33.妹君は再会する
(ザシャ……さん……)
リーゼロッテは食堂に向かいながら困惑していた。
まだ動悸が速い。
ザシャは口は悪いが優しい。料理への情熱も人一倍だ。
それは彼女もわかっている。
今回のも彼の優しさと情熱から、手取り足取り教える流れになってしまっただけであって、それ以上のものはない。あれはたまたまだ──と、彼女は自分に言い聞かせた。
一つ作り終えた時、一瞬感じたこともない怖気が走り、すぐ彼から離れなければと思った、などと誰にも言えるはずがない。
微かにまだ、震えが残っている。
そのこともあってか、彼女は早くユリウスの元にたどり着きたいと歩みが早まる。
(いけない、こんな顔ではユリウス様に心配をさせてしまうわ)
両頬を軽く叩き落ち着かせると、リーゼロッテは食堂の扉を開けた。
食堂の長いテーブルを、ユリウスと見習い騎士たちが囲んでいる。
一つ席が空いてるのは誰か離席してるからだろうか。
皆が食事を楽しむ中で、彼は静かに彼らの話に耳を傾けていた。
「ユリウス様、お呼びでしょうか?」
彼に近寄り、話しかける。たったこれだけでもほっとする自分がいた。
「ああ…………? どうした? 少し顔色が優れないようだが」
「な、なんでもありま、せん……」
急に核心をつかれた彼女は慌てて否定したが、その声は微かに震えた。
「……」
ユリウスはしばらく考え込むように彼女をじっと見ると、見習い騎士の方に向き直った。
「歓談中申し訳ない。早急に片付ける案件ができたので退出させていただく」
音もなく立ち上がり、リーゼロッテの耳元で「ついてこい」と囁いた。
その断ることは許されない声色に、彼女の胸はどきり、と音を立てる。
慌てて、しかし主人に付き従うメイドとして自然に見えるように彼について行く。
「……閣下、どちらへ」
廊下に出たところで不意に声をかけられた。
変声期に差し掛かったことを悟られないよう、抑えた若く真っ直ぐな声──離席していた見習い騎士だろうか。
リーゼロッテは道をあけ、しずしずと頭を下げた。
「急用だ。貴君らは食事をゆっくり楽しんでくれ」
「……そちらの方は」
突然自分に話題が移り、彼女は微かに肩を動かす。
「……彼女は私の奉公人のリーゼロッテ・ハイベルクだ。貴君らの逗留中の世話は別の使用人につかせるつもりだ」
声色はそのままに、言外に「私の奉公人に構うな」と牽制するように言うと、彼は身を翻して立ち去ろうとする。
「閣下、失礼ながら私に彼女と話をする時間をいただけませんか?」
真っ直ぐ通る声で頭を下げた見習い騎士の横顔が、彼女の視界に入った。
その横顔に思わず息を呑む。
「……私の話を聞いていたか? 彼女は」
「あ、アンゼルム……?!」
ユリウスの言葉を遮り、彼女は見習い騎士の名前──自らの弟の名前を呼んだ。
呼ばれた見習い騎士は、礼の体勢のまま彼女に顔を向けると、満面の笑みで口を開いた。
「久しぶり。姉さん」
すぐに戻らないといけない、というアンゼルムは、廊下での会話を希望した。
ユリウスは少し離れたところで壁に背中を預けている。
「アンゼルム……全然気づかなかったわ。声も違うし身長も」
「ははっ。そりゃ僕だって成長するよ。いつまでも姉さんに寝かしつけてもらってる小さい弟じゃないさ」
屈託なく笑うアンゼルムに、リーゼロッテはつられて笑った。
彼はあの家の中で唯一の味方だった。
彼女が疑われても「姉さんがそんなことするわけない!」と最後まで信じてくれていた。
とはいえ、彼が騎士養成学校に入学してからはなかなか会えず、嫌がらせもエスカレートしていってしまったのだが。
「……ごめん。僕がついてたらきっと、こんな危険なところに追放なんてされなかったのに……辺境伯も噂じゃ酷い人みたいじゃないか。僕、姉さんが酷い目にあってないか気が気じゃなくて」
ちら、とユリウスの方を見ると、彼は声を抑えて頭を下げた。
(アンゼルム……)
こんなにも彼に心配をかけていたのかと彼女は口元を押さえる。
「……ううん、アンゼルム。私、とても大切にしていただいてるの。だから心配することなんてないわ。それに……」
リーゼロッテはユリウスの方に視線を向ける。
目を閉じ腕を組み、誰も寄せ付けない空気の彼に、どこかほっとするような暖かさを感じる。
「……ユリウス様はお優しいから……」
頬を染めてため息をつくように言う。
彼女の様子に一瞬目を見開いたアンゼルムは、俯きすぐに笑顔を作る。
「……よかった。姉さんが苦労してないならいいんだ……あ、そういえば何か急用なんだろ? 早くいかなくていいの?」
「あ、ああ……ごめんなさい。アンゼルム、今度またお話ししましょう」
「うん、またね」
ユリウスの元に向かう彼女の背中に、アンゼルムは無邪気な笑顔で手を振る。
二人の背中が見えなくなるまで手を振ると、笑顔がすっと消えた。
彼の瞳は鈍く、強く光っていた。
二人の背中をもう一人、見ていた者がいた──ザシャだ。
ユリウスとリーゼロッテは付かず離れず、何も知らない者から見たら、主人とその使用人としか見えない距離感だ。
しかし彼には分かった。
ユリウスが時折、彼女に対して慈しむような視線を向け、いたわるように優しく触れていることが。
はたまたリーゼロッテが彼に向ける視線は、ザシャを含めた他の人間に向けるそれとは全く異なった熱を帯びていることが。
──そして、今、自身が抱えている感情は、主人とその奉公人に対して向ける感情としてはあってはならないものだということが。
「……どーすっかなぁ……」
蹲み込んだ彼はため息まじりに呟くと、両手でその顔を隠すように覆った。