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109.王太子は認めない

 かつての婚約者の登場に呆けたフリッツは、近衛兵たちに抵抗していた力が全て抜けた。


 その隙に、彼らはフリッツを床にねじ伏せる。


 いつもの感情が読めない笑みを浮かべるテオと、みすぼらしくも艶やかな微笑みを向けるディートリンデの前に平伏したような形だ。


 最も苦手とし、最も嫌いな二人の人物の前で無様な姿を露呈し、彼は悔しさと羞恥のあまり顔を真っ赤にして唸った。


「な、なん、なんで……ディートリンデが……」


 (ども)りながらやっと口にできた言葉に、テオは苦笑する。


「ああ、そうだよ。こちらはディートリンデさん。って知ってるよね? 君の元婚約者だ」


「な……なにを……」


「彼女が学院内での聖女……マリー様の迫害を認めたよ」


 フリッツはテオの隣にいるみすぼらしい女を驚きの表情で見つめた。


 次いでやってきた歓喜で破顔する。


 今まで彼女は火事や使用人については自白していたが、こと聖女迫害に関しては「異世界」「攻略対象」と意味のわからない言葉を繰り返し、証言の信憑性が疑問視されていた。


 その意味不明の証言を、不肖の兄がまとめてくれたのだろう。


 滑稽だ。


 敵が敵同士で潰し合ってくれるなど非常に滑稽だ。


 自然と笑いが込み上げてくる。


「は…………ははは、やはり私の婚約解消の判断に狂いはなかったということですね。彼女は、その女は悪女だ! マリーを迫害した! 大罪人だ!」


「んーまぁそれもそうなんだけどさ……彼女の証言からおかしなことが判明したんだよねぇ……」


「ははは……は?」


 地の利を得た、とばかりに取り押さえられながら高笑いを響かせたフリッツだったが、テオの食えない笑みに首を傾げた。


 罪を認めたというディートリンデでさえ不敵な笑みを浮かべているように見える。


「テオドール殿下、発言よろしくて?」


「どうぞ」


 テオは席を譲るように横に避ける。


 じゃらり、と鎖の音を響かせ、ディートリンデは組み伏せられたフリッツの前に仁王立ちになった。


 その視線は以前のように怖気の走るねっとりとした恋慕ではなく、虫けらでも見るかのような嫌悪感を含ませている。


「おかしいと思ったのよね。嫌がらせイベント以外……王太子の付き添いが必須な移動の時もマリーがずっと一人(フリー)なの。しかもイベントの時、必ずってほどフリッツ様がマリーを助けて好感度を上げるはずなのに、それも無いの。こんなことゲーム……この世界の設定ではなかったのに」


 一息に言い放った彼女の言葉に、ところどころついて行けなかったフリッツは、小馬鹿にしたように吹き出した。


「……は……この女……何を言っている……」


「もう少しわかりやすく話してくれるかな?」


 片眉を下げ困惑気味の表情のテオが、彼女を促すと、ディートリンデは満面の笑みで応じた。


「ええ、もちろん。ねえ、フリッツ様……マリー付きのあなたが同学年同じクラスにいて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 ぎくり、とフリッツは身体を強張らせた。


 彼女の言いたいことが分かったのか、周囲の者の視線が徐々に怒りを含んだものになるのを痛いほどに感じる。


 実際彼を押さえる近衛兵たちの力が強まっていくのを感じたフリッツは、抵抗しながらも必死に言い訳を考えていた。


「そ…………………それは……」


「まさかわざと虐めさせてたの? なんのために?」


 追撃のように核心を突いたディートリンデの言葉に、フリッツは再び唸る。


 まさか『お前との婚約を解消するためにマリー迫害を見て見ぬ振りをした』などと言えるはずがない。


 本音を漏らしかけた彼はそれを隠すため、声を荒げた。


「そ、そんなわけないじゃないか! 何を言ってるんだ! 私はずっと、マリーのそばにいた! お前がマリーを迫害しているのもこの目で見ている! 父上、このような大罪人の言葉、信じるのですか!?」


 呪術を解除し、聖女の癒しを得たとはいえ、病み上がりの国王は、フリッツの喚き声が煩わしいのか黙って目を瞑っている。


 何も言うつもりがないと受け取ったテオは、わざとらしく戸惑った風の声を発した。


「うーん、困ったねぇ。ディートリンデさんの言い分ではフリッツ、君の聖女迫害を助長させるほどの職務怠慢だということになるし……彼女を信じないとなると、四六時中マリーに付き添う君の目を掻い潜って誰がどうやってマリー様を迫害してたかって話になるんだよねぇ……それとも、迫害は君の嘘かな?」


「嘘なわけないでしょう!? 何言ってるんですか! マリーはそこの女に迫害されたのです! 私はこの目で確かに見ました!」


 カッとしたフリッツは、自分が何を口走ったのか理解せぬままテオを睨みつける。


 テオはおどけたように目を見開いて見せた。


「ああ、そう。()()んだ」


「はい!」


「見ててなんで止めなかったのかな?」


「……っ……そ、それ……は……」


 フリッツは何か反論せねばと口を動かすが、意味のない音を発するだけだ。


 彼はディートリンデのことを過信していた。


 彼女が本当のことを言うはずがないと思い込んでいたのだ。


 本当のことを言えば罰せられることは確実だからだ。


 利己的な彼女が、捕まったところでさらに罪を重くするような真似をするはずがない。


 意味不明の言葉も全て、変な言い逃れをしているに過ぎない、とフリッツは思い込んでいた。


 だからこそ、一番マリーとの結婚を盛り上げられる時期まで彼女を生かしておくと決めたのだ。


 生かしておいたところで自分を脅かす存在にならないから。


 それらが全て、間違いだったということか──フリッツは沸き立つ怒りで顔を強張らせる。


 ここにきて彼は、何故テオがディートリンデをわざわざここに呼んだかやっと理解した。


「見過ごした君も同罪だねぇ。ああ、見過ごした、じゃなくて止めなかった、が正解かな? だって彼女がマリー様を虐めるのを見たことがあるんでしょ? どうして王太子の権限を使ってでもその場でやめさせずに、パーティーで暴露するような事をしたのかな?」


「う……ぅぅ……」


 もはや弁解することも叶わず、フリッツは兄の顔を睨みつけるしかできない。


 よく似た顔に、全く違う髪色と瞳の色──生まれたその時から継承権が低いことが確定している負け組の兄に、自分は負けるのか──。


 王太子の自分が負ける現実から目を逸らすように、フリッツは低く呻きながら俯いた。


 彼の嗚咽にも似た呻きが響く。


 しばらくして、国王は重い口を開いた。


「…………聖女付きの仕事を放り出し、婚約者のエスコートも行わず、王太子としての自覚に足りない行動の多さ……お前を廃する。それしかあるまい。その他の処罰は追ってする。近衛、連れていけ」


「そんな! 待ってください! 父上! これには訳が!」


「聞かぬ。余を殺そうとした者の言葉など信じるに値せぬ」


 国王の当然の言葉に、近衛兵たちに担ぎ上げられたフリッツは情けない声を上げた。


「ち………父上ぇ……! あ、兄上! なぜ私をこのような目に!」


「うーん、僕がやったと言うより君の日頃の行いが悪かっただけでしょ?」


「わ、私の気持ちなど何も知らないくせに!」


 苛立ちと焦りで醜く顔を歪めたフリッツに、テオは肩をすくめた。


「うん、僕はマリー様を力づくで手に入れようとした君の気がしれない。それと同じように僕がやろうとしてることも君には一生理解できないと思う……本当は理解できるようになって欲しかったけどね」


 テオは心底がっかりした様子で、連行されるフリッツに手を振る。


 何故かディートリンデに指摘された時以上に追い詰められた思いがして、フリッツは国王の傍で沈黙を守っていたマリーに縋った。


「………ま、マリー! なんとか言ってくれ! 私は無実だ! 冤罪なのだ!」


「……………」


「マリー!!」


 もう一度大きく呼びかけると、彼女は硬い表情を崩さず彼を真っ直ぐ見据えた。


「…………フリッツ様、今までありがとうございました……さようなら」


 その真紅の瞳が拒絶するようにフリッツから外される。


 ふわふわのピンクゴールドの髪も、庇護欲をそそられる愛らしい姿も──全てを排除してまで手に入れようとしていた彼女が遠ざかり、通路の暗がりの中に消えそうなフリッツは狂ったように喚き散らした。


「マリー……そ、そうだ! ディートリンデだ! 私は彼女と穏便に婚約を解消したかっただけだ! 全てはディートリンデが悪い!」


 両腕を拘束され、指をさそうにもさせない彼は血走った目をディートリンデに向ける。


 しかし鬼気迫る表情の彼を、彼女は冷え切った瞳で見つめていた。


「はぁ? 馬鹿じゃないの? 私も馬鹿だけどこの後に及んでまだ認めないの? あんた救いようがない馬鹿よ?」


 辛辣な彼女の声は聞こえなかったのか、近衛兵たちと共に通路の奥に消えたフリッツの


「私は……私は間違ってなぃ……!」


 という喚き声はしばらく続いた。


 地獄からの恨み節のように残響した彼の声に、国王は頭を抱えてため息をついた。


「陛下……」


 気遣うようにクリスタが手を差し伸べると、国王は軽く首を横に振る。


「……気にするな。息子の不出来さと私の甘さに眩暈がしただけだ。もっと早く……決断すべきだった……」


「陛下……」


 クリスタは伸ばした手をそのままに、俯いた。


 彼女が養女となったのは五年前だ。


 この五年間、帝王学その他諸々を学んではいる。


 もちろんフリッツに代わり、王太女となるためだ。


 それでも今すぐ王太女となるには心許ないと判断されていたのだろう。


 その結果がこれだ。


 もっと自分が優秀ならば、お兄様の手を煩わせることもなく王城内が混乱することもなかったのに、とクリスタは唇を噛んだ。


 そんな彼女の頭をぽん、と優しく撫でると、国王は皆の前に歩み寄った。


 ゆっくりと威厳のある歩みに、初めにユリウスが、その他の者もつられるように跪く。


「堅苦しいのは良い。皆、面を上げ楽にせよ」と首を振った国王は、二人の聖女をじっと見つめた。


「さて……聖女マリー、聖女リーゼロッテ……臥せっていたとはいえ、余の統治において愚息の数々の非礼……大変心苦しく思う。その非礼を詫びよう」


「い、いえ……」


「特に聖女マリーには謝っても謝り尽くせない。今後より一層の支援を約束しよう」


「……ありがとうございます」


 フリッツに束縛され続けた過去を思ってか、マリーの声が湿り気を帯び、熱く震えた。


 国王は一つ頷くと、ユリウスに視線を移す。


 その視線は父が子に向ける厳しくも優しさあふれるものだった。


「ユリウスも……大きくなったな。亡き両親も成長を喜んでいるであろう。息子の無理な計画への協力、感謝する」


「……勿体なきお言葉」


 頭を下げるユリウスの横で、テオが不思議そうに首を捻る。


「あれ? そんな無茶だったかなぁ……」


「無茶だろう。テオ、お前リーゼに計画を話してないだろう」


「ああ、分かっちゃった?」


 からりと笑ったテオに、ユリウスは深くため息をつくと、怒気を孕んだ視線を送った。


「……リーゼが大人しくフリッツに従ってここまできてくれたからよかったものの、もし途中で逃げたり殺されでもしたら終わっていたぞ」


「いやいや、リーゼロッテさんは大丈夫。案外ぶっつけ本番の方が演技上手いって分かってたから」


「……どういうことだ」


 眉をひそめたユリウスの問いに、テオは少々引き攣った笑みを浮かべる。


 まさか監視の目を外すために彼女を襲う演技をした、なんて口が裂けても言えない。


 冗談でもそんなことを言ったら、後々決闘でも申し込まれそうだ──テオは内心冷や汗をかきながら、


「あはは……ま、それは後でね」


 とお茶を濁した。


「それに……フリッツは殺さないよ。父上を自然死に見せかけたかったんだし、それにそんな度胸ないでしょ」


「だがあの神官に……」


 ユリウスは部屋の端で大人しく拘束されているヘッダに目を向けた。


 表情に乏しい彼女が何を思っているかは窺い知れない。


 しかし、テオの明るい声がユリウスの推測を否定する。


「神官はできないよ。彼女にはそういう実践経験がない」


「……は?」


「だよね?」


 確認するようにヘッダに呼びかけると、彼女は僅かに頷いた。


「……殿下のおっしゃる通りにございます。私どもは暗殺や諜報の訓練は受けておりますが、派遣されるほとんどは諜報員としてでございます……自らの命を守る術として暗殺術を身につけているだけであり、誰かの命を奪えと命令されたことなど一度もございません」


 先ほどのフリッツ様の御命令以外は、とヘッダは付け加えると、些か申し訳なさそうに視線を床に落とした。


「ほらね? でも一応、君も陛下に化けたユリウスに向かって暗器投げちゃってるし、ちょっと罰はあるかもしれないけど……」


「……覚悟はしております。陛下のご判断に従います」


 やや沈んだ声で、しかしたしかに頷いた彼女に、成り行きを見守っていた国王は口を開いた。


「……相分かった。神官を連れて行け」


「はっ」


「……後のことは余と宰相に任せよ……皆、ご苦労だった」


 ヘッダが連行され、これにてお開き、とばかりに国王が重々しく疲労感に満ちた表情で言うと、踵を返そうとした。


「お待ちください」


 通路に向かおうとした面々が、その声の主に振り返る。


「あの……少しよろしいでしょうか……?」


 眉尻を下げ、躊躇いがちに呼びかけたのは、時の聖女リーゼロッテその人だった。

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