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15.妹君はしばし微睡む

 心地の良い風が頬を撫でる。遠くで奏でる鳥たちの(さえず)りが微かに聞こえてきた。


「……ん……」


 少し気怠い微睡(まどろみ)の中、リーゼロッテは寝返りを打った。


 衣擦れの音が響き、誰かがはっと息を飲む音が聞こえる。


 うっすらと目を開けると、白い天井を背景に、デボラが彼女の頭上から食い入るように覗き込んでいた。


「……で、ぼらさん、……?」


 辿々(たどたど)しく名を呼ぶと、デボラはガバッとリーゼロッテを抱きしめた。


「良かった! もう、心配させて……もう起きないかと思ったよ……!」


 目尻がうっすらと濡れている。


 どうやらかなり心配させてしまったらしいが、リーゼロッテにはその覚えがない。


 妙に重い頭で考えるも、やはり思い当たることはなかった。古木の前でユリウスと話をしたあたりから記憶がぼやけている。


「あの、わたし……どうしたんでしょうか……?」


 若干呂律(ろれつ)の回らない口で訊ねると、デボラは眉をハの字ににして答えた。


「どうしたもこうしたもないよ。いきなり庭が光ったと思って外に出たら、ユリウス様とリーゼが倒れてたんだよ。アタシゃ血の気が引いたね」


 慌てて使用人たちが運び込んでから、丸一日眠っていたという。


 そこまで聞いてもリーゼロッテはやはり思い出せそうになかった。


 眠っている間に誰かが部屋に入る気配がした気がするが、それすら定かではない。


「ごしんぱい、おかけしてしまって……」


「なあに、いいってことさ。こうして目覚めてくれたんだからね」


 申し訳なさそうに俯く彼女に、デボラは明るく手をパタパタと振った。


 彼女の額に手を当てると、「まだちょっと熱がありそうだね」と再び寝かせようとした。


 掛け物をかける前に寝巻きのシワを整えるあたり、さすがメイド長と言ったところだが。


「あ、あの、ユリウスさまは……」


「あああっと、こうしちゃいられない! 目が覚めたことみんなに言ってこなくちゃね。みんなも心配してたよ、ザシャなんか心配しすぎてちょくちょく覗きにこようとしてたから」


 じゃあね、と軽くウインクすると、いそいそと部屋から出ていってしまった。


 あとに残されたリーゼロッテはベッドの上で丸くなった。


 昨日のことを思い出そうとするが、その度に頭の中がぐらぐらとかき混ぜられるように痛む。


(熱もあるし……きっと風邪ね。ここのところずっと緊張していたから)


 考えるのを放棄した彼女は目を瞑る。


(ユリウス様は……大丈夫かしら……)


 あの時そういえば赤い顔をされていたはず、と思い至った彼女は、身を起こそうとするが急激な眠気に抗えない。


 そのまま意識を手放すかのように再び眠りについた。








「……報告は以上です」


「……わかった。その件は引き続き頼む」


「御意。それと、延期となっている創環(そうかん)の儀ですが……陛下の御病状からこれ以上の引き伸ばしは難しいかと……」


「……わかった。進めてくれ」


「御意」


 宰相を下がらせたフリッツは、執務室の中、組んだ両手に頭を乗せ大きくため息をついた。


 ここ十数日、聖女マリー迫害の目撃者や証言者に詳しく話を聞いているが、思った以上に成果が出ていない。


 あまりに進展がなさ過ぎて、マリー自身も「もうよろしいのでは」と言い出している始末だ。


 しかし、これから一国を担う王太子が、聖女がいいと言ってるからといって引き下がる訳にもいかない。


 それに──。


(ディートリンデと結婚などするものか)


 彼はギリ、と歯軋(はぎし)りをした。


 もう随分前からだ。彼はずっと彼女との婚約破棄を狙っていた。


(マリー……もう少しだというのに)


 マリーと出会ったのは十三年前、ちょうど四歳の誕生日だった。


 まだ健在だった頃の国王自らが紹介してくれたのを覚えている。


「フリッツ、この御子が聖女マリー様だ」


 引き合わされたマリーは、おそらく今まで着たことはおろか、見たこともないだろう可愛らしいピンクのドレスを着せられ、終始おどおどしていた。


 その不安で揺れる赤みを帯びた瞳や、触れたら気持ち良さそうなふわふわの巻き毛に、フリッツは一瞬にして心奪われた。


 聖女付きを命ぜられた彼が、この時ほど喜んだことはない。


 同い年の彼をマリーに付かせたのは、国王の温情だ。


 平民出の聖女はいずれかの公爵家の養女となるが、たまたまどの公爵家にも彼女と同じくらいの歳の子どもがいなかった。


 国のためとはいえ、四歳の少女が親元を離れ、知らない大人に囲まれ右も左も分からない聖殿で暮らすのだ。


 心細いに違いないと、年端もいかないフリッツを付けたのは想像に難くない。


 彼はずっと、マリーと一緒だった。彼女に夢中で、そのことは言わずともマリーに伝わっている、そう思っていた。


 ディートリンデとの婚約が決まるまでは。


(あの女さえいなければ……)


 フリッツは両手を頭に打ちつけた。


 彼はマリーとの婚約を望んでいた。


 しかし、「聖女と結婚した王族はいない」という慣習によって半ば強制的に婚約させられたのだ──と、彼は思っている。


 マリーが元平民出の人間であることや、王族の政略結婚の多さを(かんが)みれば、その決定は致し方がない。むしろ当然だろう。


 が、彼は冷静さを欠いていた。


 いや、王太子としての重責と、マリーと過ごす平穏とその執着から、いつからか歪んでしまっていたのかもしれない。


 婚約破棄ができる口実を日夜考え続け、なかなかそのタイミングを掴めず何年も過ぎたある日──マリーに嫌がらせしているディートリンデを見たときは、小躍りしたいほど嬉しかった。


 彼は放置した。知ってて徹底的にマリーを虐めさせた。


 心苦しかったが、婚約破棄するためにと歯を食いしばって我慢した。


 きっとマリーも同じ気持ちで我慢してくれていると信じ切っていたのだ。


 しかしここまでしても、ディートリンデとの婚約破棄は叶わない。


 それどころか、双子であることをいいことに妹に罪を擦り付けて有耶無耶にしようとしてる。


 苦々しい思いがフリッツの心に広がった。


 彼女は時間切れを狙っているのだ。


 この国の国王は戴冠時に既婚でなくてはならない。現国王の病状が思わしくないことから、近々戴冠式が行われるだろう。


 それまで彼女は婚約を維持するつもりだ。


(どうにかしなければ……)


 フリッツは頭を打ちつけ続ける。打ちつけた部分は赤く、爪で切れたのか額に血が滲んでくる。


「創環の儀などさせてたまるか……」


 彼はそう独りごちると、憎しみに満ちた瞳で虚空を睨み付けた。

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