだったから。


 人狼の衝動──愛しい人を喰らうその血が絶えた原因は、コントロールできるとはいえいまだ彼の中に眠っている。


 一方的に押しつけていいものじゃない、と彼はそれを飲み込んだ。


「あんたは……ユリウス様に守られて馬鹿みたいに笑ってりゃいい」


 言い放った彼には、リーゼロッテの表情は見えない。


「え……と……それ、地下牢で聞きました」


「あー……そだっけ?」


 戸惑う彼女の声に、ザシャは惚けるように肩をすくめた。


 地下牢では彼女を遠ざける一心で言ったが、今は本心からの言葉だった。


 ──いや、少し違うか、と考え直したザシャは彼女に向き合った。


「そうだな。あんたはユリウス様の()()馬鹿みたいに笑ってろ」


 微笑んだ彼は、小さくため息をついた。


 目の前の小さく、か弱い彼女に何度も助けられた。


 彼女はきっと、ユリウスの後ろで守られるだけの存在ではないだろう。


 ザシャの言葉に頬を染めたリーゼロッテは、戸惑うように視線を泳がせた。


「変な顔」


「そ、そんなこと……っ」


 呆れるようなザシャの笑いに、彼女は赤らめた顔のまま少し膨れる。


 その仕草が可愛らしく、ザシャは緩めかけた頬を引き締めるように口を結んだ。


「……ほら、ユリウス様んところ早く行けよ」


 彼は彼女を回れ右させ背中を押した。


 ユリウスの軍服を纏う彼女に触れるのは、これで最後だろうと思いながら。


「ザシャさん」


 数歩、ユリウスの方へと歩んだ彼女は、ザシャに振り返る。


「ありがとうございます」


「……おう」


 頭を下げた彼女の姿に、ザシャは寂しげに微笑んだ。


 踵を返した彼女を見つめ、視線を地に落とす。


 肩を上下させるほどの大きなため息をついた。


「……ロルフ、何だよ」


「…………………珍しい。兄さん、僕の気配、分かった」


 振り返ることなく言い当てたザシャに、ロルフが微かに目を見開いた。


 ザシャは彼の頭をわしゃり、と撫でる。


「兄貴だからな。いつまでもお前に驚いてたら世話ないだろ」


「…………………僕は……」


 兄の穏やかな様子に、微かに微笑んだロルフはぽつりと呟いた。


「…………………僕は、兄さんには、幸せになってほしい」


「はぁ?……ったく」


 ザシャは少し呆れたようにロルフに振り向くと、頭を抱き寄せた。


「……兄貴思いの弟がいて、俺は十分幸せモンだよ」


 締め付けるような声に、ロルフは真に願わずにはいられない。


 兄が幸せになるならなんだってするから、だから早く彼の幸せを一緒に模索してくれるヒトが現れて欲しい、と──。










 あらかた引き継ぎが終わったユリウスは、ふとザシャがふらり門の方へと向かうのが見えた。


「ザシャ」


 呼びかけに足を止めた彼の後ろ姿に、ユリウスは何かを感じ取った。


「行くのか」


「……私は『谷落とし』のことを伝えに来ただけですから」


 振り返ることもなく素っ気なく返す彼に、ユリウスは残念そうに沈んだ声を出した。


「……もう普通には話してくれぬのだな」


「……何がですか……?」


「敬語。私はない方が嬉しい」


 虚をつかれた彼の言葉にザシャは思わず聞き返した。


(嬉しい? 一体何を言っているんだ?)


 いつも仏頂面のユリウスらしからぬ、感情を示す言葉だ。


 目を丸くするほど驚いたザシャは、すぐに思い当たった。


(……変えたのはあいつか)


 綻ぶような笑顔が思い浮かぶ。


 思い浮かべただけで胸がほっと暖かくなるような笑顔は、ユリウスの変化にも納得できるような気がした。


「何言ってんすか。領主様と使用人が仲良く話してたらおかしいでしょ」


 幾分か砕けた口調のザシャは、自分がうっかり口を滑らせたことに気づかなかった。


「そうだな。が、そもそも辺境伯(わたし)はおかしいという噂があるのだ。使()()()の教育がなってなかったとしても評価に大した障りはない」


 使用人、の一言にザシャはしまった、と振り返った。


 ユリウスはため息混じりに微笑んでいる。


 彼の呆れたような微笑みに、思わずザシャは吹き出した。


「なんだそれ」


 つられて笑うユリウスに、ザシャはさらに腹を抱えて笑い出す。


(ホントに……なんだよ、それ……欲張りすぎだろ)


 彼女への思いを消そうとそばから去ろうと思っていたのに、それすら許してくれない。


「……いろいろと……すまない。結局私は、ザシャとの約束を守れなかったな」


 ユリウスの脳裏には在りし日の光景がありありと浮かんでいた。


 人狼として生まれた彼とした、約束。


『もしも最愛の人を見つけ、その人を食い殺そうとした時には……そうなる前に俺を殺してくれ』──。


 しかし、実際その場になってみたら躊躇ってしまった。


(昔のユリウス様なら、約束を果たしてくれただろうけど……)


 ザシャは思う。


 今の血の通ったユリウスも悪くはない、と。


「……んなクソ昔のことなんて忘れましたよ。それに」


 ひとしきり笑い切った彼は、息を吐き出すとすっきりとした笑顔を見せた。


「俺はもう、大丈夫です」


「……そうか」


 彼の様子にユリウスはほっとしたようにため息をついた。


「……お互い苦労しますね」


「なにがだ」


 わずかに首を傾げたユリウスに、ザシャは両手を上げた。


「……あいつ、多分待ってますよ。ユリウス様のこと」


「……分かってる」


 ザシャに言われるまでもない。


 随分と遠回りをしてしまっている気がする。


 彼女の追放のこと、自分の身体のこと、そして彼女の力のこと──。


 気にすることが多すぎて、彼女への想いに重石を乗せていた。


 彼が腹を括るように、ザシャもまた腹を括っていた。


「あんたらには早いとこ、幸せになってもらいたいんですよ。だからさっさとくっついてください」


「……ザシャ」


「んで、結婚式の料理は俺が作りますよ。そっから先もずっと。ユリウス様には簡単にあいつの手料理を食べさせませんから」


 彼の言葉に、ユリウスは思わず声を上げて笑った。


「すごい嫌がらせだな」


「これくらいで壊れる仲じゃないでしょう」


(ホント……俺なんか手が届かないくらい、幸せになってくれ)


 減らず口を叩くザシャにユリウスは相対すると、大きく息を吐きだした。


「分かった。約束する」


「ええ、絶対ですよ?」


 力強い頷きと共に、ユリウスは幸せそうに目を細めた。


 小降りになった雨は上がり、大きな夕焼けが黒ずんだ雲を蹴散らすように赤く暖かな光を放っていた。

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