40.妹君は落ち込んでいた
はぁ……。
もう何度目かわからないため息がリーゼロッテの口から漏れた。
彼女はいつもの通り、自分が力を使い蘇らせた木の下にいる。
いつもならばそこで自分の力を少しでも認める気にはなるのだが、今日ばかりはそんな気分にはなれなかった。
「あまり乙女がため息などつくものではないぞえ」
「……え、エル様……どうしてこちらに」
「ユリウスに呼ばれたのじゃ。見習い騎士がおる故、機密が漏れることに敏感になっておるのであろ」
エルはリーゼロッテの横に立つと、扇子をぱらりと開いた。
表向きは病床に伏したユリウスの治療のために、しばらく屋敷で寝泊りをするという彼女だが、その実、ユリウスの部屋に許された者しか入れない結界を張るために呼ばれている。
「何があったのかは……聞くまでもないか。大方、あやつが拒否したのじゃろ?」
事もなげに言うエルに、リーゼロッテは更に肩を落とした。
彼女がここに来たのはユリウスに拒絶されたことへのある種の現実逃避のためだった。
しかし、実際に他人から「拒否された」と言われてしまうと現実を理解せざるを得ない。
「…………私は役立たずでした。肝心な時に力を使いこなせなくて、ユリウス様にも……拒まれてしまって…………」
「ふむ……」
「この力をあの方に使えないのなら、いったいどこで使えば……! ちゃんと私が使いこなせれば、ユリウス様も部屋にこもられることなどなかったのに……」
リーゼロッテは俯き、唇を噛んだ。
肝心な時に役に立てないのが悔しい、それ以上に訳もわからず拒まれたことが辛かった。
顔を伏せた彼女の様子に、聖女の本分は自己犠牲とはよく言ったものよ、とエルは内心ひとりごちた。
もちろん彼女の場合は聖女だからという理由の他に、想い人への気持ちがあるため致し方がない部分はあるのだろう。
ではあるのだが──。
「お主……いや、お主らは互いに少しばかり過保護すぎるの」
思いの外辛辣な言葉が飛び、リーゼロッテは顔を上げた。
エルの表情は扇子に隠れてよく見えないが、辛辣な言葉の割に毒々しさや刺々しさは感じられない。
「考えてもみよ。あやつが辺境伯になってから今までの十一年間、一度も辺境が危機に晒されたことがないと思っておったか? 屋敷に訳を知らぬ者を招く日がなかったと思っておったのか? あやつは自分の身体がどうであれ、職務は全うする人間ぞ」
「でも……私が力を使えればこんなことには」
「使わせないと決めたのはあやつじゃ。使わなくてもなんとかできる、するという算段があったから魔力を使わせなかったのじゃ。お主が気に病むところではない」
すっぱりと言い切られて、リーゼロッテは口を噤んだ。
たしかに言われてみればそうだ。
エルの言葉は間違ってはない。
ユリウスはリーゼロッテの力などなくてもやってこれていた。
彼女がいなくとも、大人の姿に戻れなくとも、きっと彼は見習い騎士たちを屋敷に置いただろう。
リーゼロッテは、彼のことを見誤っていたことを今更ながら恥じた。
「お主は知らぬと思うが、あやつは敵にも味方にも悟られることなく敵を全滅させることもできる人間じゃ。いやもうあれは化け物じゃ」
大袈裟な、とも思うが、実際ユリウスならばできてしまうのだろう。
その証拠にエルの顔は大真面目だ。
思わずリーゼロッテの頬が緩む。
「それに、お主はもしあやつから、しなければならないからと義務感でキスをされたとして、それは嬉しいのかえ?」
「それ、は………」
確かに嫌かもしれない。
(……あら? エル様はどうしてご存知なのかしら……あらら? エル様のお話ではユリウス様は私のことを……ということにならないかしら……)
一瞬おこがましい考えが浮かんで、慌てて真っ赤な顔で首を振った。
その様子を全力の否定と受け取ったエルは、微笑ましいとうっすら笑みを浮かべた。
「あやつはあれで古風じゃからの、お主が後に傷つくような行為はさせたくないのじゃ。身体を大事にしろということじゃろ」
分かりにくい、非常〜に分かりにくいがの、とエルは頷きながらどこか哀れみの目でリーゼロッテを見た。
「あ、の……ユリウス様のこと……私……あれ?」
「見ていればわかる。むしろバレておらぬと思っているとはお主、なかなか面白いのぉ」
心底愉快そうな彼女の笑い声に、より一層頬が熱を帯びる。
首を縦にも横にも振ることができず、ただ赤い頬を両手で挟むことしかできないリーゼロッテに、エルは更に笑いが止まらなくなった。
「さて……妾はそろそろ部屋に戻るかの。お主はどうする?」
いつもならばもう日が高く上っている頃だが、あいにくの曇天でそれはまったく見えない。
「私は……もうしばらくここにいます」
「そうかえ。天気も怪しい故、程々にの」
「はい、ありがとうございました」
踵を返したエルの背中を、彼女は幾分か気の晴れた表情で見送った。
屋敷の玄関をくぐったところでエルは見慣れない人物に出会した。
襟足が伸びっぱなしの赤髪に、相手の懐に瞬時に入り込むような人懐こい笑顔──テオが壁に背を預け待ち構えていた。
「エルメンガルト・グライナー様、ですね? お噂はかねがね」
軽やかに紳士の礼をするテオに、エルは考え込むような素振りを一瞬見せた。
「……あやつが呼んだ新しい指揮官殿かの?」
「ええ、テオドアと申します。以後お見知り置きを」
「お見知り置きなどせぬ」
ぴしゃりと言い放った彼女だったが、テオの笑顔はびくともしない。
こやつ食えぬな、とエルは警戒を強めた。
「なぜでしょうか? 私はユリウスの事情も存じております」
「あやつのことは関係ない。真名を名乗らぬ者を妾は信用などせぬ」
冷ややかな視線を送ると、一瞬目を見開いたテオは実に愉快そうに目を細めた。
「……さすが、最強の呪術師様。なんでもお見通しというわけですか」
「魔法医じゃ。つまらぬおべっかは要らぬ。わかったらそこを退いてくれぬか」
エルは間髪入れず訂正すると、畳んだ扇子で追い払うような仕草をした。
こういう腹の内を晒さぬ男とは関わりあいたくない、と不快感を露骨に顔に出すが、それでもテオは屈しない。
涼しそうな笑みを一層深くして、なおも彼女の前に立ち塞がろうとする。
「それは申し訳ございません。お詫びと言ってはなんですが、くだらない身の上話に付き合っていただけないでしょうか」
「お主……怒らせたいのかの?」
エルは一段落とした声で、冷然と睨めつけた。
「いえ、とんでもございません。ですが、私の話が彼らの今後に関係ある、とすれば……どうされますか?」
先ほどとまったく同じ笑みのまま、テオはゆっくりとエルに問う。
「残念じゃったの。あやつらは妾の弱みではない。妾のただの楽しみ、余興じゃ」
開いた扇子を口元に当て、くすくすと笑うエル。
その瞳はまったく笑っておらず、テオの一挙一動をくまなく観察している。
しかしその視線さえも受け流し、笑顔を消さないテオの立ち振る舞いに、彼女はこの男は誰かに見られることに慣れすぎている、と感じた。
誰か、それも大勢の人間に。
でなければここまで堂々と、しかもボロを出さず肝心なことは何も話さないやり取りなどできるはずがない。
こうした嫋やかな振る舞いの人間は、自分の要求が通るまで決して折れないと経験上知っていた。
面倒なやつと関わりがあるのぉ、とエルは小さく舌打ちした。
「……しかし余興も邪魔されれば興醒めするというもの。お主はそれを理解した上でくだらぬ話をするつもりかえ?」
扇子越しに向ける視線を強くするが、テオはまったく気付かない様子で満面の笑みを浮かべた。
「ええ。それはもう。少なくともエルメンガルト様に悪いようにはさせません」
まったく厄介な男に目をつけられたものよ、とエルは大きくため息をついた。




