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55.妹君は行使する

 再び降り出した雨が、窓を微かに打ち付ける。


 捕縛された伯爵は、跪きがっくりと項垂れていた。


 ボニファーツもまた、そんな父の姿を見たくなかったのか俯き、唇を噛んでいる。


「……なぜこんなことをした。興奮剤をみだりに売り付けるなど、国がどうなってもいいのか」


 伯爵をユリウスは見下ろした。


 彼には本当にわからなかった。


 今は平和な世に合わせて細い商売をしていたとしても、伯爵位を維持するには十分だったはずだ。


 それを捨ててまで国を荒らすようなことをするなど、彼には到底理解ができなかった。


 伯爵はゆっくりと、彼を見上げた。


「……その目だ……その紫の目……また邪魔をするのか、ベアトリクス……」


「……なにを、言っている……」


 憎悪を滲ませる伯爵に、ユリウスは眉を微かに動かす。


 ──否、正確には、彼が発した『ベアトリクス』という言葉に。


「ガイウスもガイウスだ……私の案を蹴るなどと……かの国の王に真相を話すなどと私を脅してまで」


「…………貴様……もしや……」


 ユリウスの顔色が悪い。


 白く陶器のような肌は血色を失い、唇がわなわなと震えた。


「……ああ、そうだ。あの戦争の原因を作ったのは私だ」


 まるで昔を懐かしむような伯爵の静かな口調に、その場にいる全員が固まった。


「そもそもお前らが悪いのだ。私が隣国の反国家組織に援助していることを嗅ぎ回るなど……」


「…………」


 伯爵の独白に、ユリウスは言葉も出ない。


 足元が少しずつ崩れていくような感覚に、立っているのがやっとだった。


「私は隣国で内乱さえ起きればよかったのだ……そうすれば私の懐も潤う。辺境だって、内乱で隣国が弱体化すれば平和になるだろう? なのにお前らときたら、難民が溢れるなどと宣いおって……挙句の果ては友好国の取り付けなどと……ふざけるのも大概にしろと」


 昔の友人と馬鹿な話をするようなトーンで怒るでも苛立つでもなく、ただ淡々と語る伯爵に、リーゼロッテは震えた。


(……怖い……)


 ボニファーツの狂気とはまた違う。


 自分のせいじゃないと言いながら直接手を下そうとしてくる彼とは違い、伯爵のそれはどこか他人事だ。


 原因だと自覚しながらも、まるで結果的に戦争になってしまったとでも言わんばかりに飄然とした態度を貫いていた。


 茫然と伯爵を見つめていたユリウスは、いまだ震える唇から息を吐く。


「……それで、殺したのか……? 私の……父と母を……」


「……!」


 ユリウスの声が沸々と熱を帯びる。


 それに対して伯爵の声はひどく平坦で、恐ろしいほど冷静だった。


「殺した……? いいや違う、あれは不幸な事故だ。私は奴らが隣国に入るタイミングを反国家組織に伝えただけ。組織の奴らがどう動くかなど分かりっこないだろう? なぁ、ベアトリクス」


「…………」


「あの時死んでくれたおかげで、内乱も起きた。戦争まで起こしてくれて私は伯爵位まで手に入れた……しかし……足りない。物足りない」


 伯爵の瞳がギラリ、と光る。


 貪欲な守銭奴は頬を引きつらせるように笑った。


 低く抉るような笑い声に、リーゼロッテは震えが止まらない。


「私は武器商人だ。その私が各地で野菜を売り、各地の農家から穀物を買い漁り、地道に堅実に細々と……私の価値とはそんなつまらないものだったのか」


「……そんなことで……今度は、この国を荒らすのか」


「そうだ。『谷落とし』と『浮舟』、どちらも使えばこの国は簡単に破綻する。そうすれば属国扱いに燻る隣国とまた戦争になるだろう。私はまた後方支援という名の高みの見物をしていればいい」


「…………」


 まるで夢見るような表情の伯爵は、更に笑みを深めた。


 抑揚のない声は鳴りを潜め、教義を高らかに説く教祖のように高揚感を含む声だ。


 満ち足りた表情を浮かべる伯爵は、ユリウスに笑いかける。


「勝手に殺し合いしてくれればこちらは潤う。武器の需要が無ければ……作ればいいのだ。そうだろう? ベアトリクス」


「…………よくも……」


「ユリウス……様……?」


 リーゼロッテはユリウスの異変に気付き、小さく声をかけた。


 いつものユリウスなら十分に聞こえるはずの声に、彼は反応できない。


 言葉少なく伯爵を見つめていたユリウスは、ギリ、と奥歯を噛み締めた。


 全身の血が一気に引き、逆流する。


 彼ははかつてないほどのどす黒い感情が噴き出るのを、どこか冷静に感じていた。


 ずっと知りたかった。


 何故両親を殺したのかを。


 復讐のためではなく、ただ純粋に、自分から両親が奪われなければならなかった理由を知りたかったのだ。


 しかし犯人は見つからず、おそらく隣国の人間の仕業だろうということで、和平の成立を嫌っての犯行だろうと彼は自分を納得させざるを得なかった。


 きっと相手も大義名分があったのだろう。


 両親が死ぬことはきっと相手には必要だったのだ、と。


 しかし蓋を開けてみれば一介の武器商人の暴走でしかなかった。


 大義などない。ただ邪魔だから消された。


 開き直るような伯爵の態度が、さらにユリウスの神経を逆撫でさせた。


「よくも…………そんなことで……私の両親を………この国を……!」


 震える手で鞘に手をかけると一気に剣を引き抜く。


 顔色は黒く、乱れた呼吸が剣を構える身体を強張らせた。


 目の前の親の仇に一閃を加えようと、ユリウスはゆっくりと振りかぶった。


「ユリウス様?!」


 リーゼロッテはとっさに手を出す。


 しかし、彼には届かない。


(ユリウス様……!)


 それでも祈るような気持ちで必死に手を伸ばした。


 瞬間、彼女の胸から迸るような熱が放たれ、金色に光り出す。


 堪らずその場の全員が目を瞑った。


 まぶたの裏に残るほどの眩い光が一瞬、部屋を包み込んだかと思うと、それは小さく収束する。


 おそるおそる目を開けると、ユリウスと伯爵の間に金の光が漂っていた──二人の人物を伴って。


「……ち、父上……母上……?」


「ひっ……ガイウス……ベアトリクス……!?」


 ユリウスの驚きの声と、伯爵の怯える声が重なる。


 一人はリーゼロッテも見たことのある人物──書架で見た、ユリウスにそっくりな紺色の髪の貴婦人。


 もう一人もまた、大人の姿のユリウスに似て精悍な顔つきの紳士だ。


 耳にかかる程度の赤みがかった黄色の短髪に意志の強そうな眉。


 そして鋭い眼光を放つ榛色の瞳。


 ユリウスとは似ても似つかない大柄な体格だが、それでも彼──いや、彼らがユリウスの両親であろうことは伯爵やユリウスの反応を見ればわかる。


「これは……一体……!?」


 光に目が慣れてきたのか、アンゼルムは薄目を開けながら戸惑いの声を上げた。


 答えが返ってくる期待など微塵もしていなかったのだが、意外なところからそれはもたらされた。


「……これが……時の聖女の力……」


 アンゼルムの傍らで茫然と呟くテオの言葉が耳に入る。


 その瞳は幾ばくかの怒りを抱えているように、金色の光を反射していた。


「時の……?」


 アンゼルムは聞き返すが、テオは聞こえていないかのようにただじっと、その光に目を細めていた。


 光に包まれたユリウスの両親は伯爵のいるあたりを静かな表情で見つめていた。


 その表情に咎められている、と感じたのだろう。


「ゆ……許して、くれえええええ!」


 と伯爵は突然叫ぶと、白目を剥いて卒倒してしまった。


「父上……母上……」


 もう一度両親を呼ぶユリウスの手が緩み、剣がからん、と空虚な音を立てて床に転がった。


 その音を合図に、彼らは口を開いた。


『和平……やっと締結に漕ぎ着けたな』


『ええ、これで……これであの子の過ごす世が今よりも平和になりますね』


『ああ……辺境は戦いと常に隣り合わせだ。少しでもあの子に、苦労はかけさせたくない』


『貴方……ええ、私も出来る限り、あの子が平穏に暮らせるよう尽力いたしますわ。この子が剣を振らなくてもいい世に』


 貴婦人の声に紳士は彼女の肩を抱き、力強く頷く。


『ああ……あの子……ユリウスの幸せのために……』


 暖かな声色の余韻だけを残し、金色の光と共に彼らはすぅ、と消えてしまった。


 後に残されたユリウスは、両親がいたあたりに手を伸ばしかけ、下ろした。


「……………」


 無言でその手を握りしめたユリウスは俯いた。


 項垂れる彼に声をかけられる者などいなかった。


 テオは小さくため息をつくと、倒れた伯爵に近寄って身体をつついてみたが、何の反応も示さない。


「あら、伸びちゃってるねこりゃ。幽霊だとでも思ったのかな」


「テオドア……いえ、テオドール様、今は……」


 軽口を叩くテオをアンゼルムはやや厳しい顔つきで嗜める。


 テオは人差し指を彼の口に向けると「わかってるよ」と一瞬寂しそうに微笑んだ。


「……さ、僕らは一足先に後始末にでも行こうか。ロルフ君たちも待っていることだし」


 そう言うと、テオとアンゼルムは下手人二人を伴い書斎を後にした。


「…………終わった、のか………」


 長い沈黙の後、ユリウスは気が抜けたようにぽつりと呟いた。


 終わった、とはリーゼロッテ誘拐の件か。


 亜人失踪の件か。


 事故の真相か。


 それともそれら全てか。


 ため息を伴った彼の声は感慨深げに、しかしほんの少しの寂寥を帯びて響いた。


「ユリウス様……」


「……すまない……今は……私を見ないでくれ」


 隠すように彼女から顔を背けたユリウスの口から、揺らいだ熱い吐息が吐き出される。


 その背中のやるせなさを感じたリーゼロッテは、背後から静かに腕を回す。


「私にも……背負わせてください」


 彼の耳元でぽそりと呟いたが波紋のように彼に染み渡る。


 彼女の柔らかな腕の感触を感じながら、ユリウスは瞳をゆっくりと閉じた。

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