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54.元婚約者は見捨てられた

 息子はうまくやっただろうか、と窓の外を見る。


 通り雨のような土砂降りは上がったが、相変わらず遠雷が見えた。


 じきにまた雨が降るだろう。


 その前に息子が連れてきた元婚約者の骸を運び出さなければ。


 リデル伯爵は短くなった葉巻を灰皿に押しつけ、席を立った。


 まったく要らん面倒を、と彼は独りごちた。


 酒を飲んだかのような赤ら顔に手を当て俯いたと同時に、ノックが響く。


「……父上、僕です」


「……開いている。入れ」


 ノブが回され、ごそごそと入室する音がする。


 音からして息子だけではない。


 おそらく、彼につけた用心棒や従者もいるのだろう。


「……小娘ひとり始末するのに随分と時間がかかったな。情けでもかけたのか」


「情けならばかけられた方だ」


 息子よりもはるかに年若く、しかし聞き覚えのある厳しい声に、思わず伯爵は振り返った。


 目が覚めるような白い長髪に鋭い光を放つ紫電の瞳──戦場を駆ける白髪の軍神とも恐れられた姿そのままの彼に、伯爵は戦慄を隠しきれない。


「ゆ、ユリウス・シュヴァルツシルト!? どうしてここに! まさか十四年前のこと……!?」


 はっとして口を押さえた伯爵に、ユリウスは微かに眉を上げた。


「どうしてもこうしても、ここは私の領内だ。領内をどう移動しようが私の勝手であろう」


 狼狽する伯爵を尻目に、「それに」とユリウスは鋭い声で付け加える。


「私の奉公人を(かどわ)かした幌馬車を追っていたところこちらの屋敷に辿り着いたまでだ。それだけで、十分理由はあると思うが?」


「ぐ……愚息が粗相をしたようで……申し訳ございません……どうぞ、息子は好きにしていただいて結構です」


 あっさりと息子の罪を認める伯爵を、ボニファーツは苦々しい表情で見つめた。


 この状況で父が自分を庇うとは思っていなかっただろう。


 それでも彼は、どこかで父が自分を見捨てないでくれると信じていたようだ。


 ボニファーツの様子を横目で見ながら、ユリウスはなおも伯爵を問い詰める。


「もう一つある。亜人の件だ……貴様、私の領民を攫って隣国に売り飛ばしてるな……? 『谷落とし』もそれ経由だろう? 正直に白状しろ」


「……は、あ、亜人? 『谷落とし』? そのようなものは、当商会では取り扱っておりません。な、なにかの間違いでは……?」


 彼の言葉に伯爵は目を泳がせ揉み手をしながら弁明する。


 ユリウスは内心舌打ちをした。


 亜人も『谷落とし』も売買の現場を押さえたわけではない。


 亜人がここにいるのも、「集団で突然襲われたから捕まえただけ」と苦しいながらもギリギリ言い訳ができてしまう。


 睨むユリウスの後ろから、テオがひょっこり顔を出した。


「じゃあ、『浮舟』の方は?」


「な……!?」


 青い顔で言葉を詰まらせた伯爵の反応にテオは満足そうな笑みを浮かべた。


「……知ってるみたいだね。当然だよね。だってベトルーガ商会の()()()()主な収入源だもの」


「テオ……?」


 ユリウスは眉をひそめ、テオの出方を窺う。


「……何故……」


「簡単だよ。王都で不審な噂を耳にした。『浮舟』……ヒトによく効く興奮剤みたいだね。比較的年若い貴族が集まる社交界で密かに流行ってるって」


 テオの語る内容に、伯爵の顔が青から白に変わっていく。


「配っていたのは末席も末席の男爵家の末席だったけど、どうもおかしい。貴族相手に売りつけていたにしてもその男爵家、急に羽振りが良くなってたからね。そこまでの大金を若い貴族が持っているはずがない。ならどこかに黒幕がいるだろうってことで調べたらベトルーガ商会にぶち当たったってわけ」


 笑顔を崩さず説明するテオに、それまで訝しむように見つめていたユリウスが合点がいったように口を開いた。


「……なるほど、そういうことか」


「さすがユリウスは察しがいいね。多分、そういうことだよ」


「どういうことですか? お二人だけで納得されても……」


 戸惑うアンゼルムに、ユリウスは伯爵から目を逸らさずに答える。


「ベトルーガ商会は亜人を攫って隣国に奴隷として売り飛ばす。その代わりに『浮舟』を購入してこの国で売り捌いていた」


「な……」


 アンゼルムとリーゼロッテはあまりの衝撃に言葉を失った。


 この国で奴隷制度が廃れて久しい。


 しかもその奴隷制度も、同じ種族であるヒトの中でも罪人や身寄りのない者などが奴隷として働いていた。


 亜人は入国すらままならない状況で、居住権を認められたのも先王の時代──つい最近だ。


 先王の統治が長かったため、ここにいるほとんどの人間は奴隷制度の世を知らない。


 奴隷制度自体に戸惑いを感じるのも無理はないだろう。


「『谷落とし』はこの国では自生しない。栽培もほぼ不可能だ。しかし隣国では自生している。そのせいで亜人は隣国にはほとんどいない。まぁこれは、隣国では未だに亜人を奴隷として扱っているためでもあるが」


「……………」


 誰ひとり、伯爵さえも身動きできない。


 ユリウスは伯爵を見る目を厳しくさせる。


「ここからは推測に過ぎないが、『浮舟』を作るのに亜人を使ったのだろう。そして『浮舟』の原材料はおそらく……」


「似たような性質を持つ『谷落とし』は入っているだろうねぇ。ついでに言うとベトルーガ商会の粗悪品の毛皮も亜人の尻尾あたりの毛なんじゃないかな?」


 テオの言葉に、伯爵は肩を微かに震わせた。


 ボニファーツはそんな伯爵の様子を「まさか……」と愕然とした表情で見つめていた。


 彼らの反応からして、テオの言ったことは真実なのであろう。


「……なんて、酷いことを……」


 膝から崩れそうになるリーゼロッテを支えるように、アンゼルムは彼女の肩を抱く。


「な、何を言ってるんだ! ユリウス様! いくら貴方様やその従者であってもこれはリデル家への侮辱にあたりますよ!? 取り消していただきたい!」


 激昂する伯爵に、ユリウスは首を横に振った。


「……それはできない。私は彼に……いや、殿()()に命令できる立場にはない」


「…………は……?………いやまさか……え………?」


 狼狽える伯爵を、ユリウスは憐れむように静かに見つめた。


「あーあ、ユリウス。先に言っちゃダメじゃないか。こういうのは本人が言わないと」


 その場にそぐわない戯けた声でテオはそう言うと、ユリウスの額を軽く小突いた。


「……すまん」


「ま、いいけどね。そういう融通が利かないところも君のいいところだから」


 軽薄そうな笑みをすっと収めると、伯爵の方に向き直る。


 いつもの彼らしからぬピリついたその雰囲気に、リーゼロッテは眉をひそめた。


「改めて。僕……いや、私の名はテオドール。テオドール・ツォン・フェアデヘルデ。この国の()()()()だ。リデル伯爵、貴君の罪は全て筒抜けだ」


 テオの宣言にユリウスとボニファーツ以外は驚き、言葉も出ない。


 涼しい顔のボニファーツを、やはり取引を持ちかけたか、とユリウスは苦い顔で見つめる。


「……………は……? いや、そんなわけがない……て、テオドール様は……」


「不真面目で政治にも興味がなくてめったに公の場に出ないくせに女にだらしがない? ついでに長子なのに髪色のせいで継承権も低い?」


 うっかり口を滑らせそうになった伯爵に、テオは揶揄うような口調でくすり、と笑った。


「……まあ半分くらいは当たりだよ。信じられないなら王家の紋章も見せようか?」


「そ、そんなもの! 作ろうと思えば簡単に作れるだろう! 偽物め!」


 我に返った伯爵は喚き散らす。


 その様子に、テオは肩をすくめた。


「信じなくてもいいけどさ、もし僕が本物の第一王子だったらそれ、全部不敬罪に当たるからね。発言には気をつけようね」


「く……っ……貴様らが死ねば本物かどうかなど関係ない……! 誰か! 侵入者だ!」


 伯爵は大声で叫んだが、やはり誰も駆けつけてくる気配はない。


 駆けつける音すらなく、伯爵の荒い息遣いしか聞こえなかった。


「……うーん、親子だねぇ」


「………………」


 いつか見た光景と同じことが繰り返され、思わずテオは感想を漏らした。


 彼もまた、身に覚えがあるのかテオから視線を逸らす。


「リデル伯爵、私たちが今、ここにいるということは屋敷内はほぼ制圧が終わっているということだ。呼んだところで誰も来ない」


 ユリウスがまた、ボニファーツにしたような説明をすると伯爵は目を白黒させる。


「な、ならば………」


 伯爵は机の上にあった禍々しく黒い宝石を手に取ると床に叩きつけた。


 黒煙があっという間に広がり、いくつかの小さな渦を巻き始める。


「リーゼ、下がっていろ」


「ユリウス様……」


「……大丈夫だ。心配するな」


 不安げな彼女に、ユリウスは優しく微笑みかけた。


 その間にも渦は膨らみ続け──。


「ふははははは! 見ろ! 流石に貴様らでも泥人形(ゴーレム)には勝てまい!」


 渦が消える頃には、部屋の天井まで届くほどの巨体に、大小(いびつ)な土の塊をつなぎ合わせたような人型の怪物が数体、伯爵を守るように佇んでいた。


 むせ返るような土の臭いに、思わずリーゼロッテも顔をしかめる。


「室内で泥人形(ゴーレム)って……うーん……僕、頭が痛くなってきたな……ユリウス」


「分かった」


 テオの呼びかけを待っていたかのようにユリウスは跳んだ。


 とはいえ、彼がどこに跳んだのかはリーゼロッテには分からなかった。


 むしろ消えたようにすら見えたほどだ。


「無駄だ! いくら英雄といえど特注の泥人形(ゴーレム)に……あ、れ……?」


「悪いが……泥人形(ゴーレム)の関節部を繋ぐ魔法は断ち斬らせて貰った」


 いつの間にか伯爵の後ろに立っていたユリウスが言うが早いか、泥人形(ゴーレム)たちは塊ごとに断ち分かれ床に沈みだす。


 泥人形(ゴーレム)たちはなんの命令も下されぬまま、大きな泥団子に姿を変えた。


「そんな……関節を斬っただけではこんなことには……!」


「そりゃ魔力込めて斬ってるもの……あ、そうか。伯爵は成り上がりだから魔力が無いんだったね。分からないのも無理はないか……」


 小さくため息をついたテオに、伯爵は痛いところを突かれたように唸った。


 どうやらかなりのコンプレックスだったようで、真っ青な顔が一気に元の赤ら顔を上回る赤さを帯びてくる。


「なら、もう一つ教えておいてあげる。閉鎖空間であんな大きな泥人形なんか出したら、倒された時にみんな泥に沈んで窒息死するから今度からやめてね? 今度がいつあるのかは分からないけど」


「……っ……」


 憤怒で染まった伯爵は何かを言いかけたが、それを口にすることはなかった。


 ユリウスは背後から伯爵の首に剣を当てる。


 長身の伯爵の肩に、殺気が込められた剣身がひたり、と止まった。


「貴様はもう終わりだ」


 伯爵は自分よりもはるかに小さく、美しいこの少年伯に縮み上がるほどの恐怖を感じていた。

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