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47.少年伯は静かに怒る

 ユリウスの言葉に、一同はざわついた。


「リデル家が……」「そんなバカな……」と口々に言い合う中、アンゼルムだけが沈痛な面持ちでユリウスに問う。


「しかし……非常に恥ずべき事ですが、我がハイベルク家使用人、ダクマーをこの目で見ました。彼女、いや、ハイベルク家とリデル家が繋がっているとお思いですか?」


「……今のハイベルク家が私や王家に断りもなくリーゼの追放を解く理由がない。数日前にダクマーを名乗る使用人が来たが、リーゼに触りが出たので追い払った。ダクマーの独断でリデルと繋がっていると考える方が自然だろう。もちろん、可能性の一つでしかないが」


「確かに……」


 ダクマーが辺境伯家に現れたことに驚きかけたが、長姉の差し金だろうとすぐに思い至ったアンゼルムは深くは聞かなかった。


(ディートリンデ姉さんのことだ。どうせろくな用ではない)


 詳しく聞いたところで苛立ちが増すだけだ。


 姉が攫われて気が立っているアンゼルムは、そもそもユリウスがダクマーを斬り殺してくれていればこんなことにはならなかったのでは、とすら思うほどだった。


 しかしそれはただの八つ当たりだ。


 他家の使用人を不躾だからと斬殺するなど、他家に宣戦布告するようなものだ。


 あってはならない事だと彼も分かっているが、それでもダクマーがリーゼロッテにしてきたことを考えれば殺してくれて構わなかったのに、と思わざるを得ない。


 そこまで考えたアンゼルムは気づいた。


(……ならばこうなる前に僕がやればよかったはずだ。なぜ、僕はこの人にそこまで求める……?)


 アンゼルムはユリウスを見上げた。


 全体的に白く女性と見違えるほど美しい彼に受ける印象は冷たい、の一言だ。


 言葉も短く、素っ気ない。


 奉公人や使用人が攫われても冷静で、焦る事もない。


 一見、彼らを見捨てることすら考えてそうだ。


 しかし、その瞳の奥に燻る何かが、強くアンゼルムに揺さぶりをかける。


 それこそが、ユリウスにかける期待と恐れの正体だと、彼は感じていた。


「しかし、亜人を捕まえるにしてもかなり抵抗されるかと……」


 アンゼルムの視線に気付かないユリウスは、隊長の疑問に頷いた。


「それは『谷落とし』を使ったのだろう」


「閣下、先ほどから仰られている『谷落とし』とは一体何なのでしょう?」


「この国では自生していないから知らないのも無理はない。『谷落とし』はとある花の別名だ。ヒトには全くの無害だが、鼻が利く亜人やそれに準ずる者には絶大な効果がある。嗅いだ者に高揚感を与え、引き寄せる。興奮剤、といえば分かるか?」


 ユリウスの問いかけに隊長は得心したように唸った。


「つまり……亜人たちは自ら誘拐犯の元に近づいていった……と?」


「そういうことになるな」


「なるほど……」


「……デボラ、例の地図を」


 隊長との話を切り上げたユリウスに、デボラが腕の長さほどはあろう地図を広げた。


 辺境伯領周辺が描かれたその地図上には、いくつかのバツ印が書かれている。


 その印の意味は誰一人として聞かなかったが、おそらく、敵の拠点か潜伏先の候補だということは想像できた。


(辺境伯……ここまで調べがついていたのか……)


 アンゼルムは唇を噛み締めた。


 彼が辺境伯領に来て日は浅いが、もしも自分がユリウスの立場だとして、ここまで当たりをつけて調べることができていただろうか。


 ユリウスと自分の違いをまざまざと見せつけられている気がして、アンゼルムは奥歯を噛み締めた。


「馬車の向かった先は分かるか?」


 ユリウスの問いかけに、はっとしたアンゼルムは、思考を巡らせる。


「それが……この辺りまで車輪の跡はあるのですが……そこから先は分かりません」


 地図の一点を指差す彼に、ユリウスはやや渋い顔を作った。


 そこは旧街道、とも呼ばれる古い街道だ。


 と言っても舗装も整備もされていない。


 途中まで車輪の跡を追えたのもそのおかげではあるのだが、ほとんど道がないようなものなので幌馬車がどこに向かったのかは分からない。


 指の置かれた場所から一日以内に移動可能な範囲の中に、バツ印は六箇所ほど。


 これ以上はとても絞り込める気がしない。


 行き詰まったか、と誰もが目を伏せかけた。


「……………………ユリウス様」


 皆が諦め半分に唸っていたところ、ふと、黙りこくっていたロルフが口を開いた。


「どうした」


 ユリウスの問いかけに、彼は眠そうな(まなこ)を向けた。


「……………………僕なら分かる」


「ロルフ!」


「……! そうか」


 イーヴォがロルフの肩を掴んだのと、ユリウスが何かに気付いたのは同時だった。


「どういうこと?」


 いまいち話がわからないといった表情のテオが三人に問いかける。


 言いにくそうに口ごもったユリウスとイーヴォの代わりに、ロルフがどろん、とした顔をテオに向けた。


「……………………僕、亜人のクオーター。亜人の血、僕、少ない。でも鼻はいい。『谷落とし』、匂い追える。絶対、惑わされない」


 ぽつりぽつりと呟くような彼の言葉に、皆の表情が希望に満ちてくる。


(そういえば聞いたことがある……亜人と人間の混血でも亜人の血が薄いとヒトに似た種……確か()()()と呼ばれる者になると)


「わお。君いいね」


「しかしロルフはまだ十歳です。戦力として見てもまだ未熟、足手纏いになります。私をお連れください」


 イーヴォが必死にユリウスに訴えかけるが、それをロルフは制した。


「……………………父さん、『谷落とし』、効く。父さん、ダメ。それに………」


 彼の瞳に鋭い光が宿った。


「リーゼ、攫ったやつ、許さない」


 あまりの剣幕にイーヴォをはじめ、見習い騎士や隊長までもがたじろぐ。


 一瞬見せたロルフの激情に、アンゼルムはザシャの面影を見た。


(彼は……もしかしてザシャって人の……)


 ロルフの強い横顔に熱いものを感じたアンゼルムは、拳を握りしめた。


「アンタ、ここはロルフに任せな」


「デボラ……」


 イーヴォの肩を掴み、デボラはふっと微笑んだ。


 その微笑みは寂しさの中にほんの少しの諦めが込められているようで、イーヴォはため息をついた。


「ロルフ、ザシャとリーゼを頼んだよ?」


「……………………ん」


 両親に思いを託され、ロルフは力強く頷いた。


 心なしか少し嬉しそうに見えたのは、アンゼルムの気のせいだろうか。


「……では、お急ぎください。いかにロルフが鼻がいいと言っても雨が降っては匂いが消されてしまいます」


 イーヴォはそう言うと、馬の準備をするためいそいそと玄関から出て行った。


「騎士団を待っている時間はない。ここから数人、選抜して幌馬車を追う。状況に応じて敵の本拠地も叩くことになるだろう。手練れを連れて行きたい」


「となると編成は僕とロルフ君、あと見習い騎士数人、ということになるかな?」


 ユリウスの言葉に同意したテオは、引き寄せるようにロルフの肩を抱いた。


 急に触られて驚いたのか、ロルフは頬を微かに引きつらせると非難じみた視線をテオに送る。


 しかし彼は全く気づかぬ様子でいつもの軽薄そうな笑みを浮かべていた。


「……いや、私が出る。テオは残ってくれ。諸君らの半数はここに残れ」


 対してユリウスは表情筋をぴくりとも動かさず指示を出す。


 そのあまりの無表情の圧に、見習い騎士たちは思わず頷きかけた。


 しかしその前に、テオが手を横に振って否定する。


「いやいや、そういうわけにはいかないよ。君は辺境伯だ。ここにいなきゃね。それに、こういうことは僕がいないと丸く収まらないよ?」


「………どうしても引く気はないか」


「ははは。僕は頑固だからね。隊長君、君はどう思うんだい?」


 隊長に問いながらも無言で見つめ合う二人。


 一触即発の雰囲気をアンゼルムを含め、見習い騎士たちは固唾を飲んで見守る。


 その二人の間に挟まれる形の隊長は、対称的な二人を交互に見ると、消え入りそうな声で意見を述べた。


「し、指揮官がいらっしゃらないと私どもも……この辺りの地理に詳しい方が残っていただかないと厳しいかと……」


「だってさ。ユリウス、君は残るべきだよ」


 テオはさらに笑みを深める。


「私は……」


 一段声を落としたユリウスは、テオを真っ直ぐ見つめていた。


 途中で口を噤んだユリウスにアンゼルムは思わず数歩退いた。


 他の者にはテオの口撃にユリウスが口ごもったように見えただろうが、彼には全く別に見えた。


 その紫電の瞳の奥に激しく、ぞっとするほど美しい(ほむら)が燃え立っている。


 立ちはだかる者全てを焼き尽くさんとするその炎に、彼は図らずも見入ってしまった。


 双方動かず、短い沈黙が落ちる。


 その沈黙を破ったのは彼女の一声だった。


「お主ら、妾を忘れておらぬかの?」


 困り顔を扇子で隠し、エルは二人に声をかけた。


 微笑みを浮かべていたテオは、両手を軽く上げて息をつく。


 まるでエルの申し出が気に入らなかったような仕草に、アンゼルムは首を捻った。


「……エル……いや、しかし……」


「何を迷うておる。リーゼロッテが暴走したら止められるのはユリウス、今のところお主しかおらぬ。それに」


 言い淀むユリウスに言い放った彼女は、一息つくと意味ありげな視線をテオに送った。


「……そちらの御仁も必要じゃろ」


「だってさ」


「……好きにしろ」


 嬉々とした様子の彼に、ユリウスは深いため息をつく。


 どうやら一触即発の危機は脱したらしい。


 二人に挟まれて狼狽していた隊長をエルは扇子でひとあおぎした。


「隊長殿もそれでよかろう?」


「は、はいっ。高名なエルメンガルト様の指揮下に入れるとは恐悦至極。願ったり叶ったりでございます」


「そう硬くならずと良い。となると戦力的に見習いは全員居残りじゃな」


 堅苦しい敬礼をする隊長にエルはほほほ、と声を出して笑った。


 行くぞ、と踵を返したユリウスたちを見習い騎士たちが整列し見送る。


 アンゼルムもまた、その中の一員に加わった。


 ──しかしこれで良いのだろうか。


 彼の中に迷いが生まれた。


 いや、今生まれたものではない。


 ユリウスの怒りを静かに押し込めた激しい瞳を見たからか。


 それともロルフの猛々しく光る瞳を見たからか。


 もっと言えばずっと、ザシャが残ると言ったあの時からそれは燻っていた。


「お待ちください」


 口をついて出た言葉は、思いの外玄関ホールに響く。


 皆が驚きの視線を向ける中、ユリウスだけは静かに立ち止まった。


「僕……いえ、私も連れて行ってください」


 彼の背中に頭を下げる。


(この人のことは嫌いだ。それでも……)


「姉が攫われそうになっても私は何もできませんでした。私の手で助けることは無理でも……せめて、その手伝いはしたい」


「……相手は問答無用で殺しにかかってくるだろう。それでも、姉のために、この国のために剣を振るえるか?」


 背を向けたまま問うユリウスに、アンゼルムは拳を握りしめる。


「……………はい」


 掠れた声に、ユリウスが微かに頷いた気がした。


 成り行きを見守っていたテオが、努めて明るい声で茶化すようにユリウスを小突く。


「あーもーユリウスは堅いなぁ。リーゼロッテさんを助けたい、それだけで十分だよ。ね、アンゼルム君」


「あ、はぁ……どうして私の名前を?」


「さぁ、どうしてだろう」


 意味ありげに笑うテオを訝しみながらも、ロルフに「よろしく」と手を差し伸べられその手を取った。


 馬に跨り出発しようとしていたところ、「そうじゃ」とエルが扇子をぱちり、と音を立てて閉じた。


「妾が一つ手向けてやろうかの」


 扇子で宙に何かを描き出すと、微かに黒い紋様が浮かび上がる。


 突然のことに、誰かが「……呪術……?」と惚けた呟きを漏らした。


「馬四頭、じゃったな?」


「は、はい」


 急な問いかけにアンゼルムが答えると、彼女は瞳を閉じて集中し出す。


 黒い紋様がはっきりと見えた、と思ったら徐々に弱まり、消える。


「……ふぅ、これでいいじゃろ」


「エル……」


 辺りを見回すが、特に変わったところはない。


 ユリウスが困惑した表情でエルに説明を求めた。


「領内で四頭固まって馬車を引いてそうな馬を鈍足にしてやった。これで道中追いつけずとも時間稼ぎくらいにはなるはずじゃ」


「そんな芸当が……」


 隊長の驚嘆に、彼女はやや気怠げな表情で微笑んだ。


「なに、ちと疲れるが名もなき馬でも(かわず)でも、魔力が少しでもあればなんでも術にはかけられる。人間の方が名がある分、容易いがの」


「すまない、恩に着る」


 馬上から頭を下げたユリウスに、エルは目を細めた。


「日頃楽しませてもらってる礼だとでも思って貰えば良い」


「……すまない」


「いいから早う行くが良い。囚われの姫を助けるのじゃ、王子様」


「揶揄うな。……留守を、頼む」


 ロルフを前に乗せたユリウスは馬を操り、駆け出した。


「大丈夫でしょうか……」


 ユリウスたちの背中が豆ほど小さくなった頃、隊長が不安げに口を開いた。


「大丈夫じゃろ。アレが本気になったらこの国の半分は吹き飛ぶ」


「え」


「冗談じゃ。あやつも手加減できる男である故、心配いらぬ」


 冗談にならない冗談に、隊長が引きつった笑いを浮かべる。


 ──もっとも、怒り心頭な今のユリウスに手加減ができるかどうかは不安ではあるが──などと、エルは澄まし顔で彼らと敵の行く末を案じた。

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