104.リーゼロッテは鍵をかける
晩の祈りも無事に終えたリーゼロッテは自室のベッドに横たわっていた。
移動時も兵を自称する不審人物が声をかけてきたが、その全てに断りを入れ、時にデボラがいなした。
デボラは不審者たちを追いたそうにしていたが、テオに止められている。
確実に証拠を掴むため、と言っていたが、当のテオは来客が来たとかで今はいない。
エルに至っては朝から留守にしているらしく、今朝の襲撃すら知らないような状況だ。
「眠ってていいよ」と言うデボラに甘え、床についたものの自分の命を狙われていると思うとどこか不安で目が冴えてしまう。
何度も寝返りを打つが、落ち着ける気がしなかった。
襲撃者が来てもすぐわかるようにと、幾つかの燭台に火を灯しているせいもあるのだろうか。
デボラやテオに寝ずの番をさせるというのも心苦しい。
リーゼロッテは枕元に置いた羊皮紙を手に取った。
やはり新しい手紙は来ていないようだ。
(……ユリウス様……大丈夫でしょうか……?)
リーゼロッテはもう一枚めくる。
過去の手紙がぼんやりと浮かび上がった。
彼らしい、生真面目で気品ある文字をなぞるように触れると、リーゼロッテはそれを胸に抱いた。
微かに動物由来の独特な匂いがする。
ごわごわの獣の感触があるが、ユリウスの認めた手紙だと思うと愛しさが込み上げてくる。
胸に広がる暖かさにリーゼロッテがうつらうつらとしていると──。
「………!?」
遠くで悲鳴が聞こえたような気がして、彼女は目を大きく開けた。
続けて二回目、三回目の女性の悲鳴が響く。
どうやら回廊を挟んで対極の位置から聞こえてくるようだ。
(遠い……ですが、あの方角は……)
「リーゼ! 無事かい!?」
「は、はい……ですが悲鳴が……」
寝室に飛び込んできたデボラに今感じたことを言おうと口を開きかけた瞬間。
「………ォドール様!」
今度は先ほどよりはっきりと聞こえた。
「……マリー様のお部屋の方から聞こえませんか……?」
「…………」
デボラは周囲を警戒するように視線を張り巡らせる。
しかし、怪しい気配がないのか若干困惑気味にリーゼロッテを見た。
悲鳴の主はマリーだ。
おそらくテオドールの名前を呼んだのだろう。
(まさか……部屋を間違えて襲撃を? それともテオ様にも危害が……?)
リーゼロッテと間違えてマリーを襲った、とは考えにくい。
見えすいた罠だね、とデボラは感じていた。
しかし──。
決心するかのように頬を軽く叩いたデボラは、険しい表情を作る。
「……リーゼ」
「……デボラさん」
リーゼロッテは迷っていた。
今日一日を思い返せば、リーゼロッテが狙われていることは確実だ。
マリーの悲鳴もフリッツに従うしかない彼女の狂言の可能性が高い。
ここはデボラと共にテオかエルが来るまでこの部屋で籠城するのが一番いいだろう。
(……分かっています……でも……)
しかし、本当にマリーが襲われているとしたら、マリーを見殺しにすることになりはしないか。
テオも襲われているのであれば、助けに行かなくては取り返しがつかなくなる。
狙われている自身の考えと個人的な付き合いのある者への思いが入り混じり、彼女の判断を鈍らせた。
「……アンタの言いたいことは分かってるよ。アタシが行く」
「……分かりました」
力強く頷いたリーゼロッテに、デボラは懐から彼女が使うには小さすぎる鞘付きナイフを取り出した。
「一応これを預けておくよ」
ずしり、と見た目以上の重さが受け取った手に響く。
冷たく、使いようによっては人の命を奪えるそれに、リーゼロッテは僅かに震えた。
「使わなきゃ使わないでいいから、お守りだと思って持ってて」
「……はい」
覚悟がないわけではない。
襲われた時点である程度は覚悟していた。
しかしこれが必要になった時に、果たしてうまく使えるのだろうか。
思い悩む暇はない、とばかりに、もう一つ、デボラがさらに小さな何かを手渡してくる。
銀の鍵だ。
「これは?」
「この部屋の鍵だよ。アンタに預ける。アタシかテオドール様が来るまで絶対開けちゃダメだよ」
「……分かりました……絶対に帰ってきてくださいね」
「はいよ」
鍵とナイフを胸に、リーゼロッテはデボラの背中を見送る。
回廊に鍵のかかる音だけが響いた。
それからしばらく、悲鳴は聞こえてこない。
リーゼロッテは部屋の中程で小さくなっていた。
騒ぎが収まったのかと確かめようにも、今朝のことがある。
扉も窓も近づかない方が無難だろう。
デボラが帰ってくるまでの辛抱だ。
緊張の糸を途切れさせないよう、リーゼロッテは身動き一つせず待ち続けた。
「リーゼロッテ様……いらっしゃいますか? 近衛兵長でございます」
一際大きなノックが響き、リーゼロッテは肩を震わせた。
聞いたことがないが男性の声だ。
ようやっと聞こえた自分以外の声に、思わずほっと声を上げようとする──しかしそれは直前で思いとどまった。
聖殿は基本的に男子禁制だ。
それは有事の際も同様で、何かあった場合は女性の兵が来ると神官のヘッダに聞いたことがある。
しかも近衛兵ならばフリッツの息は少なからずかかっているだろう。
性急なノックが響く中、法衣の内ポケットを確認する。
一方にはデボラから渡されたナイフ。
しかしこれは使いたくはない上に、今使うべきものでもないように思えた。
もう一方にはユリウスからの返事が書かれた羊皮紙だ。
触れるだけで力をもらえるような気がして、空いた内ポケットに潜ませていた。
(ユリウス様……私に勇気を……勇気をください)
テオから話を聞いてから、フリッツを恐ろしく感じていたリーゼロッテは、羊皮紙に触れながらノックが止むのを待った。
しばらくすると、兵長と名乗る人物は諦めたのか、それともここにはいないと判断したのかノックを止めた。
硬質で規則正しい靴音が遠ざかっていく。
ほっと胸を撫で下ろしたリーゼロッテは、腰を下ろすと大きく息を吐いた。
と、緊張を解きかけたその時だった。
遠のいたと思った靴音が徐々に近づいてくる。
しかも靴音は先ほどよりも多い。
(まさか……強行突破をするつもりでは……?)
厚い扉といえど、さすがに複数人で来られたら蹴破られてしまうだろう。
リーゼロッテはどこか物陰に、といつも手紙を書いている机の下に隠れた。
やがて靴音はリーゼロッテの部屋の前で止まったかと思うと、鍵穴に何かを差し込む音が聞こえた。
かちり、と解錠を知らせる音が響く。
(……え、どうして……?! 鍵はここに……!)
リーゼロッテは隠れながらテーブルの上に目をやる。
銀色に光る鍵は変わらずそこにあった。
ゆっくりと、音もなく扉が開き、フリッツと数人の兵士が現れた。
「探せ」
「はっ」
温度のない短い声がする。
(どうか……見つかりませんように……)
身を縮め、息を潜めていたものの、あっけなく発見されてしまった。
「リーゼロッテ様、探しましたよ」
フリッツの前に連れられたリーゼロッテは、意を決して彼の顔を見つめた。
燭台の火に照らされているはずなのに、彼の顔色は何故か酷く青白く見える。
「ふ……フリッツ……様……どうしてここに……鍵は……」
「聖殿の管理は私がしているようなものだ。合鍵くらいどうとでもなる」
言い切った彼はゆっくりとリーゼロッテに歩み寄る。
後退りながら、リーゼロッテは身構えた。
(……怖い……ですが……やらなければ……)
震える手でナイフを入れた内ポケットに手を伸ばしかけた刹那、歩みを早めたフリッツがその手を掴んだ。
「悪いが、貴女を拘束させてもらう」
「………どういうことでしょうか?」
「貴女には内通の疑いがある」
「な……いつう?」
「あのメイドも医者も、辺境伯から借り受けたものだろう。おかしいと思っていた。医者はともかくメイドの一人や二人、ハイベルク家から出すものであろう。あの二人も時期に拘束される」
「!……違います! 内通だなんて……!」
リーゼロッテはフリッツに掴まれた腕を振り解こうとした。
しかし思いの外強い力に身を捩るがびくともしない。
抗議の声を上げれば上げるほどその力は強まり、フリッツの顔に憎悪が滾ってくる。
「し、信じてください……!」
「残念だが、証言者がいる。神官をこちらに」
彼の呼びかけに、扉の奥から連れられてきたのは──。
「……ヘッダさん……? どうして……?」
呆然とするリーゼロッテをヘッダは暗い瞳で見つめていた。
「……今朝、湯浴みの片付けから戻った時に……リーゼロッテ様のお部屋から黒装束の者が複数、出てくるのを見ました」
「そんな……」
責める意図すらなさそうな平坦な声色でヘッダは言うと、いつもしているように口を固く結んだ。
ヘッダの証言を聞いていたフリッツは、リーゼロッテに向き直る。
「……だ、そうだ」
「誤解です! あれは襲われたのです!」
「どうかな。わざと襲われたと見せかけたのかもしれない。マリーも先ほど、襲われかけた。大方、聖女としての実績のあるマリーが王妃になることで聖殿での自分の立場が弱くなるとでも考えたのだろう?」
「そんな……」
リーゼロッテは眉尻を下げ、首を横に振った。
未だ彼女の腕はフリッツに掴まれている。
ナイフを取り出そうにも逆の手では内ポケットは取り出しにくい。
まして兵の前だ。
ナイフなど出そうものなら途端に押さえつけられてしまうだろう。
それ以前に、反撃すら許してくれなさそうな彼のおどろおどろしいほどの負の感情の前に息が詰まりそうだ。
「抵抗したらユリウスがどうなるか……分かるな?」
嫌悪感を含んだ低く刺々しい言葉が耳元で響き、リーゼロッテの口を塞がせる。
ユリウスは、リーゼロッテの父である前ハイベルク伯爵を図らずも殺害した、貴族殺しの容疑がある。
彼女が入殿し、ハイベルク家存続のために前当主は原因不明の失踪として片付けられていた。
しかし、それは王太子であるフリッツが裏に手を回したからにすぎない。
言うことを聞かなければ、ユリウスを投獄する──彼はそう言っているのだ。
言葉の意味を理解したリーゼロッテは振り解こうと動かす腕を止めた。
俯きユリウスを想う。
他人にも自分にも厳しく、どこか儚さのある美しさで、表情を滅多に変えない冷静な彼。
しかし実直で、誰よりも領民や使用人たちを思い遣り、時に危険を顧みず行動し、ふと寒さが緩むように笑う表情を彼女は知っている。
彼の厳しさも、幼い頃からの苦労があったからだと彼女は分かっている。
(……ユリウス様には……もうこれ以上、何も背負わせない……)
「…………わかり、ました。殿下に従います」
顔を上げたリーゼロッテはフリッツを正面から見据えた。
堂々とした立ち振る舞いに、兵の幾人かが息を呑む。
話はまとまった、とばかりに近衛兵長がフリッツに進言した。
「では殿下、あとは私たちに……」
「いや、もう下がれ」
フリッツから出た言葉に、近衛兵長は目を丸くする。
「は……い……? ですが……」
「彼女は曲がりなりにも聖女だ。ここから出すわけにはいかない。聖殿の奥の牢に入れ、私直々に取り調べを行う。神官、案内を」
「……承知いたしました」
ヘッダが機械的に頭を下げると、近衛兵長はそれ以上何も声を上げられない。
戸惑いながらも兵に引き上げを命じると、部屋から出て行った。
「……さて……着いてきてもらおう。逃げようものなら……」
「逃げません」
強く言い放ったリーゼロッテを忌々しそうに一瞥すると、フリッツは踵を返した。
私事ですが、インフルエンザに罹りました。
二日ほどお休みをいただきます。
突然申し訳ございません。
文章でおかしいところがあるかもされません。
誤字報告をご活用いただけたら幸いです。




