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26.妹君は結う

 二人は帰りの馬車に揺られていた。


 日は傾き、遠くから哀愁漂う遠吠えが聞こえてくる。


 リーゼロッテは機会を窺っていた。


 しかしどうにもユリウスの様子が変だ。


 元から少ない言葉数はさらに少なく、なにかを考え込んでいる。


 あれから白のワンピースを着た感想もそこそこに、ザシャに頼まれていた塩を購入して馬車に乗り込んだのだが、この間も彼はどこか上の空だった。


 もしかして何か自分が粗相をしたのかと思い返すが、思い当たることはない。


「あのっ……!」


 物思いにふける様子の彼に、彼女は思い切って声をかけた。


 思い出したように彼女を見たユリウスは、すぐに柔らかく微笑んだ。


「どうした?」


「その……お加減が悪いのかと……思いまして……」


 急な微笑みに毒気を抜かれた彼女はトーンダウンしていく。


 ユリウスは少々困ったように眉尻を下げ苦笑した。


「……ああ、すまない。少し考え事をしていた」


 心配するなという彼だが、リーゼロッテの不安は拭えない。


 なにせ店に戻ってきてからずっとだ。


 そこまでユリウスを悩ませる大問題など気にもなる。


 釈然としない様子の彼女に、彼はふっと笑うと懐から小さな袋を取り出した。


「……これを」


 袋を彼女の小さな手に載せる。


 彼とはおおよそ不釣り合いな、可愛らしいピンクのリボンがくるりとロールしている。


 袋から伝わる硬い感触に、リーゼロッテは小首を傾げた。


 ユリウスはじっと彼女を見つめている。


 まるで待っているかのように。


「……開けてもよろしいのでしょうか?」


 おずおずと問うと、気恥ずかしいのか彼は短く「ああ」と答えた。


 遠慮がちにリボンを解き、中を覗くと──。


「これは……」


 驚き顔を上げる。


「バレッタ、だそうだ」


 要らなかったらデボラにでもくれてくれ、と早口に言うと、彼は視線を窓の外に向けた。


 素っ気ない態度の中に緊張が垣間見える。


 改めて袋の中身を取り出してみた。


 異国の花だろうか、バラにも似ているがやや丸みを帯びた花弁が幾重にも重なり、芸術的な存在感がある。


 夕陽に照らされ、マリンブルーの煌めきが手のひらに小さな光の波紋を描いた。


(綺麗……)


 見惚れる彼女に、ユリウスは微かに口端を上げた。


「……これを私に……?」


「……ああ。遅くなったが……粥の礼だ」


 そんな、お礼されるほどのことでは、と口に出しそうになって固く口を噤んだ。


 恐れ多い、という気持ちはもちろんある。


 しかしそれ以上に、彼が少しでもリーゼロッテのことを思って品を選んでくれたことが嬉しい。


 むしろその光景を思い浮かべて思わず笑みが溢れそうになる。


 慌てて口元を締めると、そっとポケットに忍ばせた袋に触れた。


「ありがとうございます……付けてみてもよろしいでしょうか?」


「……ああ」


 ユリウスはさりげなく向き直ると、ほっとしたような笑みを浮かべた。


 髪をほどき、バレッタを留める。よく見えるようにと、彼女は背中を向けた。


「……どう、でしょうか……?」


「よく、似合っている」


 噛み締めるような声が聞こえた。


 彼の表情は分からないが、少なくともがっかりはされなくて済んだようだ。


 むしろ顔が見えないからこそ、その声がこそばゆい。


「あの……」


 ごそごそと、ポケットの中の物を取り出すと、振り向きざまに彼に差し出した。


「そ、その……私のその……日頃の感謝の気持ち、と、形見を守っていただいたお礼、です」


 袋を持つ手が震える。声が上擦る。


 当然、ユリウスの顔など全く見れない。


(こんな……男性にプレゼントするって、こんなに緊張するものなのかしら……?)


 思い返せば元婚約者に直接プレゼントを手渡したことなどない。


 大抵、贈り物は使用人が家に届ける。彼女も使用人経由でしか受け取ったことがない。


 そしてその品も、相手に失礼がないようにと両親の検閲が入っていることがほとんどだった。


 突き返されたらどうしよう、気に入ってもらえなかったらどうしよう、穴があったら入ってしまいたい、などと俯きたくなるような気持ちがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


「……ありがとう」


 手から袋の重量がふっとなくなり、リボンを解く音が聞こえる。


 沈黙が落ちる。


(……?)


 あまりに長い沈黙に窺うように顔を上げ、リーゼロッテは固まった。


 そこには袋の中身を見つめるユリウスがいた。


 見たこともないほど慈愛に満ちている。愛でるように指でそれを撫でていた。


 その光景がまるで名画のように美しく、目が離せない。


「……ああ、すまない。つい、な」


 なんてことはない、いつもの口調で話す彼が恨めしい。


 息をするのも忘れていた彼女は、窒息しそうになった心を必死に落ち着かせた。


「髪紐、だな? あまり見られない物だが」


「はい……私の手作りです……」


 手作り、の言葉に彼の眉が微かに上がる。


 その手には二本の布紐を束にした髪紐があった。


 その色は紫と、ほんの少し薄い紫──ちょうど彼と、彼の母の瞳と同じ色だ。


「……結ってもらってもいいだろうか?」


「え?」


 彼女の返答を聞く前に、ユリウスはそれまで束ねていた黒の髪紐を解いた。


 はらり、と白い髪が広がる。


「珍しい形だからな。最初は製作者が手本を見せてくれ」


「は、はい……それでは失礼いたします……」


 リーゼロッテは隣へと席を移すと、彼の髪に触れる。


 夕陽に照らされ銀にも金にも見える髪は、それ一本一本が(たお)やかな糸のように柔らかい。


「綺麗な髪、ですね……」


「男に綺麗は褒め言葉ではないな」


 くっくっ、と噛み殺すような笑いが漏れる。


 首を僅かに傾け、横目で彼はリーゼロッテを見つめた。


「それに、リーゼの髪には負ける」


 綺麗だ、と言外に言われたような気がして、顔が火を吹いたように真っ赤になった。


 未だ横目で見られているような気配に俯いた彼女は「ま、前を向いててください……っ」と声を絞り出した。


(お、落ち着いて……ユリウス様はきっと揶揄(からか)っていらっしゃるのだわ……)


 そうして深呼吸を挟みながらもなんとか髪を結い終えた。


 白の髪に紫の色はやはり映える、とリーゼロッテが見つめていると、不意に振り返ったユリウスと目が合った。


 正面に座っていた時よりも、隣に座った今はほんの少し動いただけでも衣擦れの音が聞こえるほどに近い。


 髪紐と同じ色なはずなのに、その目に見据えられるとどうも心臓が騒がしくなる。


 彼女は再び赤くなりそうになった頬を抑え、必死に誤魔化した。


「その、あの、伸びましたね。髪……」


「ああ。十年分は伸びただろうな」


「切らないのですか?」


「ああ……この成長は一時的な物らしいからな。下手に切って元に戻ったときに障りが出たら困る」


 そうなのですか、と口の中で呟きながら、彼女は少し、引っかかるものを感じた。


「そういえば、どうして魔法が解けたのでしょうか?」


 感じた疑問そのままに口にするが、返事は返ってこない。


 それどころか彼の頬がほんのりと赤く染まったかと思うと、手で口元を隠してしまった。


「……ユリウス様……?」


「……すまない。先に謝っておくが」


 その先、彼が一体何を言おうとしたのか、リーゼロッテには分からなかった。


 馬車が停まったからだ。


 外を見ると見慣れた玄関が見える。


「……見てもらった方が早いな」


 馬車から降り立った彼はそう呟くと、「リーゼ、見てもらいたいものがある」と彼女を連れ立って庭の方へと向かった。

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