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30.少年伯は手放すなと進言された

「おう、ボウズ! 久しぶりだな!」


 両手いっぱいに荷物を抱えるザシャに、背後から声がかけられた。


 振り返ると筋肉隆々な犬亜人の中年男性が立っていた。


「おっちゃん、もう俺はボウズって歳じゃねーって」


「なに言ってんだ。ボウズはボウズだろ、こんだけひょろっこいんだから」


 頭をわしゃりと雑に撫でられ逃げるように首を振る。


 豪快に笑う男を見て、ザシャはため息をついた。


「……ここもデカくなったな」


 あたりを見回す。


 ユリウスの屋敷からほど近いこの亜人集落は、集落と言うには立派すぎるほど整っている。


 道は舗装され、集落内に点在する井戸はどれも頑強な作りだ。


 そのどれも、亜人のみではなしえなかった。


「ああ、これもボウズんとこの領主様のおかげだ。まぁちょっと他の集落じゃ失踪なんかもあるらしいが、俺はここの暮らし、満足してるぜ」


 腕を組んでうんうん、と頷いた男に、ザシャは心の中で同意した。


 ユリウスは亜人やそれに準ずるものを差別しない。


 外見もほどよく、紳士的なイーヴォに御者を任せたのも彼の采配だ。


 そのおかげで領内での亜人への差別意識は少しずつ薄れてきていると、ザシャは思っている。


「……あ、そうだ」


 感慨深げに眺めていた男が、思い出したように手をひとつぽんと打った。


「領主様んところに新しく嫁候補が来たんだろ? どうなんだ」


「どうって…………」


 ザシャはあの小さな黒髪の彼女のことを想う。


 仕事はなんでもこなすのに、いつもどこか頼りなくて、それでも懸命にユリウスに尽そうとする。


 そしてあの花が(ほころ)ぶように笑う顔と、鈴がころりと転がるような忍びやかな声。


「……別に」


 彼は無意識に緩んだ頬を隠すように顔を背けた。


「ふぅん」


 ニヤニヤ笑う男に、ザシャは居心地が悪い。


「……なんだよ、気持ち悪」


「いやなんでもねぇよ。おら、雲行きも怪しいし、早く帰らねぇと仕込みの時間に間に合わねぇぞ」


 行った行った、と彼の背中を押し手を振ると、男はその背中を見送った。


「あいつもいっぱしの男みたいな顔になりやがって……俺も年取るわけだ……かぁーやだやだ」


 男のぼやきは遠くに聞こえた雷鳴にかき消され、誰にも聞かれることはなかった。











 墨を落としたような灰色の影が雲にかかる。遠雷が微かに聞こえた。


 ユリウス邸の書斎では、ユリウスとデボラが対峙していた。


「先日は申し訳ございませんでした。リーゼの様子が見ていられず、使用人として差し出がましいことを致してしまいました」


 深々と頭を下げたデボラの言う、先日、とは視察へ向かう馬車にリーゼロッテを同行させた件だろう。


(その件はもういいのだが……)


 こうして改めて謝られると、そこまでリーゼロッテが落ち込んでいたのかと反省する。


 少なくともこうしてデボラが気を回す程には。


「いや、それはもういい。私が悪かった。今日は別件だ」


 ユリウスは内心、困惑しつつも頭を上げさせる。


「……ベトルーガ商会について調べてほしい。方法は任せる」


 市内でエーミールからの話を聞いて以降、ベトルーガ商会のことが気にかかっていた。


 裁縫中のリーゼロッテを置いて単身、商会に立ち寄ってみたものの、見た目はなんの変哲もない、毛皮を取り扱う小さな商会だった。


 しかし、どこか引っかかる。


 小さい商会にしては、大量に用心棒を雇っていた。


 しかもその殆どが実力はさほどではなさそうなものの、目つきの悪いゴロツキだ。


(取り越し苦労ならばいいのだが……)


 声をひそめた彼に、デボラはいつもの柔和な表情を険しくした。


「かしこまりました」


 メイドの礼ではなく軍隊式の敬礼をする彼女に、ユリウスは口端を微かに上げる。


「……なにか?」


「……いや、敬礼するデボラを久しぶりに見るなと」


「むしろ私などがメイドをしている方が驚きかと思いますけどね」


 軽口を叩く彼女に思わず苦笑する。


 その笑いを見て、あの子が来てからユリウス様も随分と表情豊かになられた、とデボラは嬉しく思った。


「……ユリウス様」


「なんだ」


 まだ笑いがひかないユリウスに、デボラは真剣な表情で言う。


「恐れながら申し上げます……リーゼを絶対に手放さないでくださいね」


 一瞬きょとん、と目を丸くした彼に、デボラは内心微笑んだ。


「彼女が来てからユリウス様にとって良いことづくめです。彼女はユリウス様の幸運の女神だと私は思っております」


 今はまだ、お気づきでないかもしれませんが、と彼女は心の中で付け足した。


 デボラの弁を黙って聞いていた彼は、鋭く目を細めた。


「言われなくとも……手放す気は無い」


 その力強さに、「要らぬお節介でしたね。申し訳ございません」とデボラは返した。


(そのお節介のおかげではあるのだがな)


 彼はそっと、後頭部に触れた。


 リーゼロッテから贈られた髪紐の柔らかい感触に、彼は頬を緩める。


 彼の微笑みに気づかぬふりをしたデボラは、「それでは」と硬い口調を作って書斎から退出した。


 お互い思い合ってるのは周りからしたらバレバレなのに、肝心の本人たちがどうにもじれったいねぇ、とデボラは内心ひとりごちたのだった。

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