102.ユリウスは動く
茶会から帰ったリーゼロッテは、エルの部屋の扉をノックした。
「リーゼロッテ、どうかしたかえ?」
「エル様……その……」
ソファにもたれ少々気怠げなエルに、リーゼロッテは茶会で見た夢を話した。
「ふむ……白昼夢、というやつかの……しかし……」
ひと通り聞いた彼女は、考え込むように閉じた扇子を顎につけた。
一見物憂げな表情だが、血液を連想させるその瞳は真っ直ぐにリーゼロッテへと向けられている。
「リーゼロッテ、ちと身体を調べさせてもらっても良いかの?」
「は、はい……お願いいたします」
「うむ」
戸惑うリーゼロッテに頷くと、エルは彼女の背中に手を当て集中し始めた。
当てられたところから中身を覗き見されるようなぞわりとした妙な気配に、リーゼロッテは思わず身を捩りそうになる。
そうして必死に耐えながら「終わったぞよ」とエルが声をかけてくるまで待った。
「…………」
背中から手を離したエルは、無言のままソファに座り直す。
険しい表情と言うよりは、むしろ何かに逡巡するような表情だ。
「あ、あの……」
おずおずと声をかけると、彼女は重い口を開く。
「……結論から言おう。お主の身体には三つの魔力がある」
リーゼロッテは目を見開いて唖然とした。
(え……どういうこと……?)
この国の貴族が自身の魔力を測定する機会は限られている。
社交界デビュー前に一回。
これはただ話のタネにするためだ。
そして学院に入学する時にまた測定する。
クラス分けに使用するためであり、入学試験のようなものだ。
他にも爵位を継ぐ時や商売を始める時、身分証として測定し登録する。
測定の機会のうち、二回を彼女は経験済みだが、いずれも水の魔力しか指摘されていなかった。
「三つ……ですか……?」
ようやく絞り出した声は掠れる。
水と時の魔力は分かる。
しかし、もう一つ別の魔力が宿っているなど生まれてから一度も感じたことすらなかった。
「うむ。水、そして時の魔力……そしてかなり弱いながらも炎の気配もしておる」
「……炎……」
呆然と呟いたリーゼロッテの脳裏に、屈託なく笑う幼い日の姉が思い出される。
(お姉様も炎魔法の使い手でしたが……偶然でしょうか……?)
「やはり知らなかったか」
「ですが学院では何も……」
「無理もない。学院の測定は体表を這う魔力しか拾わぬ。おそらく、時と炎はその時に見過ごされたのじゃろう。おかげで時の聖女とバレずに済んだ、とも言えるがの」
戸惑うリーゼロッテに、エルは首を振った。
「……じつは、お主が魔力を暴走させて寝込んでおった時から気づいておった。その頃は炎の魔力は今よりもう少し強かったがの。そのおかげで水の魔力が打ち消されて、本来の力を発揮していなかったようじゃ」
「そう、なのですか……?」
(炎の魔力が……そういえばこの間、クリスタ様のドレスの染み抜きで使った水魔法、以前より魔力操作がしやすかったような……)
あの時は気づかなかったが、言われてみれば確かに、とリーゼロッテは得心がいった。
納得した様子の彼女にエルは頷く。
「うむ。しかしもうかなり小さい。そう遠くない未来、完全に消滅するじゃろな」
「消滅…………」
反芻しながら幼いディートリンデの悲しそうな笑顔が目に浮かんだ。
『リーゼちゃん、いままでありがとう』
掻き消えた彼女は、幼いながらも何かを悟ったような表情をしていた。
まるで今生の別れのような──。
(もしかして……でもまさか……)
顔から血の気が引いていくのが分かる。
息を呑む音が響いた。
「とはいえ……ユリウスのように生まれつき拮抗する魔力を有する者は多少打ち消し合うことはあってもどちらかが強くなりすぎることはないはずじゃ。おそらくお主の炎は……」
「後天的……で、ございますね?」
「うむ……原因は分からぬが稀にあることじゃ。一説には強い魔力に晒されると魂がその魔力を帯びることがあるとか」
エルはその後も様々な説を挙げるが、リーゼロッテの耳には届いていなかった。
原因やきっかけよりも、彼女には後天的に与えられた魔力だということの方が重要に思えたのだ。
(後から備わった魔力……しかもお姉様と同じ……そして実際のお姉様は魔力が……)
そこまで考え、はたと動きを止める。
今のディートリンデは魔力がない。
創環の儀すら満足に行えなかったのではと、生前コルドゥラが言っていたではないか。
リーゼロッテは恐る恐る、今一番聞かなくてはならない疑問を口にした。
「……魔力が突然消える、ということはあり得ますか?」
「ないことはないが滅多にない。老化と共に徐々に先細りすることはままあるが、突然となると……元となる魂が枯渇するということじゃからのぉ……それはすなわち死を意味する。生きたままとなると魂が入れ替わるくらいまで変質しない限りは無理じゃな」
「……魂が……入れ……替わる……」
リーゼロッテの声は掠れ、消え入るように弱々しく響いた。
一方その頃、書斎で羊皮紙を手に難しい表情を作るユリウスがいた。
手にした羊皮紙は二枚。
一枚はもちろん、昨晩届いたリーゼロッテのもの。
柔らかい文字で彼女らしい気遣いがあふれた手紙に、思わず笑みが溢れそうになる。
そしてもう一枚は、送り主らしからぬ直線的で実直そうな文字──。
その一枚が、彼の眉間の皺を深めていた。
「動くとしたら……今か……」
彼の呟きは誰も拾わない。
ここ最近、仕事を精力的にこなしたおかげでしばらく何もしなくても領内はやっていけるだろう。
それこそ、彼が辺境にいなくとも回るほどに。
「ロルフ」
彼は部屋の隅に控えていたロルフに声をかけた。
薄い気配のままのロルフは顔を上げると、ユリウスの元に歩み寄る。
「団長に伝えてくれ。留守は頼む」
すると何かを悟ったのか、ロルフは微笑むように口端を僅かに上げた。
「……………………承知、ユリウス様、気をつけて」
「ああ」
黒の軍服を手に窓を開け放つと、
「……風の流れを感じる、だったな……テオ……」
と呟き、ユリウスは風に乗って消えた。