49.妹君は対峙する
足場の悪い道なき道を、三頭の馬が駆け抜ける。
ユリウスはロルフの指し示す方向へ馬を操る。
その後ろにテオと、少し遅れてアンゼルムがついてきていた。
しかし彼らがちゃんとついてきているかどうか、確認している余裕はない。
早く、速く、疾く。
木々の合間から覗く空はいつ降り出してもおかしくない鈍色で、幌馬車を視認できる距離まで詰めなければと焦燥感を掻き立てる。
(……リーゼ……!)
もしも追いつけなければ、彼女はリデルの手に落ちる。
アンゼルムの話から彼女を生け捕りにする意図が感じられたが、生け捕りにしたあとの事は分からない。
なにせ相手はいい噂はない彼女の元婚約者だ。
生きた彼女をどう扱うか、考えただけでもユリウスの怒りは募り、手綱を持つ手に力がこもる。
しかし、一つ、あり得ない可能性もまた頭の片隅にあった。
ボニファーツが婚約解消を撤回する可能性だ。
ここまで手荒なことをしておいて流石にそれはないだろう、と思いながらもどうしてもそれはチラつく。
もしも彼が彼女を愛していて、本心から悔いて謝ったとして、彼女もそれを受け入れたとして──。
(……私は彼女の幸せを願って、手放すことができるのだろうか……?)
後方にぴたりとついて走るテオに意識を向ける。
テオもまた彼女を欲している。
しかし彼の場合は愛や恋ではない。
彼女の幸せよりもどちらかと言えば聖女の幸せのために動いている。
だからこそ断った。
だが、元婚約者という一度でも心を通わせたであろう存在が、ユリウスの心をささくれ立たせる。
(らしくない。本当に、らしくない……微塵も可能性のない話を妄想するなど……)
彼は微かに眉間を寄せた。
英雄とも呼ばれる彼が、たった一人の女性に身も心も振り回されている。
さぞ滑稽なことだろうと、彼は馬を操りながら自嘲した。
狭く走りにくい道を抜け、やや視界が開けてきた。
舗装はされていないものの、平らに慣らされ道幅もそれなりにある。街道が近いのだろう。
同時に、ユリウスにも分かるほどに雨の匂いがしてきた。
その匂いに駆られながら、さらに馬を速める。
彼女が最終的に何を、誰を選ぼうと、それを考えるのは後でいい。
たとえ自分が選ばれなくとも。
(私は……リーゼを)
「……………………ユリウス様、多分あれ」
ほどなく、前方に小さなボールほどの暗緑色の物体が見えてきた。
エルの呪術が効いているのか、飛ばせばすぐに追いつけそうだ。
テオとアンゼルムも前方を走る馬車が確認できたのか、ユリウスに追いつき併走する。
「あれです! あの馬車に姉上が! 今なら追いつけます!」
はやる気持ちを抑えられないのか、アンゼルムが声を上げる。
その彼を尻目に、テオは「だってさ、どうする?」と煽るような表情を見せた。
「今の距離を保て」
「何故ですか!? すぐそこに姉上が!」
冷静さの欠片もないアンゼルムの声に、ユリウスは自らの口に人差し指をあてる。
「今まで足場の悪い道を通っていた馬車が普通の道を通っている。ならば敵陣が近いと考えていいだろう」
よく通るその声は一段と低い。
しかし、と声を上げようと彼の横顔を垣間見たアンゼルムは気圧された。
その瞳は屋敷で見た時よりもより明確なゆらめきを伴って、危うく光っていた。
「奇襲で……残らず叩く」
手綱に込められた力を感じたのか、彼を乗せた馬は低く小さく唸った。
「………ぇさん、おねえさん、どうしたの?」
聞き覚えのあるあどけない声に、リーゼロッテははっとした。
茂みの向こうから幼いディートリンデがこちらを心配そうに覗き込んでいた。
背伸びでもしているのか、時折茂みから顔が出たり消えたりしている。
(ここは……)
「ハイベルクの……庭……?」
「そうだよ! じゃなかった……えーと、ですわ! おねえさん、わたしのなまえいったあと、ずっとぼーっとしてたんだから!……じゃなくて、ぼーっとしておられましたのです」
辿々しくも必死に言葉遣いを直そうとする彼女が可愛らしく映る。
彼女の話だと、ここは以前見た夢の続きなのだろう。
前回は動揺してしまったが、夢だとわかっている今はよく出来た夢だと考える余裕すらある。
(ディートリンデ……そういえば昔は早く大人になろうと背伸びしていた時期もあったように思うわ)
リーゼロッテは懐かしさに思わず目を細めた。
「あ、わらったなー! むー……これでもわたし、がんばってるんだから……ですわ!」
むくれた彼女に、リーゼロッテは茂みから出ると優しく笑いかけた。
「ええ、分かります。ですが気楽に話していただけると私も嬉しいです。ディートリンデさん……とお呼びしてよろしいですか?」
「うん、いいよ! おねえさんは?」
「私は……リーゼ、とお呼びください」
「リーゼ、ちゃん? わたしのいもうととにてるね!」
屈託なく笑う彼女に、リーゼロッテは言うに言われない気持ちがして曖昧に微笑んだ。
「ねえ、こっちでいっしょにおちゃのもうよ!」と手を引かれるがまま、温室へと足を踏み入れる。
日当たりのいい場所に作られた温室は、さぞ明るかろうと思いきや、なぜかそこまで明るくは感じられない。
むしろ暗いくらいだ。
見回してみても大量の植物が植えられているはずなのに、どれも雲のように霞んで判別がつかない。
霞の中に浮かび上がるように、ガーデンテーブルと椅子がくっきりと見える。
そこにちょこんと腰掛けた幼いディートリンデは、まるで雲の上の天使のように可愛らしかった。
おそらく、このディートリンデはリーゼロッテの知る今の恐ろしい彼女ではない。
夢の中、記憶が作り出した存在だろう。
ただその全く邪気のない笑顔の彼女もまた、過去確かに存在していた。
「ディートリンデさんは今おいくつですか?」
お茶をいただきながら彼女に問いかける。
「えーっとね……よんさい」
彼女は小さく、ふくふくとした手で四を示した。
「そうですか。四歳。お茶を入れるのもお上手ですね」
「うん、わたし、なんでもできるの」
破顔した彼女は、座ったまま足をぱたぱたと動かした。
かと思えば、「でもね」急にしゅん、と俯いた。
「おうちは、はいっちゃ、いけないの……」
「お家に? どうして?」
リーゼロッテの問いに、彼女は堰を切ったようにぽろぽろ流れる涙と共に話し出す。
「おうちには、わたしじゃないわたしがいるの。そのこ、わたしじゃないのに、みんなはわたしだっていうの。だからわたしは──」
──彼女の言葉は最後まで聞けず、瞬きのように視界が一瞬暗転すると、ハイベルク家の庭は消えた。
「……リーゼロッテ様? ちゃんと聞いてましたか?」
険のある耳障りな声が響き、リーゼロッテはそちら──ダクマーの方へ顔を向けた。
腕組みをした彼女は鉄格子の向こうで細く神経質な眉を吊り上げていた。
段々とリーゼロッテは思い出してきた。
あれから捕らえられた彼女らは幌馬車に揺られた。
気を失ったザシャはヒトの姿にすぐに戻り、身につけている間は獣にならないという特殊な枷を手足にはめられた。
外の景色も幌に遮られ、どこを通っているかもわからず、やっと馬車が停まったと思った時にはもう外は桶をひっくり返したような雨が降っていた。
そうして連れられてきたのはどこかの貴族の屋敷の地下牢だった。
暗く、湿っぽく、黴びた匂いが呼吸するたびに鼻につく。
ザシャは気を失ったまま、牢の角に立てかけられるように座らされていた。
傷の手当ては受けたが体力の消耗が激しかったらしく、不自然な体勢で寝かされているにもかかわらず彼は身動き一つしない。
「ここは……」
「先ほどの説明お聞きになられなかったようですわね」
大きくため息をついた彼女は、小馬鹿にしたような視線を向けた。
「いいですわ。特別にもう一度、お教えしましょう。ここはリデル家の別荘ですわ」
「リデル……ボニファーツ様の?」
「ええ。そのボニファーツ様が、リーゼロッテ様とぜひお会いしたいということで、ここにお連れさせていただきました」
さも当然のように意味のわからない説明する彼女に、リーゼロッテは総毛立つ思いだった。
会いたいから無理やり連れてくる。
しかもザシャやリデル家の配下を傷つけてまで。
その考えがリーゼロッテには全く理解ができなかった。
理解はできないがひとつだけ、自分やザシャはただでは置かれないことだけは分かった。
「なぜ……なぜこんな、誘拐じみたことを」
「決まっているでしょう? あの辺境伯は元婚約者のボニファーツ様とリーゼロッテ様の逢引などお許しになられるはずがない。私でさえ威嚇されたのですもの。ボニファーツ様がご無事で済むはずがない。ならばこうするしかありませんわよね?」
「……だからって……あ、あり得ない、です。こんな、こんなことをして……」
震える声で懸命に抗議の声を上げるが、それすら嘲笑うかのようにダクマーはその大きな口の端をにぃ、と上げた。
「許されるはずがない、ですか? 許されない、誰が誰に?」
「……それ、は……」
リーゼロッテの脳裏にユリウスが強く、鮮明に浮かぶ。
しかし彼はこの場にはいない。
むしろ彼女がいなくなったことすらまだ気づいていないかもしれない。
仮に気づいていたとしても、何もなしにここまでたどり着くなどあのユリウスであっても不可能なことに思えた。
リーゼロッテは唇をきゅっと結んだ。
「では私、そろそろハイベルク家に戻りますわ。ディートリンデ様にご報告しませんと」
ダクマーは勝ち誇ったような笑みを浮かべると、大股で扉へと向かっていく。
「ダクマー! 待ってください!」
リーゼロッテが引き止めるのも聞かず、ずんずんと進み、扉に手をかけた彼女は思い出したかのように振り返った。
「あ、そうそう……そちらの汚らわしい人狼、興奮剤を大量に吸い込んでいるはずですわ。目覚めたらもしかしたら、リーゼロッテ様を襲うかもしれませんね。ヒトの姿でも強い、と伝説では言われてましたし、ね?」
嘲るような口調の彼女に、リーゼロッテは一度目を瞑ると、
「……そんなことは彼は絶対にしません」
と強い口調で返した。
それを強がりだ、負け惜しみだ、と解釈したダクマーは「どうだか」と鼻を鳴らして扉を閉めた。




