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48.元婚約者は激昂される

「お前は……なんてことをしてくれたんだ!」


 リデル伯爵は激昂した。


 リーゼロッテの元婚約者、ボニファーツ・リデルは父のあまりの剣幕に尻餅をついた。


「で、でもあの……」


 しどろもどろの彼に、伯爵はさらに畳みかける。


 それほどのことをこの目の前の息子はしでかしてしまったのだが、肝心の本人はなぜ怒られているのか訳が分からないといった表情でただ怯えるばかりだ。


 そのことが、余計に伯爵を苛つかせた。


「ハイベルク家との婚約を解消したことは間違いではない。聖女に手を出した時点で、聖女が許しでもしなければ没落したも同然だ。解消自体はお前も納得していただろう。それなのになぜあの娘……リーゼロッテ・ハイベルクをわざわざここに連れてきた!?」


 伯爵が商売道具、幌馬車が消えていたのに気付いたのが朝食後のこと。


 最初は知らぬうちに誰かに指示でも出していたかと自らを疑ったが、どうもそうではないらしい。


 訳を知ってそうな用心棒に話を聞けば「ご子息の命令で数人がシュヴァルツシルトに発った」と気まずそうな表情で教えてくれた。


 たまには別宅でゆっくりしたいと言うボニファーツのわがままに付き合ったらこれだ。


 わざわざ()()の拠点にしている別宅を選んだ時点で変だと思っていたのだ。


 ボニファーツは父の膝に縋り付くと、慌てて釈明し始めた。


「ち、父上、違うんです。彼女がちゃんと罪を認めて、僕の潔白を証明してくれないと安心して夜会にすら参加できないのですよ? 僕がどんな扱いを受けているか、父上もご存知でしょう?」


 釈明にすらなっていないその言葉に、伯爵は大きな嘆息をついた。


 息子の置かれている状況は知っている。


 だが、伯爵はいい薬だと思っていた。


 息子は人当たりはいいがそれだけだ。窮地に立たされるとすぐに親の力を頼る。


 突き放せば勝手に親の威光で何かをしでかす。


 その上うまくいかないと人のせいにする。


 身一つで武器商としてその身を立て、戦争がない現在は各地で細々と商いを営んでいる伯爵には、息子の甘えた性格がどうにも我慢ならなかった。


「……くだらん噂は知っている。しかしそれも堂々としていればすぐ立ち消えると言っただろう」


 くだらない、実にくだらない。


 実の息子に、たかが婚約者が決まらないくらいで折角開拓した商売ルートを台無しにされるような失敗をされるなど、くだらなさすぎて伯爵は頭を抱えた。


「すぐとはいつですか? 早く次の婚約者を決めたいのにくだらない噂が消えるまで待たなければならないのですか!」


「そうだ。そもそも婚約解消するときに言ったであろう。王家の正式な回答なしにこの婚約を解消するとなるとそれなりにリスクはあると。それでもすると言ったのはお前だ。そして次の婚約者を決めるのはお前ではない。私だ」


「候補を出すくらいいいでしょう? ちょうど素敵な子がいて……」


「ボニファーツ!」


 堪らず叫んだ伯爵に彼はヒッ、と短い悲鳴を上げた。


 ボニファーツに言い含めている間、まるで子供の駄々だと伯爵は思った。


 伯爵は爵位ある貴族の前に商人である。


 商人の世界は損得だ。


 得が大きければ好みに合わなくとも受け入れ、損が大きければ如何にそれが大切であっても切り捨てる。


 機会があれば逃さず、逆に機を逸したものには手を出さない。


 そして需要がなければ捨て、供給がなければ作り出す。


 そういう世界だ。


 にも関わらず目の前の出来の悪い息子はその基本すら分かっていない。


 彼はずっと、大した努力もしないくせに自分が得を獲るに値する、獲得し続けられると思っているのだ。


 馬鹿な考えだ、と伯爵は否定するように首を振った。


「……犯人が姉か妹かまで絞れているのだ。ハイベルク家の没落は決定しているようなもの。あのタイミングで婚約解消を急かしたお前に責任がある。次の婚約は大人しく待て」


「そんなの待てないよ」


 また口答えを、と伯爵は言いかけてその言葉を押し留めた。


 ボニファーツの様子がおかしい。


 彼は焦点の合わない虚ろな瞳で薄ら笑いを浮かべていた。


「……だからリーゼロッテをここに連れてきたんだ。彼女にはここで死んでもらう」


「……何を言っているのだ」


「彼女が早く罪を認めたらそれで僕は次に進めるんだ。父上だってその方がいいでしょう? 僕がリデル家を継ぐんだ。跡継ぎだって早く欲しいでしょ?」


 先ほどまでとは打って変わって流れるように言葉を繰り出すボニファーツに、伯爵は底冷えするような思いに駆られた。


「お前は……だからってわざわざあの辺境伯に手を出すような真似を……!」


 言いながら、伯爵の声は震えた。


 その言葉は自らにも耳が痛い言葉だったからだ。


 伯爵の心境を知ってか知らずか、ボニファーツは微かに笑い声を上げると虚空を見つめた。


「手なんて出してないよ。彼女が辺境伯の奉公人なんてのも嘘なんだから、リーゼロッテが居なくなっても辺境伯は気にしないでしょ。それに、それを言うなら父上も辺境から亜人を()()()きてるじゃないか。そのついでに一人くらい連れて来てもいいだろ?」


 彼の言葉に伯爵は呻いた。


 辺境伯がリーゼロッテを受け入れたのも、十中八九王家が絡んでいるだろう。


 義理で奉公人として迎え、監視してるようなものだ。


 加えて辺境伯家の奉公人は悉く追い出されるという噂から、彼女がいなくなったとして辺境伯は気にしないだろう。


 ボニファーツの弁も一理あった。


 しかし──伯爵にはそれでも(うなず)けない理由があった。


 辺境伯には、手を出してはならない。過去も含めた商売に気付かれてはならない。


 ──そう、何一つ()()()()()()()()()のだ。


「もうリーゼロッテは捕まえたんだ。あとは殺すだけ。顔も馬車も見られてるだろうし、今更あとになんて引けないよ……ね? 父上?」


 ボニファーツは薄い微笑みを伯爵に向ける。


 その気味の悪い微笑みに、伯爵はこれは本当に()()ボニファーツなのだろうかと疑いの眼差しを送った。


 しかし、その眼差しを受けても彼は表情を崩さない。


 沈黙が続き、伯爵のため息がしばらくして部屋に響いた。


「…………始末するなら自殺に見えるようにしろ」


「分かりました。父上、僕が上手くやりますよ」


 要求が通った喜びか、能天気な笑顔を浮かべた彼は、早々に部屋から出ていった。


 伯爵は椅子にどかり、と腰を下ろした。


 息子とほんの少し話をしただけなのに、まるで異国の貧民から値引き交渉を粘られたときのような疲れがどっと押し寄せる。


「……あの馬鹿息子め……」


 残された伯爵は、苦々しい表情を浮かべた。


 ──伯爵は二つ、大きな思い違いをしていることに気付いていなかった。


 ひとつは、今までユリウスが奉公人たちの行く末を気にかけなかったからといって、リーゼロッテのことを気にかけない証左にはならないということ。


 そしてもうひとつは、全てではないにしろ伯爵の悪行を暴き、彼が既に向かってきているということだ。


 伯爵は葉巻を咥えると束の間の安息を味わった。


 それが最後の安息になるとは知らずに──。

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