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32.妹君は噛み付かれそう

 リーゼロッテたちは夕食の準備と見習い騎士たちを出迎える準備にと追われていた。


 屋敷は有事の際には兵舎にもなるらしく、普段使用してない空き部屋がいくつもある。


 その部屋を今回、見習い騎士たちに割り当てるらしい。


(見習い騎士の方々……予定よりだいぶ遅いわ……この雨だし、タオルも多めに用意しておかないと)


 彼女は窓の外を見る。


 土砂降りの雨が窓を幾度も打ち付け、風が外の木々を激しく揺らしていた。


 先ほどまでは時折稲光(いなびかり)も見えていたが、今はそれは落ち着き、ただ真っ暗な闇が広がっていた。


 急に恐ろしくなってきたリーゼロッテは身震いをすると、その思いを振り切るように準備に没頭していった。








 見習い騎士たちが着いたのは予定より遅く、夕刻を大幅に過ぎた頃だった。


「悪天候の中、遠路はるばるご苦労であった。この屋敷の当主、ユリウス・シュヴァルツシルトだ」


 玄関ホールの階段の踊り場で、ユリウスはその低く冷静な声を響かせた。


 ホールには今し方着いたばかりの見習い騎士たちと教官、合計十一名が緊張した面持ちで彼の言葉を聞いている。


「事前に聞いていると思うが、諸君らは明日よりこの屋敷及び周辺亜人集落の警護に当たってもらう。着いて早々で悪いが、辺境ひいてはこの国の安寧のため優秀な諸君らの力を大いに奮ってもらいたい」


 先の戦争の功労者を前にした緊張か、感動か。


 重々しい威厳に満ちた彼の立ち振る舞いに誰かがごくり、と喉を鳴らす。


「……さて、ささやかながら夕食を準備した。今日は大いに食事を楽しんで、明日からの任務に英気を養って欲しい。私からは以上だ」


 彼は言い切ると、階段を上がっていった。


 姿の見えなくなったところで、見習い騎士たちは口々に「あれが白の軍神か」「目だけで人殺せるって」「バーカ、ただの噂だろ」「でも迫力あるよな」「緊張したー」とひそひそ囁き合っていた。


 そんな中、ただ一人その輪に入らず、ユリウスがいたあたりをじっと見つめる見習い騎士がいた。


 短く切りそろえた暗めの赤毛に(はしばみ)色の瞳──この国ではよくいる容姿の少年だ。


 周りの見習いたちに比べると少し背が低いが、それは彼が今回の派遣任務を与えられた者の中でも最年少の見習い騎士だからだろう。


 彼は階段の踊り場を睨み付けるように見つめていた。


「お前ら、静かにしろ! 各自割り当てられた部屋に荷物置いたら再度ここに集合してくれ」


 苛ついた教官の声に、テンション高くざわついていた見習い騎士たちはみな口を噤んだ。










 夕食は概ね和やかな雰囲気で進められた。


 リーゼロッテはいつも通り給仕──ではなく、厨房の中で忙しなく動いていた。


 料理人のうちの一人が準備中に腰を痛めてしまい、その助っ人として厨房に入ることになったのだ。


 久しぶりの料理で包丁を持つ手が震える。


 慎重に切っていると、鍋をかき混ぜながらザシャが声をかけてきた。


「悪いな、急にこっちの手伝いなんて。給仕の方が良かっただろ」


「い、いえっそんなことは……ただちょっと大勢に振る舞うなんて緊張して……」


「緊張?」


 言葉を反芻するとザシャは突然笑い出した。


「何言ってんだ。ユリウス様が絶賛するような粥を作る女が。人数増えたくらいで今更緊張なんかすんな」


「す、すみません……」


「謝らなくていいから手を動かす」


 彼は火加減を調整し、手際良く皿に盛り付けていく。


 素早さの中に繊細で丁寧な彼の技が冴え渡る。


(さすが料理長……私も頑張らなければ)


 気合を入れたリーゼロッテは包丁を持つ手を動かしていく。


 彼女を横目で見たザシャは、ふっと笑うと皿をワゴンに乗せた。


「ザシャさん、これの切り方はどうされますか?」


 リーゼロッテが指したのは来客時、メインの飾りにいつも使っている野菜だ。


「あー……それちょっと特殊な切り方なんだが……ま、いいや今日はくし切りで」


「でも……あの飾り、私綺麗だと思います……。わ、私、教えていただけたらその通り切ります!」


 手に持った野菜を握りつぶさん勢いでリーゼロッテはザシャに迫った。


 と言っても、彼女の方がはるかに身長が小さいので迫力も何もないのだが、その懸命さに思わずザシャは吹き出した。


「しゃーねぇな。わかったわかった。教えるから」


 彼の笑いにつられてリーゼロッテもくすりと笑う。


「ではお願いします」と包丁を手に構えると、その手にザシャの手が重ねられた。


(……………!?)


「こういうのは口で言うより慣れろだ」


 彼の声がいつもより近い。


 ザシャは彼女の背に覆いかぶさるような体制で、包丁をゆっくり動かしていく。


 あまりに突然のことにリーゼロッテは言葉が出ない。


 まったく集中できていない彼女にザシャが気付いたのは、飾りを一つ作り終えた時だった。


「これでできあがり。じゃ、もう一回おさらいで」


 ふいに彼女に目を向けると、料理の邪魔にならないようにとまとめたうなじに、思わずむしゃぶりつきたい衝動に駆られた。


 彼女の髪からは生い茂る葉の匂いが微かに香り、顔を埋めたくなる。


 重ねた手や触れた背中越しに、彼女が囚われた小動物のように震えているのがわかる。


 ()()()()()()()()()()、と口の中で呟くと、彼女の首筋に唇を──。


「あ、あのっ……!」


 彼女の振り絞った必死の声に(すんで)のところで我に返ったザシャは、慌ただしく身体を離した。


 先ほど切った野菜のように真っ赤に染まった顔を片手で隠す。


「ご、ごめんオレ何して」


「いえ、その……」


 お互い何をどう言っていいかわからず沈黙が落ちる。


「……………………リーゼ」


「うわ! ろ、ロルフ、いつからそこに!」


 いつの間にかザシャの背後にいたロルフが、ザシャの身体からひょこりと顔を出した。


 そのいつも通り覇気のない顔に、リーゼロッテはほっとため息をつく。


「……………………リーゼ、ユリウス様、呼んでる。ここ、代わる」


「わ、わかりました。ありがとう、ロルフ君」


「……………………ん」


 微かに頬を緩めた彼に礼を言うと、彼女は足早に厨房を出ていった。


 彼女を見送ったロルフは、ザシャに向き直る。


 その視線は鋭い。


「……………………兄さん、さっきの、良くない。リーゼ、ユリウス様の奉公人。怯えてた」


 奉公人、の一言にザシャは小さく呻く。


 一言多い兄と違って、弟は無口だがその言葉は的確だ。


「……悪かった。あとであいつにも謝っておく」


「……………………ん」


 憮然と頷いた彼はゆっくりながらも作業に入る。


 ザシャは大きく息を吐くと、再びまな板に向かった。


 その端には、赤いバラに見立てて作られた飾りが一つ。


「良くない、か……」


 彼は小さく呟くと、そのバラをひとすくいに頬張った。

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