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14.妹君は光に包まれた

「寄りたいところがある」


 そう言ったユリウスの隣を歩くリーゼロッテは、髪型を卒業パーティ以来のハーフアップにしている。


 長年慣れ親しんだ髪型ではあるが、ユリウスの前では少し気恥ずかしい。


 それもこれも、彼の『髪を下ろしたままの方が似合う』という殺し文句のせいだ。言った本人は素知らぬ顔だが、時折彼女に視線を向けては目を細める。


 しかし、さすがに風が強すぎて下ろしっぱなしにはできない。折衷案でこの髪型になった。


(私ったら、噂のイメージのままでいたから髪をまとめないといけないと勝手に思い込んでいたわ……ユリウス様にとって失礼な話よね)


 よくよく思い返せば、他の使用人たちは短く切り揃えているか肩までの髪を下ろしていたような気がする。


 ハイベルクの使用人たちには髪型すらも厳しい規定があったが、シュヴァルツシルト家ではそうでもないらしい。


 リーゼロッテはユリウスの横顔を盗み見た。普段と変わりない無表情に見えるが、どこか神妙な表情に見えなくもない。


 彼は彼女の歩調に合わせ、しかしぴったりと寄り添うわけでもなく少し離れて歩いていた。


(大事な奉公人……)


 思い出して彼女は口元を緩めた。


 近しい人たちから見放された彼女にとって、面と向かって大事だと言われることは素直に嬉しい。


 勘のいい令嬢ならば、その言葉に「正式な婚約者になってほしい」という意味を即座に感じとる。が、残念ながら色恋沙汰に(うと)いリーゼロッテには通じなかったようだ。


 それどころか追放された令嬢を邪険に扱うでもなく、ただ大切にしてくれている彼に対し、「ユリウス様のお役に立てるようにより一層仕事を頑張らなくては」と張り切る始末だった。


(それにしても、どこへ行かれるつもりかしら?)


 一旦屋敷に入り玄関から再び外に出たが、一向に目的地に着く気配がない。


 などと思っていたらふと、ユリウスが立ち止まった。


「……ここだ」


「これは……」


 リーゼロッテは息を呑んだ。


 正門に伸びる赤く、少し煤けた石畳から外れ、煉瓦(レンガ)造りの遊歩道の奥まったところにそれはあった。


 瑞々(みずみず)しい緑の葉が生い茂る木々の間、ぽつんと(たたず)む一本の古木──書室で見かけたあの枯れ木だった。


 三階から見た時はリーゼロッテの背丈ほどかと思われたが、こうして見ると彼女の身長など遥かに超えている。


 両手を広げても端から端まで届かないほどに枝が広がるそれは、根本から折れそうなほどに朽ちていた。


「……両親の形見だ」


「え……」


 リーゼロッテはユリウスを見るが、その表情からは(うかが)い知れない。彼はただ古木を見上げている。


(この木がユリウス様のご両親の……どうりでこの木だけ古そうなのね)


 古木を見上げると、枝の間から澄み切った青い空が見え余計に寒々しい印象を受けた。


「ちょうど今頃……そのメイド服のような淡い色の花をつける。よく家族で花見をしたな……」


 懐かしむように目を細めた彼は、慎重に近づくと樹皮をそっと撫でた。


 触れただけで(もろ)く崩れ、生命を感じさせないその感触に、次第に彼の表情は厳しくなっていく。


「戦争から私が帰ってからずっと、この木は花を付けていない。こうも枯れてしまってはもう無理だろう……」


「……」


 リーゼロッテは沈痛な面持ちで彼をじっと見つめていた。


 彼女もまた母を亡くし、その形見すら失われた今では、その古木がユリウスにとってどれだけ大切なものなのか痛いほど分かる。


「ここに立ち入る客人は(ほとん)どいないが、それでも朽ち果てるまま置いておくには(いささ)か危ないからな……明日、両親の命日に切るつもりだ」


「え?」


 思わず聞き返すと、ユリウスは重々しく頷いた。そうして自嘲気味に笑うと、「仕方がない、からな。どうあっても時は戻せない」とぽつりと呟いた。


(そんな……大事なものなのに……)


 リーゼロッテは両手を握り締めた。胸の内から微かに熱を持った何かが(あふ)れ出てくる。


「ダメです」


 自然と口をついて出た言葉は震えていた。


(ご両親との思い出なのに)


「切ったらダメです」


(この人の、ユリウス様の大事なものなのに)


 戦争から戻った時、彼はどんな顔をしてこの木を眺めたのだろうか。


 付けない花をどんなに心待ちにしていたのだろうか。


 そしてその花が二度と見られないと知った時、彼はどんなに打ちのめされたことか──リーゼロッテは溢れ出る熱のまま、言葉を紡ぐ。


「絶対に……ユリウス様が悲しむようなことは、して欲しくありません」


「リーゼ……?」


 いつもと様子が違う彼女に、ユリウスが歩み寄ろうとしたその時だった。


 眩い光が彼女から発せられた。


 眩く、淡く金色に輝くそれは彼女を包み込んだかと思うと、古木へと放出される。ユリウスは思わず目を(つむ)った。


「リーゼ!」


 ぼんやりと虚ろな瞳の彼女からは反応はない。


(これは……魔力……暴走……! このままでは……しかし金色の魔力など見たことが……)


 ユリウスは首を振る。今は暴走を止めて彼女を助けることが先だ。


 彼は意を決して、光の中に飛び込んだ。


 必死に彼女の方へ手を伸ばすも、目も開けられない光の中では、どこに彼女がいるのか確認すらできない。


「リーゼ!……くそっ」


(他人を傷つける類の魔法ではない……それでもこの量の魔力を一気に放出したらリーゼの命が危ない)


 腕を闇雲に動かす。


 ──思いがけず、何かに触れた。さらりとした絹糸のように細く、柔らかい──リーゼロッテの髪だ。


 そう確信した彼は、髪が流れてくる方向へ一歩ずつ歩み寄り……その手を掴んだ。


「リーゼっ! 無事か!」


「……ユリ……ス……さま……」


 とろん、とした表情の彼女を揺さぶるが、反応が薄い。その身体は熱く、譫言(うわごと)のように彼の名を呼び続けている。


 胸から溢れた熱が彼女の全身を駆け巡る。


(ユリウス様の……ために)


 ぼんやりとした意識の中、ユリウスの顔が浮かぶ。いつになく必死な形相の彼に、何故だかとても縋り付きたくなる。


(ユリウス様はお優しい方……)


 だからこそ役に立ちたい。


 これまでずっとユリウスたちの優しさに甘えてしまっていた。しかし彼女はそれを甘受(かんじゅ)していい立場でもない。


(甘やかされるだけでは……)


 彼女はずっと受け身で生きてきた。


 黙っててもらうためとはいえ、ディートリンデの不条理な要求を飲み続け、不遇な人生に声を上げることも諦めてしまった。流されるままに追放されて今に至る。


 それらは全て、仕方がなかったわけではない。


 自分が後ろ向きだったから成った結果なのだ、とリーゼロッテはここに来て考えるようになった。


 ユリウスたちの好意にすら受け身でいるなど、今の彼女にはできなかった。


「ユリウス……さまの……ために……」


「……っ!」


 彼は口をキュッと結んだ。今にも閉じられそうな青い眼に、いてもたってもいられずリーゼロッテを抱き寄せた。


 ふわりと陽光のいい匂いが香る。


「ここに、……ここにいる」


(時間がない。私の魔力で押さえつけるしかない)


 ユリウスは彼女を包むように魔力を発動させるが、うまくいかない。所々から金の光が漏れ、やがて完全に打ち破られる。


 元の魔力さえあれば、と小さく舌打ちした。


(どうする……時間が……抑えられないなら身体から魔力を強制的に吸い出せれば……)


 焦燥感に駆られながらも必死に考えを巡らせる。はたと、リーゼロッテの顔に目が止まった。


 正確にはその、ふくよかそうな唇に。


(……いや、何を考えている)


 一瞬掠めた考えを振り切ると、もう一度魔力で彼女を包み込むが、やはりすぐに破られてしまった。彼の額には汗がにじみ、呼吸が整わない。


「……リ……さ……」


「!」


 彼女の力ない声が耳元に響く。瞳が閉じられ、その小さな身体から力が抜けた。


(まずい!)


 とっさに抱きすくめる。熱を帯びた身体はくたり、と力なく落ちようとする。


(まだ息はある……)


 しかしこうしてる間にも顔色が白く、生気が失われていく。


 彼女の生命を削るように、彼らを囲む光が徐々に強さを増していった。


 一刻の猶予もない。


 ユリウスはその顔を暖めるように手を当てた。


 逡巡(しゅんじゅん)するように眉間に皴を寄せると、大きく息を吐き出す。


「……すまない。こうするしかできない私を恨んでくれ」


 彼は彼女の顔に影を落とすと、ゆっくりと躊躇(ためら)いがちにその唇を重ねたのだった──。











「へぇ……金の魔力か。すごいなぁ」


 屋敷をぐるりと囲む石壁の上から、二人の様子を覗き込んでいたテオは興味深そうに呟いた。


 その口元には笑みが浮かんでいる。


 消えたと見せかけてその実、彼はずっとそこにいた。


 二人が光に包まれた後のことは分からない。


 しかし、ユリウスならなんとかするだろうと彼は楽観的であった。


 それよりも、リーゼロッテが膨大な魔力を放出したことと、その魔力が歴史上(ほとん)どいないと言われる金色だったことの方が彼にとっては重要なことだった。


「何の因果か……」


 彼は目にかかりそうな前髪を忌々しげに見上げた。それをふっ、とひと吹きすると立ち上がる。


 マントを翻し石壁から飛び降りた彼は、またも風のように跡形もなく消えたのだった。

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