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46.弟君の後悔

(遅かった………)


 玄関ホールで膝をついたアンゼルムは拳を床に叩きつけた。


 馬を拾い、全速力で駆けて隊長とテオに報告した彼は、数人を率いて幌馬車を見た場所に戻った。


 しかし、そこには幌馬車は既になく、リーゼロッテとザシャの姿も見当たらなかった。


 戻るときに見なかった傷ついた木や真新しい木屑、そして血痕──誰かが派手に争った形跡だけが見つかり、アンゼルムは肝を冷やした。


 床を叩き続ける彼を、仲間達が無言で見つめる。


 伯爵令息で最年少首席と、最初はアンゼルムに浴びせられたやっかみや嫌味も多かった。


 しかし、彼が影で努力に努力を重ねていることを知っている仲間達は、かける声が見当たらない。


(僕が残っていれば……! ……いや、残ったところで一人で何ができたのか……)


 争った現場と思われる場所は、見るも無残なものだった。


 もし彼が残ったとしても、あそこまで大立ち回りをした痕跡にはならなかっただろう。


 数人の男から姉を守りながら剣を振るう姿は容易に想像できても、それが実際可能なことかと言われると、判断力に一定の評価がある彼には不可能だということが分かっていた。


 だからこそ、あの場を自分より実力者であろうザシャに任せたことは正しい。


 正しい、が、しかし──。


 アンゼルムは自分の不甲斐なさに頭を打ち付けようと振りかぶった。


 その時だった。


「やめろ」


 短く、しかしはっきりとした声が響く。


 ボーイソプラノのような独特な柔らかい声質だが、なぜかその言葉に抗えない気がしてアンゼルムはゆっくりと顔を向けた。


 白糸のような細い長髪を微妙に色の違う二本の布紐で結い、紫電の瞳を(たた)えた中性的な容姿の少年──ユリウスの面影があるその少年に、一同の戸惑いの視線が集まる。


 その後ろには従僕の少年やメイド長、御者の亜人も控えていた。


「現状はどうなっている」


「いや、君は一体……」


 指示を出しながら階段を降りる彼に、隊長が困惑の声をかけた。


 辺境伯に似ている彼に、強い態度で出られないのだろう。


 皆一様に隊長と同じような表情を浮かべている。


 ただ一人を除いては。


「あれ? もうかくれんぼはおしまいかい?」


 微妙な空気の中、呑気な声がホールに響く。


 玄関ホールの端でテオが背中を預け、いつもの感情を出さない笑みを浮かべている。


「緊急事態だ。知ってるだろうが、リーゼとザシャ……使用人が攫われた」


「そりゃ大変だ……っと」


 さして慌てる様子もなく、彼はユリウスを挑発的な笑顔で見つめる。


 まるでこの先どうするのか、と問うような視線だ。


「テオドア様、この子は一体……?」


 全く把握できてない隊長はテオに説明を求める。


「ああ、彼は正真正銘、ユリウス・シュヴァルツシルト辺境伯さ。訳あって今はこんな姿だけど……身柄は僕が保証するよ」


「保証ったって……」


 事もなげに種明かしをするテオに、隊長は胡散臭い視線を送る。


 そもそもテオ自体、出自も所属も怪しく、ユリウスが呼び寄せた騎士というだけで従っていたようなものだ。


 そのユリウスがこうなってしまったら二人とも怪しい人物に見えてきて、隊長はさらに混乱した。


 見習い騎士達も似たような感覚なのか、皆顔を見合わせている。


「では妾も保証しようかの」


「あなたは……エルメンガルト様!」


 騒ぎを聞きつけてやってきたエルが、隊長に向けて妖艶に微笑みかけた。


 その微笑みに、隊長をはじめとした見習い騎士達は(とろ)けるような表情を浮かべる。


「隊長殿が戸惑う気持ちも分からんでもないが、こやつがユリウスなことは変わりない。今はどうにかそれで納得してくれんかのぉ?」


「……分かりました。深くは聞きません」


「うむ。素直じゃの」


 にこり、と笑った彼女に隊長は微かに頬を染めた。


「では……現状報告を」


 幾分か冷たい表情のユリウスが、隊長を促した。


「は。現場に居合わせた見習いから報告させていただきます……おい」


「……はい。任務先から帰還中に奉公人リーゼロッテ・ハイベルクが賊に襲われる現場に遭遇。追跡し、街道外の森の中で一輌の幌馬車を発見。辺境伯家使用人に陽動を任せ、帰還後見習い騎士数名を率いて捜索するも幌馬車、奉公人、使用人共に見つけることができず……」


「……」


 項垂れていくアンゼルムを、ユリウスはじっと見つめた。


 報告すればするほど、自分の出来の悪さが嫌になる。


「申し訳、ございません……」


 自己嫌悪から絞り出した声は虚しく、情けない。


 額を擦り付けるように下げた彼を見下ろすユリウスの瞳からは、同情も蔑みも無い。


 凪の様に何も無い。


 ただその瞳の奥で、何かが静かに燻るように強く光っていた。


「謝罪はいい。既に辺境騎士団には応援を寄越してもらうよう頼んである。他に何か、無かったか?」


「………あ」


「どうした」


「いえ、その使用人……ザシャという者から言伝(ことづて)が」


 顔を上げ、確か、と前置きをしたアンゼルムは一文字一文字を違えぬよう慎重に口を開く。


「『谷落とし』、と言えばわかる、と」


「『谷落とし』……なるほど」


 ひとり納得するかのように頷いたユリウスに、アンゼルムもいや、その場のほとんどの人間が首を傾げた。


「幌馬車はどのくらいの大きさだった」


「そうですね……かなり大きかったかと。馬は確か……」


「四頭。そして幌の色は暗緑色、ではなかったか?」


 ユリウスに覗き込まれるように言い当てられ、アンゼルムは目を見開いた。


 まさか、『谷落とし』の一言でここまで分かってしまうとは思いもしていなかった。


(どういう……なんで……?)


「当たりのようだな」


 混乱するアンゼルムの表情にユリウスは微かに口端を上げた。


「なになに? どういうことかな?」


 成り行きを見守っていたテオが、どこか愉しそうに聞いてくる。


「つまり、リーゼとザシャを攫った人間と亜人失踪を引き起こしている人間は同じだ。おそらく、その人間はベトルーガ商会……リデル家と繋がっている」

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