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107.王太子は弁明する

(ユリウス様……! それに皆さんもご無事で……良かった……)


 ユリウスの背に守られ、リーゼロッテはほっと息をつきかけた。


 懐かしく、ずっと待ち望んでいたその人が、目の前にいる。


 彼の白い長髪を束ねる二本の布紐が、彼も彼女のことをずっと想い続けてくれていたのだと物語っていた。


 リーゼロッテは彼の背に抱きつき、早く彼の存在が夢ではないと確認したい気持ちをぐっと抑えると、躊躇いがちにユリウスの服の裾を握った。


 その微かな感覚にからは気づくと、背中越しにリーゼロッテを慈しむような視線を向ける。


 たったそれだけのやり取りですら、リーゼロッテは幸せに包まれ蕩ける笑みを浮かべる。


「どうして……」


 数人に囲まれ、消え入るような声でフリッツは呟いた。


 先ほどまでの苛立ちはどこへやら、驚きと焦りに満ちた表情に頬を汗が伝っている。


 それもそのはず、彼の目の前にはユリウスが突きつけた剣の(きっさき)がぴたりとその首を狙っていた。


 殺気のこもる彼の瞳には、フリッツは王太子ではなく、リーゼロッテを奪い利用し、傷つけた最低な男にしか映っていない。


 おそらくフリッツは立っているだけでやっとなはずだ。


「簡単なことさ。今日のことは全て、僕が仕組んだことだからね。最初から最後まで、君は僕の手の内で踊らされていたにすぎない」


(え……?)


 テオの言っていることが理解できず、リーゼロッテはデボラに視線を向けた。


 彼の後方で姿勢良く佇む彼女は、リーゼロッテの視線に気づくと、やや申し訳なさそうに頷く。


 どうやらデボラも彼の計画を事前に知っていたようだ。


 それどころかユリウスの呆れたようなため息が聞こえるところを見るに、彼も計画に一枚噛んでいることは容易に想像できた。


 テオはいつもの笑みを浮かべ、話を続ける。


「マリー様の部屋の叫び声、あれは君の差し金だね。朝の奇襲でダメだったからリーゼロッテさんかデボラ、または両方を誘き寄せるための罠だ」


「わ……罠とは……そんなことは……」


「ないかい? デボラが言うにはマリー様の部屋には無傷の彼女と無数の黒装束がいたとのことだけど。大方、リーゼロッテさんが飛び込んできたら捕らえるつもりだったんじゃないかな?」


「そ、それは……」


 テオの言う通りだったのか、フリッツは口籠ると下唇を噛み締めた。


 斬り返そうにも、悔しそうに歪んだ表情からは何も出てこない。


「ところが、リーゼロッテさんは用心深くて部屋に鍵をかけちゃった。近衛兵長に探させたけど応答なし。痺れを切らした君は合鍵を使って彼女を拘束したんだよね?」


「な、なにを……」


 もごもごと口の中で言い訳をするフリッツに、テオは余裕の笑みを見せる。


 テオが言ったことは全て事実だ。


 朝の奇襲もマリーの悲鳴も、近衛兵にリーゼロッテの冤罪を吹き込んだのも全て。


 勘のいいテオに、隠し通せるとはそもそも思っていなかった。


 しかし合鍵を作ったことまで丸々見抜かれていたとは思わず、フリッツは自らの浅慮を後悔していた。


「少しはおかしいと気づくかと思っていたんだけどな。なんで朝方あんなことがあったのに、デボラがあっさりリーゼロッテさんから離れたか。部屋に鍵だけさせて籠らせたか。そして僕とエルメンガルト様に偶然用事ができたこともね」


「……え……?」


 テオの言っている意味がわからず、フリッツは呆けた音を出す。


(……あ……もしや……)


 思い当たることがあったリーゼロッテは息を呑んだ。


 元軍人のデボラが危機迫る状況で守るべき対象を置いて行くはずがない。


 そもそも窓を蹴破ってくるような相手だ。


 鍵をかけて一人部屋に籠った時点で襲ってくださいと言っているようなものだ。


「リーゼロッテさんを守ろうと思えば守れたよ。エルメンガルト様が結界張ってくれればそれこそ鉄壁だし、僕だってのんびり聖殿を散歩しない。そこのユリウスに彼女を守らせても良かった」


「…………」


「でもそうしなかったのは、君の罪を白日の元に曝け出すためだよ。君はまんまと僕の策にハマったのさ」


 テオは満面の笑みを浮かべた。


 しかしその笑顔があまり嬉しそうに見えない。


 どこか物足りなさそうで、端的に言えばつまらなさそうにフリッツを見下ろしていた。


「……な、何をおっしゃっているのかよく……マリーが叫んだのは侵入者が入ったからで……」


「だ、そうですがいかがでしょうか? マリー様」


「そうだよね? マリー」


 二人はマリーの方をほぼ同時に振り返る。


 テオの後ろに隠れるようにいた彼女は、両の拳を握りしめると一歩前に踏み出した。


「……私は……フリッツ様に頼まれました。ある時間になったら悲鳴を上げろと」


 震える愛らしい唇から、今まで押し殺してきた感情が入り混じった声が出ると、フリッツはこの状況を拒否するように小刻みに首を振った。


「なんで……」


「……だってさ。ああ、マリーの部屋の見張りは全てデボラが倒してくれたよ。さすが熊殺しのデボラだね」


 からり、と言ったテオの奥で、熊殺しの二つ名が不服なのかデボラは努めて無表情を貫いている。


「…………なんで、マリー……兄上に従ってるんだ……こっちに来るんだ……」


 必要以上に優しげな声音を出すフリッツから、マリーはまた隠れるようにテオの背後に退いた。


 強張りの取れない彼女の表情をテオは一瞥すると、人知れず小さなため息をつく。


「どうして……兄上に何か唆されたのかい? それともこの新しい聖女に何か吹き込まれたのか? 私と君の()はこんな……簡単に崩れるものではないだろう……?」


「絆……ねぇ……」


 あり得ない、と呟き続けるフリッツをテオは呆れ混じりに見つめていた。


 するとそれまで黙していたエルが口を開く。


「ああ、あの下品な隷属紋のことかえ? アレならすぐ解除できたぞえ。まったく、年頃の女子(おなご)の肌に趣味の悪い隷属紋など刻むものではないわ」


「な……?! いつ……」


「お主が婚約に浮かれていた頃かの。お主の兄者は人使いが荒いのぉ。ここにきて遊び歩く暇もなかったぞえ」


「そんな……」


 彼女の剣呑な言葉に、フリッツは動揺を隠せない。


(隷属紋……ってことは……マリー様はフリッツ様に……奴隷化させられていたということに……?!)


 これにはリーゼロッテも嫌悪感を滲ませた視線を彼に向けた。


 この場の誰もが生まれるより遥かに、奴隷制度は撤廃されている。


 故に彼女も本物の奴隷を見たことがなく、知識としてしか知らない。


(確か隷属紋は腹部に…………あ………)


 彼女はマリーが度々、腹部を押さえているのを見かけていた。


 クリスタも言っていたはずだ。


『マリー様は湯浴みがどうしても一人でないと落ち着かないと言われて、お一人でされるようになりましたし……急にそのような要望をおっしゃられたので驚きましたもの』と。


 おそらく、誰にも見られたくなかったのだろう。


 それかフリッツが隷属紋を刻んだことを秘匿したいがためにマリーの要望として()()()()か──。


 後者の可能性が高いように思われ、リーゼロッテは長年、彼に縛られ続けた彼女の気持ちを憂いた。


「そういうこと。マリーが全部話してくれたよ。年端も行かないうちに君に隷属紋を刻まれてしまい、逃げることも歯向かうことも出来なかったと」


「だって、僕に従うって言ってくれたじゃないか! なんでも教えてほしいって……! あの言葉は嘘だったのか!?」


「もうやめてください! それは子供の時の話です!」


 激昂するフリッツの声をかき消すようにマリーは声を荒げた。


 今まで彼女に一度も反抗されたことがないであろうフリッツは、初めて浴びせられた彼女の大声にこれでもかと言うほど目を見開いている。


 テオの後ろからゆっくりと姿を見せると、彼女は呆けた情けない姿を晒すフリッツを強く見据えた。


「……ずっと、自分の意見を言えなくて苦しかった……やっと、ディートリンデ様と結婚されると聞いて、彼女にいじめられても我慢して……それなのに隷属紋は消してくださらないばかりか、そのまま婚約しようとしたではありませんか……!」


「そんな……嘘だったのか? 私と結婚すると言ってくれたのも……嘘だと言ってくれ……マリー、愛してる……」


 縋るように両手を伸ばしたフリッツから、マリーは逃れるように半歩下がった。


 しかし彼はそれ以上彼女に近づけない。


 ユリウスの剣とテオの腕が、マリーを遮るように彼に向けられたからだ。


 一度感じた恐怖心を吐き出すように深呼吸をしたマリーは、小さく呻き声を上げたフリッツに静かに言った。


「……私がお慕いしている方は、別におります……あなたではありません」


「……ぁ……」


 フリッツの碧眼に、明らかな絶望感が宿る。


 伸ばしていた両手をそのままに、ゆっくりと崩れ去るように彼は膝をついた。


「……隷属紋が刻まれてるうちは支配主の言うことは絶対、だからのぉ……残念じゃが結婚しろと言われたら拒否できないだけじゃ。それすら知らなかったのかえ?」


 エルの声色に、若干の憐れみが混じる。


 意中の女性に拒否された男への同情というよりも、隷属紋の効果を自分への好意と勘違いしていた男への呆れの方が強い。


 しかしもはや、フリッツには彼女の問いかけすら答える気力はなかった。


 結婚を考えていた女性が実は自分のことを好きでもなかった──そのあまりの衝撃に彼は身じろぎひとつできそうにない。


 テオはマリーの前に出していた腕を下げると、ゆっくりと口を開く。


「……時の聖女の弱みであるユリウスの進退をちらつかせ、陛下を殺させて即位したら一生飼い殺し。マリーとの結婚も法や不文律を捻じ曲げるつもりだったのだろうね。王子の身では法は変えられないけど、国王になれば変えようと思えばいつでも変えられるんだし」


「……兄上、違います……私は聖女と陛下の身を案じて……こちらに」


 やっと絞り出すようにフリッツは言うも、未だ放心状態から抜け出せていない。


 マリーに向けられた瞳は焦点が合わず、空虚な色を見せていた。


「聖殿の警備が手薄の日にたまたま侵入者が入ってきて、いつも厳重に警備を敷いているここになぜか警備が一人もいないんだものねぇ……そりゃ心配にもなるよね。ところで、なんで警備が薄い場所に時の聖女を案内したのかな?」


「私は聞いた。時を早めろと。そっちの神官には暗殺を依頼していたな」


 間髪入れずユリウスの証言が飛ぶ。


 彼に同意するように、リーゼロッテとヘッダは首を縦にした。


「そ、それは……陛下はずっと苦しんでいて……苦しみから解放するために……」


「だからって聖女を利用しちゃダメでしょ。やるなら君の手を汚しなさい。とかいって、ホントにやっちゃダメだけど」


 苦し紛れの言い訳にテオは肩をすくめた。


 ここまで後手に回り続けているフリッツだが、それでも暴かれそうになった時のために色々と準備してきた。


 それも全て水泡に帰したが、言い訳だけでもと事前に考えていた言葉を捻り出す。


 しかしそれも不発に終わり、四面楚歌の絶望感から彼の中に怒りが沸々と湧き上がってきた。


「そ、そもそもなぜ陛下ではなくユリウスがここに? どうやって忍び込んだんだ!?」


 少しでも自分に非が無いことを証明するため、フリッツはユリウスを槍玉に挙げる。


 こんなことをしても大して意味はない、とは分かっていても、マリーの前でこれ以上の醜態は晒したくなかった。


「あ、そうか。君は知らないのか。ユリウス、見せてあげて」


「……分かった」


 ユリウスは面倒そうに瞬きした。


 彼の姿が霞に飲まれるようにぼやけ、次の瞬間──。


「なっ……?! わ、私っ!?」


 ユリウスがいたそこに、フリッツにそっくりな人物が現れる。


 フリッツと違う点といえば、無表情で冷たい雰囲気を纏い、彼に剣を突きつけているところだろうか。


「……幻影魔法だよ。彼しか使えない。だから呼んだんだ。君のフリしてこの中に侵入し、陛下と入れ替わってもらうためにね」


「声までは流石に真似できないが、普段から兵にあまり声をかけてないことはテオからも聞いていた。案の定、何の疑問も持たずに持ち場から離れてくれたから助かったが」


「君が話すのはマリー様か近衛兵長か、最近じゃ宰相くらいだものねぇ……」


 テオの皮肉が届いているのかいないのか、フリッツは目を白黒させている。


(……そうでした……ユリウス様は私が辺境に追放される前にずっと、こうして少年化の事実が漏れないように凌いでいらっしゃったのですもの……)


 テオの言葉とフリッツの様子を見るに、彼は王族の中でもユリウスの事情を知らない人間だったのではなかろうか。


 王太子となれば国内の貴族事情を把握しているはずだろうが、国王がそれを教えていないとなると、ますますクリスタが後継として推されている予想が真実味を帯びてくる。


 その証拠に、クリスタはユリウスの変身を見てもさして驚く様子もなく、会食の時のように静かに動向を探っているように見えた。


「……そんな……だ、だが、陛下がここでお休みになれていたはず! 兄上、これは陛下を誘拐したも同然です! 私の至らない点を指摘するならこんな大掛かりなことを仕組まなくてもよかったはずです……! 陛下の療養の邪魔をするなどもっての外!」


 もはや開き直っているのか、フリッツは大声で無茶苦茶な理論を展開し始めた。


 これにはテオ以外の者も苦笑いを浮かべざるを得ない。


 沈黙する一同を前に、分があると感じたのか、フリッツはさらに調子を上げる。


「そもそもなんです? 部外者ばかり……ここは男子禁制、選ばれた者しか入れない聖殿ですよ!? それを聖女付きになった途端好き放題に荒らして……兄上には恥というものがないのですか!?」


「……うーん……困ったなぁ……君にそこまで言われちゃうとね……もう少し反省があればここまででやめておこうと思ったんだけどな……」


「何をぶつぶつと……大体兄上はいつまでこの城に居るつもりですか? その歳になって婚約者もいないとは……やはり噂は本当なのですね! 兄上の好色が過ぎて、父上が王家の恥だと他国にも自国貴族にもあてがわないつもり、いや、あてがえないのだと!」


 フリッツはここぞとばかりに不満をぶちまけた。


 不満、と言うよりもやっかみだ。


 どう足掻いても継承順位が低く遊んでばかりに見える兄への、フリッツの本音なのだろう。


 彼の叫びを困惑の表情で聞いていたテオは、諦めたようにため息をついた。


「あー……うん、分かった。そこまで言うなら仕方ないね。ちょっと近衛兵長、もういいよ。こっち来て」


 彼は背後に──正確には暗闇に覆われた通路に──声をかけた。


 複数の足音と気配がこちらに向かってくる様子に、フリッツは先ほどまでの威勢の良さを弱めると顔を引き攣らせた。


「ふ、ふん……近衛兵たちを味方につけたか……しかし彼らは王太子であり国王代理の私の命令しか聞きません」


「いいや。君の命令は聞かないよ。もちろん僕の命令もね」


 あっさりと言い放つテオに、フリッツは首を捻る。


「は……? じゃあ誰の命令なら聞くって言うんですか? 国王代理以上の権限を持っている人間なんて…………!?」


 言っている途中で気づいたのだろう。


 フリッツの表情がみるみる内に青ざめていく。


 呼吸すらできないのか、彼の喉から妙に高い音が漏れるのが聞こえる。


 やがて暗がりからゆっくりとその人物が姿を現した。


「……ここにいる」


 重々しい雰囲気を纏った壮年の男性──国王が(しゃが)れた声を発した。

お読みいただきありがとうございます。

16日水曜の更新は諸事情によりお休みさせていただきます。

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