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27.妹君は全てを拒絶、したかった

 正門に伸びる赤く、少し煤けた石畳から外れた煉瓦(レンガ)造りの遊歩道──見覚えがある。


 ユリウスの両親の古木へと向かう道だ。


 しかし、もう切り倒されてしまったのではなかったか。


 訝しむ彼女をよそに、彼は歩みを止めない。


 その理由は、着いてみてわかった。


「え……」


 彼女の予想に反して、古木はそこにあった。


 古木、と言っていいのかは分からない。


 根本から折れそうなほどに朽ちていたはずの幹の色は、周りの木々と遜色ない。


 むしろつい最近植えたと思えるほど若々しく、小ぶりで薄いピンク色の花が咲きごろを迎えていた。


「……これは……一体どうして……」


「やはり覚えていない、か」


 戸惑う彼女に、ユリウスは渋い表情になる。


「どういうこと、でしょうか……?」


「私が案内したあの日、覚えてないだろうが、リーゼはここで魔力を暴走させた。……金色の魔力を」


「え……」


 呆然とする彼女だが、言われてみると思い当たることはあった。


 何度か来たエルが「暴走後の熱は二、三日続く」と言っていた。


 しかし、いくら成績がそこそことはいえ、学院を卒業した人間が魔力を暴走させることなどほぼない。


(……まさか……)


 リーゼロッテの背筋に冷たいものが走る。


「……」


 ユリウスと木から、一歩ずつ、じりじりと後退(あとずさ)る。


 彼女の魔力が暴走したことで、枯れたはずの木が復活した。原因も解き方もわからない魔法が解けた。


 それも、金色の魔力で。


 ──まるでディートリンデの傷が癒えたときのように。


 少し考えればわかるはずだったのだ。


「……リーゼ、君は……」


 彼の言葉を最後まで聞きたくなくて、両耳を塞いだ。


 彼に怖がられるのを見たくなくて、両眼を瞑った。


 それでもまだ足りなくて彼女はその場でしゃがみ込む。


(ユリウス様にだけは……知られたく、なかった……)


 追放されたときはこれ以上行くあてもないから必死だった。


 しかし、いつしかユリウスのそばが心地よく感じる自分がいた。


 ずっとそれが続けばいいと思っていたのに、まさかここでも自分は間違いを犯すとは思ってもいなかった。


(……もう、ダメなのだわ……私はここを去らなくてはならない……)


 小さく両肩を抱く彼女を、不意にふわり、と何かが包み込んだ。


 それが何なのか、幾度か経験した彼女は確かめるまでもなく分かる──彼の腕だ。


「! は、離してください……っ」


「嫌だ」


 即答した彼は、リーゼロッテを抱く力を強める。


 それでも彼女はもがいた。


 しかし、戦争の英雄たる彼の強靭な身体の前にはびくともしない。


「わ、私は……私は……!」


「言うな。言わなくていい」


 落ち着かせるように頭を撫で続け、耳元で「大丈夫だ」と優しく囁く。


 絶望感に奪われていた心が、不思議と元のところに戻ってくるような感覚に、リーゼロッテは戸惑った。


 離して欲しいのに、離れて欲しくなかった。


「すまない……責めるつもりはなかった」


「……」


「ただ、見て欲しかったのかもしれない。リーゼのおかげでこの木を切らずに済んだ……ありがとう」


 私のエゴに巻き込んだことは謝る、と彼は抱いた姿勢のまま少し頭を下げた。


 リーゼロッテは必死にかぶりを振った。


「ちが、……違います、私では……だって私、何も覚えてなくて……!」


「……リーゼが覚えてなくとも私は覚えている。ずっと譫言(うわごと)のように『ユリウス様のため』と言っていた……私のために、頑張ろうとしてくれたのだろう……?」


 ゆっくりと言い聞かせるように語る彼の声に、リーゼロッテは何も言えない。


 覚えていない、でもきっとそんなようなことを思っていた気がする。


 しかし頷くには記憶が曖昧すぎて、黙るしかなかった。


「……リーゼが何者で、どんな力があるかはどうでもいい。私のそばにいろ。離れていくな」


 ──息ができないのは、抱きすくめられているからだろうか。それとも、彼の焦がれるような声を耳元で聞いたからだろうか。


 彼女が聖女であることは、ユリウスも薄々気付いているだろう。


 聖女の力があることに縛られていた彼女にとって、聖女の力など関係ないと言い切る彼は、初めて本心から気を許せる人物のように感じた。


「……はい……」


 小さく答え、彼の背中に手を回す。


 しばらくそうして二人は抱き合っていた。











 それからどれくらい経っただろうか。


「……ユリウス様……」


「ん……?」


 未だ抱きしめてくる彼に、リーゼロッテは躊躇いがちに聞いた。


「そ、そろそろ離していただけませんか……?」


「嫌だ」


 またも即答で答えたユリウスの腕に力がこもる。


「な、なぜですか……! 私、もう大丈夫です……!」


「さっき私から逃げようとしただろう。離したら逃げるかもしれん」


 さも当然のように言い放つ彼に、彼女は真っ赤な顔で対抗した。


「で、でも、私の足は遅いので逃げてもユリウス様ならすぐ捕まえられます! だから離してください……!」


(もう耐えられない……!)


 我ながらよくわからない理論だ、と思いながらも彼女は目をぐるぐるさせて訴える。


 対してユリウスは「それもそうか」とあっさりと身体を離した。


 土埃を払うと、彼女の手を引き立ち上がらせた。


 なぜかその目は少し泳いでいる。


「……あと……あんな話をした後なのだが」


「はい……」


 解放されて幾分か落ち着いたリーゼロッテは小さく頷いた。


「実は……暴走を止めたのは私なのだが……」


「ありがとうございます。暴走したままだったらどうなってたことか……」


 歯切れ悪く、ぽつりぽつりと話すユリウスに改めて礼を言うと、手で制された。


「いや、礼は言わなくていい。むしろ礼など言われる立場に、ない」


 あまりに思い詰めたその表情に、リーゼロッテは首を傾ける。


(ユリウス様……どうされたのかしら……?)


 よほど言いにくい話なのか、それともその暴走の時に自分が何かしでかしてしまったのではないかと、彼女は落ち着かない。


「……その……暴走を止めるのに……私の魔力が足りなくて……」


「……はい……」


 彼女の恐る恐るの相槌に、ユリウスは罪悪感いっぱいな表情で声を絞り出す。


「……魔力を強制的に吸い出した」


「…………………………え……?」


(吸い出した……って……)


 一瞬理解が追いつかなかったリーゼロッテだが、その言葉の意味に瞬時に赤くなった。


(ユリウス様と……!?)


 声にならない声を上げ、とても彼の顔をまともに見れずに俯いた。


 混乱したままの彼女の前に、ユリウスは居住まいを正すと、頭を下げる。


「……申し訳ない。嫁入り前の女性に不埒なことをしたことは事実だ。どんな事情があろうと許されない。煮るなり焼くなり、私を何度殴ってもらっても構わない。気が済むまで、できたら私の記憶がなくなるまで殴ってくれ」


 淡々と、しかし何か決心したような声色の彼は頭を下げたまま微動だにしない。


 嘘であってほしい、という彼女の微かな希望を無残にも打ち砕く真摯な態度が歯痒い。


 腰が砕けへたり込みそうになるが、なんとか踏み止まった。


「……もしかしてそれで私は避けられてたんでしょうか……?」


「…………………面目ない」


 自分でも驚くほど冷静な声が出た。


 まるでいつもと立場が逆転してしまっている。


 リーゼロッテはぎゅ、と拳を握り締めた。


 そうしてその手をユリウスの頭上にゆっくりと持っていき──広げて撫でた。


 肩をぴくり、と動かした彼に、リーゼロッテは優しく語りかけた。


「……これでおあいこです。私も未婚の男性の頭を図らずも撫でてしまいました。訳なく撫でた私の方が罪深いかもしれません」


 怪訝な顔で頭を上げた彼に、リーゼロッテはにっこりと微笑んだ。


「しかし……これだけでは」


「私は命を助けていただきました。命の恩人に手を上げるなどできません」


 ユリウスの顔を覗き込み「それともこれでは足りない、でしょうか……?」と言うと、何を想像したのか彼は顔を赤くして小さく呻いた。


「……分かった」


「……あ……あとひとつ、よろしいでしょうか?」


「……なんだ」


 頬がまだ赤いユリウスに、リーゼロッテは言いにくそうに両手を身体の前で組んだ。


「今度からでいいのですが、何かあった時にはすぐおっしゃってください。……理由も分からず避けられるのは少し、傷付きます……」


「……善処する」


 神妙な態度で頷く彼が、少し可笑しくてリーゼロッテは頬を緩める。


 彼女がどうして笑うのかわからない彼は片眉を微かに上げた。


「楽しそうじゃのぉ。(わらわ)もちと混ぜてもらえぬか?」


 穏やかな二人の背後から、(つや)のある剣呑な声がかけられる。


 二人が同時に振り返ると、いつの間にそこにいたのかエルが佇んでいた。


 彼女ははらりと広げた扇子で口元を隠し、微笑んだ。

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