16.少年伯は困惑している
リーゼロッテが眠りについた頃、ユリウスは自室で医師の診察を受けていた。
「……ふむ。特に異常はないの。身体以外は。いや、これは本来、異常ではないか」
落ち着いたハスキーボイスが部屋に響く。
声の主はベッドから離れると、窓辺に腰掛け一本の煙管を吸った。
細長い煙管から部屋に微かに香の匂いが漂い、ユリウスは顔をしかめる。
そんな彼の様子などお構いなしに、その人物は大きく吸い込むと外に向けて白い煙を吐き出した。
胸元が大きく開いた漆黒の服に、血のように赤黒い長髪をなびかせている。おおよそ医者と言うには似つかわしくない、艶やかな妙齢の女性だ。
「そうか。すまない、エル」
ユリウスは低い声で呟いた。
診察のために脱いだ服をサッと取ると、その細い指で身繕いを始める。
「で、だ……どうやったらキスひとつで大人の身体になれるのか、教えてほしいのぉ」
エル、と呼ばれた女性は揶揄うようにけらけらと笑う。
しかしその目は全く笑っていない。その様子はさながら毒婦だ。
ユリウスは顔こそ平静を保っていたが、痛いところを突かれたように小さく呻いた。
概ね彼女が言った通りだったからだ。
鋭い紫電の眼光はそのままに、雪のように白い髪は腰まで伸びている。
変声期前のボーイソプラノの声はすっかり様変わりし、低音の意思の強そうな声質に変化した。
中性的なその美貌は成長してなお、色香を増すばかりだ。
程よく筋肉の乗った引き締まった体躯は彼の手によって白のローブで隠された。
彼の身体は、それまで成長を拒んでいたのが嘘のように急激に成長していた。実年齢に追いつくように。
「……私もよくは分からない。ただ彼女の金色の魔力が何か作用したのだろう。気がついたらここで寝ていたからな」
「ふむ……それは違いないだろう。アレを見れば分かる」
彼女は窓の外に視線を移した。心底面白くないように強く白煙を吐き出した。
彼女の視線の先にあるものが何なのか、分かっているユリウスは重々しく頷く。
「しかし金の魔力とは……水魔法の使い手がそのような魔力を有するなど聞いたこともないぞえ。お主のように他の魔法を扱えるのではないのか?」
「……それはない。調べでは学院での成績も突出するものはない。彼女はごく普通の水魔法しか使えないはずだ」
考え込むようにエルは顎に手を置いた。
しかし、考えたところで答えは出ないのは分かりきっている。
全属性魔法を使いこなす軍神と呼ばれた男と、その主治医の女が寄ってたかって考えたところで知識に無いものは分からない、とエルは考えるのをやめた。
「せっかく妾がお主の呪いを解いてやろうと思ってたのに、あんな小娘にあっさり解かれるなんてお主の呪いはどうかしてる。しかもキスで」
「……そうだな、大呪術師様のせっかくの腕の見せ所だったのにな」
「大魔法医様、じゃ。呪術師など俗物と一緒にするな」
皮肉たっぷりのユリウスの言にエルはピシャリと言い放った。
エル、ことエルメンガルトは辺境騎士団所属の呪術師だ。儀式を用いて他人を呪い、敵を弱体化または死亡させる呪術を得意とする。
呪術師の中では最強とも目されたエルだが、曰く「血も汗も流れぬ戦いはつまらぬ」と戦争では弱体化の呪術しか使わない。
それでも戦争を終始優位に進められる程度には働くのだから、誰も彼女に文句はつけなかった。
そして平和になった今では、魔力関連で身体に変調をきたした者を診る自称「魔法医」としてユリウスの主治医を買って出ていた。
「一応言っておくが、私は自分の身体に呪いをかけた覚えはない」
あらかた身繕いが整ったところで、ユリウスは立ち上がった。水差しを手に取りそれを注ぎ始める。
彼を視界の端に捉えながら、エルは不満そうに眉を歪めた。
「何を言っておる。膨大な魔力をその身体の成長阻害のために無意識に使うなんて芸当、呪い以外の何と言う。しかもご丁寧に王子様のキスで解けるお約束つきじゃ。子ども騙しの御伽噺だって今日日そんな凡庸な設定など使わん」
彼女は気に食わない様子で言い切ると再び煙管を吸った。
ユリウスは水を一口含むと苦笑いで肩をすくめた。
原因は分かっていないが、彼は無意識下で少年の姿を維持するために魔力を使い続けているらしい。
その結果通常で扱える魔法は減弱し、これまで通り軍の最前線で戦うことができなくなった。
ちょうど弱体化に気付いた頃、ユリウスは国王から辺境伯領へ戻るよう打診された。
それ以来ずっと、定期的にエルの診察を受けていたが、魔力解除に至るきっかけは掴めずにいた。
妙な空気が流れる中、急いたようなノックが響く。
「ユリウス様っ……と、エルメンガルト様、リーゼが目覚めました」
雪崩れ込むようにデボラが入ってくる。
「……さて、と。もう一仕事といこうか」
煙管をしまうとエルは立ち上がった。
「妾は今より王子様の容態を診に行くが、お主も来るかえ?」
茶々を入れるような口調に、ユリウスは苦々しげに首を振る。エルは口元を隠し、心底楽しげに笑った。
「まあ今のお主の身体は病人の目には毒じゃ。大人しくしておくのが良かろう」
デボラに続き扉から出ようとした彼女は、思い立ったように振り返った。
「……お主の身体に残る魔力の性質からして、その成長は一時的なものじゃろ。話を聞いた限り、お主は巻き込まれただけじゃ。そのうち子どもの身体に戻る故」
「……アレは?」
「アレはモロに魔力を受けてる」
お主の病状とは違う、と後ろ手をひらひら振る彼女が去った後、ユリウスは息をついた。
前髪をかき上げ、悩ましいように顔をしかめる。長い髪がはらりと落ちた。
「どんな顔で彼女に会えって言うんだ……」
無垢な白肌の頬がほんのり赤く染まった。