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2.お姉様の断罪、のはずが

誤字報告ありがとうございます。

訂正しました。

 そもそも、事の発端は今から三日前に遡る。


 貴族魔法学院の卒業パーティーに参加していたときのことだ。







「そんな! 違います! 私じゃありません!」


 会場にリーゼロッテの悲痛な叫びが響く。


 卒業パーティーの最中、同級生に嫌がらせをしていた件を糾弾されていた彼女の姉が、何を思ったか、


「私ではありません……もう黙ってはいられません。聖女様をいじめていたのは私ではなく、妹のリーゼロッテです!」


 とその矛先をリーゼロッテに向けたのだ。


 姉が自らの罪を擦りつけた──たったそれだけならば彼女ももう少し冷静でいられたかもしれない。


 周囲を見渡すと、(きら)びやかなドレスを身に纏う皆の顔に、動揺や蔑みが浮かんでいる。彼女にあからさまな敵意を向けている者もいた。


 知っている顔もいたが、目が合うと気まずそうに視線を逸らされてしまう。


 (わら)にも(すが)るような気持ちでリーゼロッテは婚約者のボニファーツを探すが、慌てて会場を出て行く後ろ姿を捉えただけだった。


 もはや誰も信じてくれないのでは、という恐怖から手足が震え始める。喉に何かが詰まったように呼吸が促迫してくるのを感じた。


「何を言ってるの? 私は何度も止めたのよ? それなのにリーゼロッテ、あなたは聖女マリー様への嫌がらせをやめなかったじゃないの」


 姉のディートリンデは涙ながらにそう言うと、王太子フリッツに駆け寄った。


 すぐさま「殿下違うのです、私ではありません」と訂正するが、フリッツはその整った眉をハの字にし、無言でリーゼロッテを見つめるだけだ。


 彼女の口から出た否定など意味がないことは明白だった。


 短く切り揃えられたやや赤みの入った金髪が王家の証であることはこの国では周知の事実だ。


 青い瞳をたたえた優しそうな目元は、今は猜疑(さいぎ)の色が濃い。白のタキシードを難なく着こなすフリッツは、ディートリンデの婚約者だ。


 真偽はどうであれ、婚約者の言うことを無碍(むげ)にはできないだろう。


「……マリー、君はどう思う?」


 フリッツは、横にいるピンク色の可愛らしいドレスを身に着けたマリーに聞いた。


 嫌がらせを受けていた当事者だからこそ聞いたのだろう。


 マリーは平民でありながら非常に珍しい癒しの魔法を扱える聖女である。


 王太子の庇護を一身に受けるこの国の正当な聖女──癒しの聖女の二つ名に相応しく、慈悲深い彼女を慕う生徒は多い。


 一縷(いちる)の望みをかけてリーゼロッテはマリーを見つめた。


 姉妹を何度も交互に見つめるマリーの瞳に戸惑いが浮かぶ。そしてようやく口を開いたマリーは


「……申し訳ありません、私もどちらが本当のことをおっしゃっているのかわからないのです。なにしろ……その……とてもそっくりでいらっしゃるので……」


 と口籠った。


 マリーの答えを待っていたフリッツは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 一瞬だけディートリンデを睨んだ気がしたが、冷静さを欠いていたリーゼロッテの見間違いだったのかもしれない。


 足の震えが限界に来ていたリーゼロッテは、はしたなくもへなへなとその場にへたり込みそうになり、近くの椅子の背もたれに手をついた。


 判別がつかないのも無理はない。


 リーゼロッテとディートリンデ、二人は双子だ。


 この国では珍しい(つや)のある腰まである黒髪は髪留めでハーフアップにまとめられている。碧玉とも(たと)えられた深い青の瞳、ふくよかなピンクの唇。コルセットで締められた腰回りと同じく、ドレスから伸びる白く細い手足──。


 なにからなにまで瓜二つで、両親でさえ少し見ただけでは見分けるのは難しいと言わしめた。


 違うところといえば、ディートリンデよりもリーゼロッテの瞳の方が少し暗めの青であり、ディートリンデよりも自信がなさそうな表情をしている方がリーゼロッテというほんの些細な違いだけだろう。


 今日限定で言えば、リーゼロッテは光沢のある水色のドレス、ディートリンデは燃えるような真紅のドレスを着ているところも違う。


 卒業パーティーでは、自身の扱える魔法に応じた色のドレスを着るのが慣例だからだ。


 これでドレスまで同じであったなら、学友たちが二人を見分けることは不可能に近い。


 会場の空気が重くのしかかるのをリーゼロッテは感じた。


 この場にいる人間のほとんどは彼女が犯人だと思っているだろう。王太子の婚約者が嫌がらせなどするはずがないという先入観があるからだ。


 事実、ディートリンデは成績優秀で人当たりが良く、リーゼロッテは成績は悪くないものの人見知りが激しい。


 嫌がらせをする陰湿さを持ち合わせていると思われても仕方がないのかもしれない。


「……この沙汰は追ってすることにする。皆、騒がせて悪かった。パーティを続けてくれ」


 フリッツのこの一言で、ひとまず緊張から脱した彼女はその場に膝を突きかけた。じっとりした嫌な汗が流れる。


 皆、伏し目がちにリーゼロッテを見ては声を潜めて何かを話している。


 駆け寄ってくる者もいたが、全てディートリンデの周りに集まり、口々に「大丈夫?」と彼女を気遣う言葉をかけていた。


 その輪の中で気丈に振る舞う彼女と、今にも一人で崩れ落ちそうなリーゼロッテの何が違うのか。


(……いや、全然違う。私は一族の、ハイベルク伯爵家の出来損ないなのだから)


 ふと、見上げると、ディートリンデと目が合った。勝ち誇ったように口元を歪める彼女に気付いたのは、リーゼロッテ以外いなかっただろう。










 パーティ後、フリッツの事情聴取に応じたリーゼロッテが帰宅の途についた頃には、もう日がとっぷり暮れていた。


 気力も体力も削ぎ取られ、力なく帰宅した彼女を待っていたのは継母(ままはは)のナターリエが放った容赦ない平手打ちだった。


 何が起きたのかもわからずただ頬をさするリーゼロッテを、継母はただ辛そうに顔を歪ませる。


「全くあなたは……話はディートリンデから聞きました。聖女様になんてことをしてくれたの?」


 事情聴取の間にハイベルク家にも連絡が入っているとはリーゼロッテにも予想はついていた。しかし当事者の姉が先に帰宅しているということは──。


 (まさか……)


 嫌な予感がリーゼロッテの胸の奥にじわりと広がった。


「ち、違うんです。それは」


「言い訳は聞きたくありません。全く、あなたはいつもそうね。これまで母親として厳しくしてきたつもりですが……残念だわ……お父様が書斎でお待ちです」


 吐き捨てるように言い残すと、ナターリエは足早に自室に戻ってしまった。何度も呼び止めるが、彼女の眉間の皺を一層深くさせただけだった。


(お継母様(かあさま)……)


 幼い頃から双子が悪さをすると、彼女は厳しく躾した。体罰や時に食事を抜くなどの辛い罰もあったが、それでも子どもを産んだことのない彼女なりの愛情があったとリーゼロッテは思っている。


 よろよろと階段を上がると、踊り場の壁にもたれた人物がこちらに気付いた様子で笑みを浮かべた。ディートリンデだ。


 その笑みに、リーゼロッテは足を絡めとられたように立ち止まる。


「あらあら、可哀想なリーゼロッテ。フリッツ様にもお継母様にも信じてもらえない。みんなの前で吊し上げられても誰も助けてくれない……」


 リーゼロッテは俯くしかなかった。この窮地の原因はディートリンデだが、現状についてはぐうの音も出ないほどに言う通りだったからだ。


 誰にも信じてもらえず、助けてもらえない。


 現実を改めて突きつけられ、リーゼロッテの心に黒く苦いものがじわじわと広がっていく。


 ゆっくりと歩み寄るディートリンデの気配にリーゼロッテは逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。それでも足を動かせない。


「……でも当然よね? だってあなたは小さい頃から失敗ばかりの、何もない、呪われた、ゼロの子だもの」


 耳元で囁く彼女の言葉がゆっくりと、しかしたしかに胸を抉り取った。


 リー『ゼロ』ッテ、だからゼロなのだと、生まれた時からこの名をつけられた時からなんの取り柄もない人間なのだと、ディートリンデはなおも囁く。


「……っ」


 リーゼロッテは何か言い返せねば、と思うが言葉が出ない。


 ディートリンデが犯した間違いをリーゼロッテに被せた後は、こうやっていつも言い聞かせるようにリーゼロッテを責める。これは今回に限ったことではない。


 自分と同じ声、同じ顔の人間から聞かされる言葉は、まるで自分自身が発した呪詛のようにリーゼロッテを雁字搦(がんじがら)めに縛り付ける。


 彼女にできることは、せめてその姿を見ないように顔を伏せることくらいだ。


 この家でのリーゼロッテへの信頼度は学院内のそれ以上に低い。


 ディートリンデは聞き分けのいい良い子、対する彼女への評価は問題行動ばかりで社交性も低い出来損ないだ。


 しかしそれは偽りの評価に過ぎない。


 いつからか、ディートリンデは自分とお揃いの格好をリーゼロッテに強要しはじめた。


 そして姿かたちが同じことをいいことに、リーゼロッテの手柄はディートリンデの手柄に、ディートリンデの悪事はリーゼロッテの悪事にすり替えられていた。


 継母からの罰を受けるのも、ほとんどリーゼロッテだけだった。


 たとえ自分はやっていないと訴えようが泣き叫ぼうが、それを先回りするように動くディートリンデによって(ことごと)く否定される。


 せめて行動で示そうと品行方正にしていても、次から次へと犯人扱いされては心休まる日も無かった。


 いつしかリーゼロッテは抵抗するのを諦めてしまっていたが、それも家の中での話である。


 学院に入学してからはディートリンデとクラスが分かれ、大きな噂も聞かなかったため大人しくしていると思っていた。


 それがまさか、王太子が後ろ盾となっている聖女マリーへ嫌がらせしてるとは思いもしなかったのだ。


 これには無抵抗だったリーゼロッテも否定せざるを得ない。下手に認めてしまえば、伯爵家除籍だけでは済まされない罪なのだ。


 なけなしの勇気を振り絞るように、リーゼロッテは両手をぐっと握りしめる。


「……お父様もお可哀想に。お忙しい身なのにこんな不出来な娘のために時間を割いて対応に追われるなんて、ねぇ……?」


 同意を求めるように仰々しくリーゼロッテの顔を覗き込む。俯き、耐え忍ぶ彼女の表情に気を良くしたのか、ディートリンデは薄い笑みを浮かべ身体を離した。


 どうやら満足したらしい。ディートリンデの気配が遠のくのをリーゼロッテは感じた。


 やっと解放される──顔を少し上げると、ディートリンデと図らずも目が合い、どきりとする。


 恐ろしく狡猾で、嗜虐的で、それでいて妖しげな華のある彼女の表情は、何も知らない人から見たら妖艶の一言で済まされてしまいそうだ。


 ああ、ひとつ言い忘れていたわ、とさも今思い出したかのように彼女は口を開いた。


「この期に及んでお父様に弁明なんてしないでね。じゃなきゃ私、誰かに『あのこと』お話ししてしまうかもしれないわ」


 脅迫めいた言葉と裏腹に、彼女は美しく笑っていた。


 しかしリーゼロッテにはわかる。その瞳の奥に冷たく、誰にも悟られていない鈍い光があるということが。


 半ば逃げるように書斎への階段を登ったリーゼロッテの後ろ姿を、ディートリンデは表情一つ変えずに見つめていた。

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