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114/114

114.二人は共に時を刻み始める

 それから季節は巡り、葉が色づき始めた頃──。


「リーゼ、ユリウス様をお連れしてもいいかい?」


「はい」


 鏡越しにデボラに返事をすると、彼女は扉を開けた。


 悠然と歩み寄るユリウスの姿に、リーゼロッテはほぅ、とため息をつく。


 いつもの軍服と色味は似ているが、今、彼が纏うのは白髪に映える黒のモーニングコートだ。


 すらりと伸びた脚がこちらに歩み寄るにつれ、鏡越しに彼女を愛でるような視線を強める。


 そっと彼女の肩に手を置くと、彼は鏡を覗き込むように身をかがめた。


「ユリウス様………」


「リーゼ……綺麗だ……」


 艶やかな黒髪をアップにまとめ上げ、純白のドレスに身を包んだ彼女は、ユリウスにまじまじと見つめられ、化粧をする必要がほとんどないほど白い頬を赤く染めた。


 鏡越しですら動悸がおさまらないのだ。


 直接目を見て言われたら、それこそ目を回してしまいそうな破壊力に、リーゼロッテは狼狽え視線を泳がせる。


「ユリウス様も……素敵です」


 赤面しながらもやっと絞り出した言葉に、ユリウスはふっと笑った。


 肩から手を離し、手近なソファに腰掛けると、「来る前に少し会場を覗いてきた」と彼は口を開いた。


「皆さまお変わりなかったでしょうか?」


「ああ、テオがちょっと疲れてたくらいで他は皆変わりない。マリーは以前より元気そうだったな」


「そうですか……良かった……」


 リーゼロッテはほっと息を吐いた。


 テオには招待状を出したものの、当日まで行けるかわからないと返事をされていた。


 王太子であれば多忙なのは致し方がないが、それでも仕事の合間を縫って来てくれたようだ。


 きっと友人の門出を見たいがために頑張ってくれたのだろう。


 マリーも風の噂で、市井で暮らしつつ開院した治療院がうまくいっているらしい。


 その治療院にヘッダが助手として出入りしていると聞いた時は驚いたが。


 聖殿は解体されたが、神官のほとんどは国の諜報員として残ることを希望した。


 その中にはユリウスに暗器を向けたヘッダも含まれていた。


 彼がその罪を不問にしたことと、状況的に情状酌量ありと判断され、どうやら大きなお咎めなしに落ち着いたらしい。


 治療院に送られたのは、聖女に対する細やかな気遣いと、国のために少しでも役に立ちたいと言う彼女ならば、マリーを安心して任せられるというテオの判断だろう。


 開院には一部の王侯貴族が関わっていると聞き、リーゼロッテは彼らの縁が切れていないことを内心喜んでいた。


「おかあさま」


 不意に扉の奥からしたったらずな小さな声がした。


 視線を向けると、腰までの黒髪にやや明るめの碧玉の瞳、リーゼロッテと同じくふわふわの純白ドレスに身を包んだ齢三歳ほどの幼女が、リーゼロッテに駆け寄ってくる。


「ああ、()()()()様、今はまだ入られては……」


「いい。気にするな」


 デボラがディアナ、と呼ばれた幼女を抱き上げようと手を伸ばすが、ユリウスがそれを制した。


 リーゼロッテの膝下にたどり着いたディアナは、屈託のない笑みで彼女を見上げる。


 少しおてんばで可愛らしいこの子は、もちろんリーゼロッテの子ではない。


 時を戻したディートリンデだ。


 ハイベルク家で過ごすうち、徐々に起きている時間も増えた彼女に記憶の確認をしたところ、ほとんどの記憶を失っていた。


 覚えているのは三歳の誕生日を迎えたばかりということだけで、名前も親も、自分が他の誰かに乗っ取られていたことも全て知らないと言う。


 リーゼロッテから失われた時の魔力が彼女に移った可能性を危惧し、早急に魔力を調べられたが、強い炎の魔力がある他は何も出てこなかった。


 相談の結果、リーゼロッテやディートリンデの幼い頃にそっくりな彼女がハイベルク家で過ごすとなると、あらぬ邪推を生むだろうということで、ユリウスと結婚するリーゼロッテが彼女を養女として引き取ることに決まった。


 それならば、出自に関しては多少の誤魔化しが効くだろう、との判断だ。


 もちろん、引き取ることに不安がなかったわけではないが、辺境(こちら)には肝っ玉母さんのデボラがいる。


 二つ返事で受け入れた。


 引き取られたと同時にディアナと名を変えた彼女は、何か感じるところがあるのか、リーゼロッテによく懐いている。


「どうしたの? ディアナ」


 リーゼロッテはディアナの髪を優しく撫でる。


 嬉しそうに片目を瞑った彼女は慌てて彼女の膝から離れると、澄まし顔を作った。


「おかあさまをみにきたの……じゃなくて、みにきました。とてもきれいです」


 辿々しくも賛辞を述べる彼女に、リーゼロッテは懐かしさでくすり、と微笑んだ。


「嬉しいわ。ありがとう。ディアナも可愛いわ」


「えへへ」


 澄まし顔を破顔させた彼女は、余程褒められて嬉しかったのか、身体を横に揺らした。


 そんな彼女の頭をユリウスはしゃがみ込んで優しく撫でる。


「ディアナはリーゼが大好きだな」


「うん。だいすき。おとうさまも、だいすき」


 にっこりと笑う彼女に、「そうか」と短く答えたユリウスはリーゼロッテと目を合わせると慈しむように笑う。


 リーゼロッテはこの家に来たばかりの頃を思い出した。


 噂を鵜呑みにし、震えながら挨拶するリーゼロッテに彼はただ「長い」とだけ言ってリーゼと名乗るよう言った。


 後にも先にも、命令らしい命令はあれだけだったように思う。


 あとはただ、絶望のどん底だったはずの人生がどんどんと希望に満ち溢れたものに変わっていった。


 思えば、呼び名が変わったところで彼女は生まれ変わったのではないか。


 ディートリンデも、ディアナという名が与えられることでそんな人生の転機になればいい──彼女のささやかな祈りは神なき天に通じるだろうか。


「ディアナもおかあさまみたいになれる? おとうさまみたいなカッコいいおとこのひととケッコンできる?」


「できるわ。きっと」


 深く頷いたリーゼロッテに、ディアナは飛び跳ねるように抱きついた。


 無邪気で素直なディアナが愛おしく、ゆっくりと抱きしめると彼女もまた力一杯抱きしめてくる。


 ──それがたまらなくまた、愛おしい。


「ディアナ様、ささ、そろそろご準備を。ユリウス様、あとでお呼びしますね」


「ああ、頼む」


「うん、じゃぁまたあとでね」


 デボラがディアナを促すと、彼女は神妙に頷いた。


 彼女は今日の式で二人に指輪を届ける大役を務めることになっている。


 初めて大勢の前で動くことになる彼女を、ほんの少しハラハラしつつ見送ると、扉を出る前に彼女はぴたりと立ち止まった。


「リーゼちゃん、おめでとう」


「……え……?」


 振り返った彼女はやや大人びた雰囲気の笑みを浮かべると、身を翻して扉の奥へと消えた。


「どうした?」


「今…………」


 呆然としたリーゼロッテに歩み寄ったユリウスは、不思議そうに声をかける。


 リーゼロッテの知る限り、『リーゼちゃん』と呼ぶのはただ一人だ。


 ユリウスの様子からして先程のディアナの言葉は聞こえてなかったのだろう。


 しかし彼女にははっきりと聞こえた。


 ディアナには、彼女の中にいた幼いディートリンデの記憶はなかったはずだ。


 ──見間違い、聞き間違い? いいえ、あれは──。


 リーゼロッテは首を横に振る。


「……いいえ、なんでもありません」


 ()()が祝いに来てくれた──そう思うようにした。


 僅かに潤ませた深海色の瞳を愛おしげに見つめると、ユリウスは彼女に向かい合う。


「……リーゼ」


「ユリウス様……」


 真剣な紫電の瞳に、リーゼロッテの胸は高鳴った。


「……約束する。私はこれから先、どんなに時が流れようとリーゼを守り、未来永劫愛し続ける」


 彼の手が、彼女の手に伸びる。


 彼女はそっと、その手に自らの手を重ね合わせた。


「私も……ユリウス様をずっと、愛し……おそばから離れません」


 両手を絡め合わせる。


 手袋越しにも分かるほど、互いの熱が高まるのが感じられた。


 ユリウスはリーゼロッテの額に、掠めるようなキスを落とした。


「共に今を生き、幸せになろう」


 囁くような声が頭上から聞こえ、彼女は彼の顔を見上げる。


 時の魔力などなくとも年齢相応の姿を保てるようになった彼が、今もなお彼女を求める。


 魔力がなくてもきっと、彼女は誠実で少し頑なで、いつも彼女の意向を優先し、愛を示してくれる彼に惹かれていたに違いない。


 彼もまた、引っ込み思案なところはあれど、他人のために損得勘定なく行動できる彼女に惹かれていたことであろう。


 しかし魔力がなければ彼とは出会いもしてなかったのだと思うと、リーゼロッテは今まで出会った全ての出来事に感謝が尽きない。


「今でも十分、幸せです」


 感極まって揺れた声を隠すように微笑むと、ユリウスも優しく目を細めた。


「ならばもっと、だな」


 貪欲な彼の言葉に思わずくすりと笑ったリーゼロッテは、


「はい」


 と頷くと彼の胸に顔を埋めた。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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