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13.妹君は髪を下ろした

 ユリウスに連れられてやってきたのは屋敷内の庭園だった。


 彼は繊細な細工がなされたガーデンチェアに腰掛けた。


 その後ろに控え、リーゼロッテはぐるりと周りを見渡す。


 所謂中庭と呼ばれる庭園は、頑丈な石造りの壁と深緑のコントラストに加え、色とりどりの草花が並んでおり、見るものの心を躍らせる工夫がなされていた。


 普段ならば風景を楽しむだろうリーゼロッテが気もそぞろだ。


 先ほどからずっと引っかかることがある。


(あの赤髪の方、どうして私の名前を知っていたのかしら……?)


 自己紹介をするタイミングはなかった。


 リーゼロッテが辺境伯の奉公人になったという話は、辺境伯家はもちろんのこと、王家やハイベルク家、元婚約者のいるリデル家にしか知られていないはずだ。


 よしんば聖女迫害の容疑者をユリウスが預かっていることを言っていたとしても、顔や特徴までユリウスが伝えたとも思えなかった。


 それよりもさらに気になるのは──。


(あの方、どこかでお会いしたような……)


 記憶の糸を辿るが、テオのような赤髪の貴族令息はこの国にはごまんといる。


 そもそも貴族とは限らない。立ち振る舞いはスマートだったが、窓から出入りするような人物が貴族というのも疑わしい。


 あれでもないこれでもない、と考えているとふと視線を感じた。


「……退屈か?」


 気が付くとユリウスがこちらをまじまじと見つめていた。


 どうやら思案中の表情がつまらなそうに見えたらしい。気落ちしてる風の彼に、リーゼロッテは慌てて首を振った。


「いいえっ、決してそんなことは」


「すまない、女性の趣味に疎くてな」


「いいえ、そんなことは! 好きです!」


 予想以上に大きな声が出てしまい、リーゼロッテは口元を押さえる。


 小さく「……このお庭、好きです……」と付け加えた。


(ううう、はしたないと思われたわ絶対……急に好きです、なんて愛の告白でもあるまいし……)


 眉尻を下げて狼狽(うろたえ)る彼女に、大声に驚いていた彼はふ、と微笑んだ。


 彼女の脳裏にテオの言葉が響く。


 『婚約者候補がいてよかったじゃないか』──彼にそう言われてハッとしたはユリウスだけではなかった。


 ユリウスの奉公人だと言ったのは彼女だ。


 というのも、それ以外でうまくあの場を切り抜けられるほどの人生経験は彼女にはない。


 デボラならば「人妻に何言ってんだい」と笑い飛ばし、ディートリンデならばテオの誘いをあのように直接的に断ることもしなかっただろう。


 いわば断り文句として、ユリウスとのうわべの関係を利用したようなものだ。そのことが彼女を若干後ろめたい気持ちにさせていた。


(ユリウス様は私のことをどう思っていらっしゃるのかしら……?)


 大人びた笑みを浮かべた彼を見つめた。


 奉公人という言葉には、婚約者候補という意味が含まれる。


 しかし、彼女は聖女迫害の容疑でたまたま奉公人も婚約者もいなかったユリウスの所に追放された。便宜上奉公人にさせてもらっているだけだ。


 決して甘い関係性ではない。


 ではない、のだが──。


「……ん? どうした?」


 見つめすぎたのか、ユリウスはリーゼロッテの顔を覗き込むように首を傾ける。


 陽の光で白銀に輝くその長髪がさらりと肩から落ちた。名画のようなその様に、思わずため息が漏れる。


「リーゼも座れ」


「あ……私は大丈夫です」


「いいから」


 微笑んではいるものの断ることは許されない口調でユリウスは促してくる。


 観念したリーゼロッテはおずおずと、ユリウスの正面の椅子に腰掛けた。


 改めて彼を真正面から見る。鋭く光る紫の瞳に見透かされているような気分でなんだか落ち着かない。


「あ、あのっ……」


「ん?」


「先ほどは申し訳ございませんでした……!」


 彼女が頭を下げると、彼は心底よくわからないといった様子で眉をひそめた。


「……テオのことか。あいつのことは気にするな。元よりすぐ帰らせるつもりだった」


「いえ、そうではなく……」


 頭を垂れながらも必死にかぶりを振る。


 もはや髪も言いたいこともぐちゃぐちゃだ。ユリウスは、言い淀む彼女が落ち着くのを待った。


「……私が勝手に、ご友人にユリウス様の奉公人などと言ってしまったこと、です。その……あの場でああ言ってしまったら、婚約者候補と受け取られることまで気が回らなくて……」


(違う、そうじゃなくて、本当に謝りたいことは私がユリウス様に……)


 そこまで考えてリーゼロッテは口を噤んだ。


 それをユリウスに伝えるべきではないと思ったからだ。伝えてしまったら今の関係性がその言葉通りになってしまう。


 膝の上で両手を硬く握り締めた。


「……そんなことは別にいい……リーゼは、私の、だ……大事な奉公人、だ」


 彼の声が頭上から聞こえてきた。珍しく歯切れが悪い。


 不思議に思い恐る恐る顔を上げると、陶器のように白い頬を赤く染めた彼が慌てて横を向くところだった。


「……ユリウス様……?」


「……今は見るな……まったく、テオのやつめ」


 要らんことを思い出させてくれるな、とユリウスは内心独りごちた。


 女性の趣味に疎いどころか、長年女性を遠ざけてきた彼にとって婚約者候補という言葉の効果は絶大だった。


 少なくとも、他の使用人に対して何も思わずするり、と言える「大事な」という単語をつっかえるほどには。


 そんな彼の気持ちなどつゆ知らず、リーゼロッテは彼の体調を心配していた。


(顔色が……言葉も詰まっていらしたし、まだ本調子ではないのかも……)


 戸惑う彼女に向き直り、ユリウスは仕切り直すように咳をひとつする。


 その頬の赤みはまだとれていない。


「と、とにかく、あんな馬鹿の言葉は忘れろ。覚えててもろくな事がない」


 自分に言い聞かせるように言い放つ彼に、リーゼロッテは思わずくすりと笑った。


「な、なんだ」


「いえ、仲がよろしいご友人がいらっしゃって羨ましいです」


「仲は良くない。友人でもない。ただの腐れ縁だ」


 彼は心底げんなりといった様子でため息をついた。


 いつも冷静沈着な彼が怒ったり焦ったりするのを知って、リーゼロッテの中にどこか懐かしいような気持ちがこみ上げてくる。


(今のアンゼルムと会話したらちょうどこんな感じなのかしら)


 くすくすと笑いながら、彼女はそんなことを思った。


 笑う彼女を面白くなさそうな表情で見ていた彼が、ふと彼女の顔に手を伸ばす。


(え、なに)


「……髪」


 どうやら首を振った時にヘッドドレスがズレたらしい。


 一瞬息を止めた彼女の、頬に垂れた一束の髪をその手で(すく)いとるように撫でた。


 先ほどよりずっと近くなったユリウスの顔は、美しい少年そのものなのに、その表情はどこか色気を感じさせる。


 それを直視するにはあまりに至近距離すぎて、リーゼロッテはただ俯くことしかできない。


 弟などと想像したことを後悔した。


(弟、なんかじゃないわ……全然)


 蚊の鳴くような声で「申し訳ございません、すぐ直します」と言うと急いで髪を解く。


 下ろした髪が風に(なび)いている。


 濡羽色の腰までの髪が、彼女の羞恥に染まる頬を隠すように揺れると、ユリウスの息を呑む音が聞こえた気がした。


「……そのままで」


 手早くまとめようとするリーゼロッテの手を優しく包むと、彼は慈しむように微笑む。


「そのままが、いい」


 ざぁ、と強い風が二人の衣服をはためかせる。


 しばらくの間、彼女の大きな瞳はこぼれ落ちそうなくらい見開かれたままだった。

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