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53.元婚約者は観念した

 ボニファーツを縄で縛り上げた後、ユリウスは彼の顔を覗き込んだ。


「ひとつ聞く。何故彼女を攫った」


 彼の質問に、リーゼロッテも彼に顔を向けた。


 避けてしまった胸元を隠すために、ユリウスの軍服を羽織らせてもらっている。


 以前羽織った大人の軍服と違い、サイズはぴったりだが、芳香に包まれる感覚は同じだ。


「鎧じゃなければ僕の服を着せたのに……!」とアンゼルムが何故か悔しがっていた。


「何故って……」


 口ごもるボニファーツに、ザシャが苛立ちを隠そうともしない尖り声を上げた。


「おいおい、あんたさっき言ってただろ? 共犯だって噂が流れて次の婚約者が決まらないから自殺に見せかけてリーゼを殺そうとしたってよ」


「……僕のせいじゃない。なんで婚約者だったからって変な噂を流されないといけないんだよ! くだらない……」


 毒づく彼を静かな表情で見つめていたユリウスは


「ああ、実にくだらないな」


 と呟いた。


「だろう? 僕の気持ちわかるだろう?! なら……」


「いや、分からない。くだらない噂など言わせておけば良い」


 事もなげに言い放ったユリウスに、ボニファーツはぽかん、と口を半開きにした。


「ボニファーツ・リデル……貴様は噂とリーゼに追い詰められたのだと思っているのだろうがそれは違う。貴様は貴様自身に追い詰められたのだ」


「……は……なにを……」


「噂は噂だ。行動で自身の人間性や有益性を示せれば、そのような噂などすぐ消える。消えなかったとしても……」


 ユリウスは横目でリーゼロッテの方を見る。


 その慈しむような視線に、ボニファーツは息を呑んだ。


 とても自分を殺そうと思っていた人と同一人物とは思えない。


「……堂々としていれば、自身の芯を見て寄り添ってくれる人間はいる」


「……」


「……貴様は結果を急ぎすぎた。そしてリーゼに全ての責を押し付けすぎた。最後に……私を侮りすぎた。それが貴様の敗因だ」


 軽く微笑むような、自信に満ちた彼の表情に、ボニファーツは俯き唇を噛む。


 他人の言動に振り回されるような自分とは大違いだ、と彼は肩を震わせた。


 悔しくない、後悔していない、と言えば嘘になる。


 しかしそんな簡単な言葉で今の自分の気持ちを表現などできなかった。


 ただひとつ、ボニファーツは目の前の中性的な少年がひどく羨ましく、誰よりも男らしく見えた。


「……本当なら今すぐ八つ裂きにしたいところだが、貴様には父親諸共、然るべき罰を受けさせる。それがリーゼの望みであり、お前にかけられる最後の情けだ」


「……ははっ……辺境伯みたいに変な噂は無視しろって?……冗談を言うな。僕は……僕は……」


 ユリウスの厳しい視線から逃れるように視線を外したボニファーツは、力なく肩を落とした。


「……他の亜人たちはどこにいる」


「……………」


 口を結んで黙秘を選んだボニファーツに、ザシャが掴みかかろうと一歩踏み出そうとした。


「言えないみたいだね。じゃ、案内してくれるかな? ボニファーツ君」


 ザシャを制しながら、テオはボニファーツの隣にしゃがみ込む。


 嫌味のない笑顔だが、彼の笑顔はどこか有無を言わせないものがあった。


「……僕に案内しろと? 君らを嵌めるかもしれないのに?」


「うーん、そうだよねぇ。じゃあさ…………」


 テオはボニファーツの耳に口を寄せると、少し長めの内緒話をし始めた。


 その間、ボニファーツの表情は青くなったり引きつったり口をぱくぱくさせたりと忙しい。


(一体なにをお話されているのかしら……)


 リーゼロッテはユリウスに寄り添いながら小首を傾げる。


 テオとボニファーツの様子にユリウスは小さくため息をついた。


「……本当……ですか?」


 耳から離れたテオに、ボニファーツは目を丸くしたまま聞いた。


 いまだに信じられない、といったその表情にテオは悪戯っぽく笑った。


「僕はこう見えて嘘はつかないタチだよ?」


「…………………わかりました。亜人は食糧庫の……地下室にいる」


「本当かよ。てかまだ地下室があんのかよ……」


 地下牢を思い出したのかうんざりした声を上げたザシャは、ボニファーツに疑いの視線を向けた。


 無力化したとは言え、ここはボニファーツの勝手知ったるリデル家別荘だ。


 もしかしたら侵入者を排除できるような仕掛けがあるのかもしれない、と疑うのも無理はない。


「大丈夫。僕が保証するよ」


「いや保証ったって……ってかあんた誰だ」


 微笑んだテオにツッコむザシャ。


 その様子に、リーゼロッテは違和感を覚える。


(え……ザシャさんとテオ様は初対面……ということはいつも窓からいらっしゃってたってことかしら……? でもザシャさんは厨房からほとんど出ないから会ったことがないのもあり得なくはない、のかしら……?)


 リーゼロッテは今更ながら、テオのことをなにも知らされていないということに気づいた。


 あれだけ親しいユリウスもあまり彼のことを語りたがらないような気がする。


 その彼はザシャのツッコミなどものともせず、にっこりと笑ったままだ。


「まあいいじゃないかそんなことは。ね? ユリウス」


 強引に話を切り上げた彼に、ユリウスは呆れたようにため息をつく。


「ザシャ、ロルフ……まだ捕まっているだろう亜人たちを助け出してくれ」


「……かしこまりました」


「……………………はい」


 やや納得いかない顔で頷いたザシャは、部屋から出て行こうとするロルフに続いて扉に向かう。


 ちらり、と彼はリーゼロッテを見遣る。


 ユリウスに寄り添う彼女は彼の言葉に耳をそばたてている。


 その表情は柔らかく、時折彼に向ける視線から信頼が見えた。


 自分が入り込む隙間など、彼らにはない。


 そう思うには十分すぎるほどの彼女の表情に、ザシャは膨れ上がった想いを持て余すように、やや乱暴に頭を掻いた。


「……………………兄さん、行くよ」


「ああ……」


 扉から顔を出したロルフに同意すると、彼は彼女の方を振り返らず部屋から出て行った。










 ザシャたちが出て行った後、ユリウスはリーゼロッテに頭を下げた。


「リーゼ……すまない。遅くなった」


「いえ、助けに来てくださるなんて……嬉しかったです」


 頬を染めて微笑む彼女に、ユリウスの顔は憂いが晴れたように目尻を下げる。


 彼女が羽織っている黒い軍服に手を伸ばすと襟を整えた。


 その手が微かに震える。


「よく……耐えてくれた……」


 堪えていたものが溢れるように、彼は彼女をゆっくりと引き寄せると、滑らかな頬に手を添えた。


 親指でそっと撫でると、リーゼロッテは少しくすぐったそうに片目を瞑る。


(本当に……よく)


 彼女が攫われたと聞いた時、ユリウスは生きた心地がしなかった。


 アンゼルムの報告も、自分がそばにいれば攫われなどしなかっただろうと悔恨の念に打ちひしがれた。


 ザシャと共に攫われたと聞いて尚のこと心配が募った。


 幌馬車を見つけた時、本当ならすぐにでも助けたかった。


 彼女に襲いかかるボニファーツも瞬殺したかった。


 彼女の服を引き裂いた手を焼き斬り、彼女を組み伏せた腕を切り落とし、彼女の肌に口付けようとしたその口を鼻と共に塞ぎ、彼女を絶望に堕とすなどと考えたその首を薙ぎたかった。


 怒りに我を忘れた、なんてものではない。


 そうした残忍な考えが過るほどに憤り、狂いそうなほどの嫉妬を覚え、彼女への愛情を暴走させていた。


 それでもギリギリのところで踏みとどまることができたのは、剣を振る瞬間に彼女の悲しむ顔が脳裏に浮かんだからだ。


 彼女を助け出すためにたとえ敵であっても誰かが犠牲になることを、彼女はきっと厭うだろう。


(失いそうになって……気づくとは情けない……)


 ユリウスは言葉にしてやっと、明確に自覚した。


 彼女を離れがたいほどに愛しく思っていることに。


 慈しむような彼の視線を受けた彼女の口からほう、とため息が漏れる。


 アンゼルムが何かいいたそうに近寄ってくるが、テオに「騎士は野暮なことはしないもんだよ」と言われ、不機嫌に顔を歪めて引き下がった。


 アンゼルムも分かっていた。


 リーゼロッテのユリウスへの態度は演技ではない。


 本気だ。


 ユリウスもまた、彼女しか見ていない。


 辺境伯という立場もあるだろうが、その立場を踏まえた上で、リーゼロッテも選び取る最善を尽くしている。


 彼ならば姉を任せられるのでは、と一瞬甘えた考えが浮かび、アンゼルムは身震いするように首を振った。


「でも、どうしてここにいると分かったのですか?」


 リーゼロッテは当然の疑問を口にした。


 いくら領地なし貴族の別荘とはいえ、この屋敷はかなり広い。


 彼女自身もボニファーツの部屋に連れられるまでに、長い廊下を通り幾つもの扉を見た。


 加えて騒がれないように相手を無力化しながらなど、面倒なことをしてきたユリウスたちがどうやってこの部屋まで来れたのか。


「ああ……輝石……バレッタに少し私の魔力を込めておいた。ある程度近くにいれば私だけはその魔力を辿れる。副産物として暗い中でも魔力の光で微弱な光を発する」


 なんてことはない表情で言うユリウスに、リーゼロッテはこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。


「え……そんなユリウス様の魔力付与なんて……!」


 彼女が驚くのも無理はない。


 魔力付与は誰でもできる代物ではないからだ。


 高位魔法を扱える限られた人間しか付与できず、しかも付与できる物すら宝石類や魔力を持つ特殊な鉱石に限られている。


 実際には高位魔法を注ぐというよりは、高位魔法を制御するときの感覚が付与の手順と似ているらしい。


 魔力もそこまで必要ないということだが、高位魔法を使えないリーゼロッテには知識の上でしか分からない。


 分からない、が、今は下位魔法しか使えないだろうユリウスが相当難しいことをしたことだけは分かった。


「……言ったら素直に受け取ってくれないだろう?」


 ユリウスは少し困ったように眉を下げた。


「……あ。だからあの時光ってたのか!」


 思い出したかのようにアンゼルムが口を開く。


 あの時、というのは森で攫われた時だろう。


 一筋の陽の光も差さない曇り空の元、しかも薄暗い森の中でバレッタが光るなどおかしいと思っていたのだ。


「……どうやら、副産物の方も役に立ったようだな……」


 アンゼルムのひとり得心する様子に、ユリウスは苦笑した。











 テオは衣服に付いた埃を払いながら立ち上がると、リーゼロッテと寄り添うユリウスに声をかけた。


「ユリウス、そろそろ伯爵も異変に気付くんじゃないかな」


「そうだな……アンゼルム、リーゼを安全な場所に」


「お待ち下さい」


 身体を離したユリウスに、リーゼロッテは声を上げる。


 凛とした意志の強そうな声に、テオは人知れず口端を軽く上げた。


「私も……お連れください」


「……それは、できない。危険だ」


 ユリウスは当然、首を横に振る。


 報告書を見るに、ボニファーツは典型的な成金二世だが、リデル伯爵の方は違う。


 元武器商という物騒な肩書と一代で富を築き上げたという実績からしても、こちらの弱点を躊躇なく突いてくる御仁だろう。


(………ただ、彼女がいなくなると困るんだよねぇ……)


「でも……」


 引き下がろうとしないリーゼロッテの横に立つと、テオはにっこりといつもの笑みを浮かべる。


「僕はリーゼロッテさんに賛成だよ。一応、この屋敷の中は制圧しつつあるけど、外に出てた配下が戻って来ないとも限らないからね。アンゼルム君は強いけど、彼女を守りながら戦うのは流石にまだ荷が勝ちすぎる」


 同意を求めるようにアンゼルムに視線を向けると、彼は少々悔しそうにため息をついた。


「……私も、テオドア様の意見に賛成です。ここは姉上を守りながら先に進むのが確実かと」


 押し殺したようなアンゼルムの声に、ユリウスは渋い顔を作る。


(ごめんね、アンゼルム君が強いのは十分分かってるんだけど、ここは譲れないんだよ……この国のためにも、聖女のためにも)


 変わらぬ笑みのテオをユリウスはじっと見つめると、諦めたように大きく息を吐いた。


「………分かった。ただし、危険だと私が判断したらアンゼルムと逃げてくれ」


「はい。分かりました」


 頷いたリーゼロッテの表情をユリウスは複雑な思いで見つめた。


(過保護だなぁ……ま、そういうところが良いんだけどさ)


 肩をすくめたテオは、彼女とユリウスに別の意味で複雑な視線を向けるボニファーツの肩を叩く。


「じゃ、君の父上の元に連れて行ってくれるかい?」


「………分かりました」


 やけにあっさりと頷いたボニファーツは、後ろ手に縛られたまま「こっちだ」と先導する。


 後から続こうとしたテオに、アンゼルムは小さく声をかけた。


「テオドア様、一体彼に何を……」


 彼の訝しむような表情が可笑しく感じたテオは、思わず笑いそうになり口元に拳を当てた。


(なかなかの嗅覚だね。これ以上隠す気もないんだけど、ねぇ……)


「ん? うーん、ま、そのうちわかるよ」


 満面の笑みを貼り付け、彼は足早にその場を後にする。


 首を傾げながらも、後を追ってくるアンゼルムの気配を感じながら、


(こういうのはネタバラシが一番楽しいんだし)


と意地の悪いことを考えてはくすりと笑った。

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