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38.妹君は役に立てない

 ザシャがいなくなったことをリーゼロッテが知ったのは、その日の夕刻だった。


 仕事に復帰した彼女が、見習い騎士たちが話しているのを聞いてしまったのだ。


 しかも話では「ユリウスがザシャを追い出した」ことになっている。


(……ユリウス様に限ってそんなこと……)


 リーゼロッテは彼から直接話を聞こうと、書斎の扉をノックした。


「私です……お話があります」


 一瞬の沈黙ののち、扉を開けて出てきたのはテオだった。


「お話中でございましたか……申し訳ございません」


「ううん、いいんだ。もう話は終わってたようなものだったから。それに」


 頭を下げかけたリーゼロッテに、彼はぱたぱたと手を横に振った。


「君から話があるって言われて無碍にするような男じゃないよ。君の婚約者候補殿はね」


 ウインクを一つすると、彼は後ろ手を振って去っていった。


 リーゼロッテはひとつ、深呼吸をすると書斎に入室した。


「……どうした。珍しいな」


 いつも通り淡々とした声の調子の彼だが、彼女にはほんの少し気落ちしているように聞こえた。


「……ザシャさんのことです」


 硬い口調の彼女に、ユリウスはまるで予想してたかのように抑揚のない声で「ああ」と短く返事した。


「立ち話もなんだ。座ってくれ」


「……はい」


 促されるまま、ユリウスの対面のソファに腰掛ける。


「……ザシャは出ていった」


 両手を組んだ彼は、ぽつりと呟いた。


「何故、ですか」


「……個人的な事情だ。それ以上は話せない」


「…………」


 重苦しい沈黙が落ちる。


 ザシャのことを語るユリウスはどことなく痛々しい。


 沈痛な面持ちの彼に、リーゼロッテは彼自身もザシャがいなくなったことで傷ついているのでは、と感じた。


「……そんな顔をするな……その……ザシャには特殊な事情がある。それを本人の許可もなしに話すことはできない」


「それは……」


 彼女は首を振った。


 ザシャの事情が何であれ、話せないというものを無理に話せとは言えない。


 それに、なにより、目の前のユリウスがこんなにも苦しそうなのが辛かった。


「決して……リーゼを軽んじてるわけではない。私のことをどれだけ疑ってくれても構わない。だが、それだけは信じてほしい」


 頭を下げた彼の、長い髪がさらりと肩から落ちる。


 何故かそれが泣いているようにも見えた。


「……はい……信じます」


 リーゼロッテの声に、ユリウスはそれでも身体を起こさない。


 じっと、下を向いたまま息を潜めていた。


 彼女は彼の横に移動すると、その手を取る。


 白い手は冷たく、冬の水のように凍えていた。


「ですが……お話いただけることは全てお話ししていただきたいです。私は、ユリウス様の全てを……知りたいと、思っています」


「………」


 力強く握った手は弱々しく握りかえされると、彼女の元へと返された。


「私の全てなど……知らない方がいい」


「何故です?」


 食い下がる彼女に、ユリウスは首を振った。


 その顔はいつもより青白く、儚い。


「……ダメだからだ」


「ですが、私はあなたの奉公人ではないのですか?」


「……………」


 リーゼロッテの言葉に彼は押し黙った。


 奉公人──幾度となく使った言葉だ。


 その言葉には最初は監視、という意味があった。


 今ではそんなものはない。あるわけがない。


 むしろ監視の方がまだマシだったかもしれない、とユリウスは頭を抱えた。


 長い沈黙の後、彼は重々しく口を開く。


「では……私がザシャが出ていってくれてほっとしたと言ったらどうする?」


「……!」


 彼の瞳に射抜かれたように、リーゼロッテは固まった。


(……ダメだ。これ以上は……)


 彼は苦しそうに目を伏せると、口を固く締めた。


 テオの話を聞いてからどんどん想いが膨らんだ。


 アンゼルムの決意を聞いてから、より一層彼女を外に出したくなくなった。


 ザシャの告白を聞いてから、誰にも触れさせたくなくなった。


 独占欲しかない自分が嫌になる。


 本当はこの腕の中にリーゼを閉じ込めてしまいたい。


 誰の目にも触れさせず、誰にも会わせず、ただ自分だけを見てほしい。


 これが愛だの恋だのという感情から来るものならば、それは彼女のことなど一つも考えないただの自己満足でしかない。


 大切にしたい、押し付けたくないのに欲ばかりが膨らむ。


 ふと盗み見た彼女の潤んだ表情から、激情に流されそうになるのを必死に食い止めた。


「すまない……今のは、忘れてくれ。困らせた……」


「いえ……」


 彼女は俯き、首を振る。


 口を噤んだ彼女に触れようとした手は引っ込められ、ユリウスは席を立った。


 身体が熱い。


 変な話をしたからだろうか。


 嫌に冷たい汗が、首筋を伝った。


 やけに空気が薄く感じるのは気のせいだろうか、と彼は促迫する呼吸を抑えようと壁に寄り掛かった。


「……しばらく……ここを留守にする……ことも増えるだ、ろう。私の代わりに、テオ……が……」


 ずるり、と彼の身体が壁に沿って落ちる。


 この感覚はまずい、と彼は察知した。


「ユリウス様!」


 駆け寄った彼女の口を手で覆う。


 柔らかく、ひやりとした肌の感触に、抑え込んだと思った欲望が再び顔を出す。


 こんな時まで、と彼は内心苦笑いをした。


「……声を……抑え……人、が……くる……」


 首を振るユリウスの、()()()()()()が揺れる。


(ユリウス様……お身体が……!)


 腰まであったはずの髪が明らかに短くなっている。


『お主の魔力は少年の身体に戻るのに消費してほとんど使えぬではないか』


 エルの言葉がよぎる。


 徐々にユリウスが小さくなっていくと感じるのは、決して彼が座り込んでいるからだけではないだろう。


 彼の纏う服がどんどん緩くなっていく。


 口元を覆う骨張った手が、小さくややふくよかになってくる。


 身体の急激な変化に耐えるように、彼は苦悶の表情を浮かべた。


(どうすれば……)


 この状態で人を呼べば事情を知らない見習い騎士たちも集まってくる。


 かと言って、このまま彼を放置して人を呼びには行けない。


 八方塞がりだ。


 ──ただひとつの方法を除けば。


(……これしか……方法が……)


 そしてそれはリーゼロッテにしかできないことだ。


 聖女の力を使う。そうすれば元通りだ。


 見習い騎士に知られることもなく、指示系統にも影響は出ない。


 むしろこういった時のために、魔力制御をできるようにしたかったのではないか──。


 しかしリーゼロッテは一瞬それを躊躇った。


 まだ、制御には自信がない。


 また暴走でもして、意に反してユリウスの姿が元に戻らないかもしれない。


 ならば、前のように魔力を吸い上げてもらうのが確実だ。


 おそらく彼なら意図を汲んでくれるだろう、意識があるうちならば──そう考えた。


 リーゼロッテは弱く押さえられた彼の手を引き剥がすと、その手を強く握った。


 腹を括ったような彼女の表情から理解したのか、真っ青な顔のユリウスは拒むように激しく首を振る。


 もはや声を出すのも辛そうだ。


 荒々しい吐息が漏れる唇に、彼女はゆっくりと口づけ──ようとした。


「! ユ、ユリウス様っ」


 どうして、と上げそうになった言葉は喉の奥に止まった。


 近づく唇を阻止するように、彼はリーゼロッテを抱きすくめたのだ。


 まだこんな力が残っていたのかと思えるほど、しかし痛くない程度の力でしっかりと彼女を掴んで離さない。


 なんとか脱出しようと抵抗するが、彼もまた顔を背け全力で彼女に抗っていた。


「なぜ、ですか……っ」


 外に聞こえないよう絞った声で問うが、彼の口からはもはや掠れた息しか聞こえない。


 かろうじて途切れ途切れに聞こえるが、それは単語すらわからない音だ。


「……だ、だ……じに………………ゼ……」


 ふいに、リーゼロッテの身体にしがみついていた彼の腕が落ちた。


「……ユリウス様? ユリウス様っ!」


 完全に力の抜けた身体がくたり、と横たわる。


 何度も揺すり名前を呼んだが、少年の身体に戻ってしまった彼が目覚めることはなかった。

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