7.贈り物にはお返しを
レオンと婚約してから一年がたった。
はじめはただ腹立たしい男だと思っていたが、名前を呼びあうようになった日から、時々、アドレアが遠慮なく受け取れるようなささやかな、それもちゃんとアドレアの嗜好に合わせた贈り物をしてくれるレオンに、アドレアは少しずつ、気を許しつつあった。
最初のころは、物をもらっても、迷惑料だ、ぐらいに思ってお返しのことなど気にもしなかった。
ただ、週に一回継続的に会っていれば、半年もあればそこそこの数の贈り物をもらってしまい、さすがのアドレアも、これにお返しをするべきなのでは、と思い始めたのだった。
レオンがあまりにも些細なものをくれるので、アドレアが黙っていることで、父は自分の娘がお返しもせずに物をもらい続けていることを知らない。そろそろお返しをしておかないと、父の耳に入った時に父が心労で卒倒してしまいそうだ。
「サラ。……ちょっと調べてほしいことがあるんだけど」
「調べてほしいこと、ですか?」
部屋で読んでいた本を閉じてサラに話しかけると、珍しい、と言う表情をされた。たしかに、サラにあまり調べ物を頼むことはないかもしれない。アドレアは気になったら自分で調べるからだ。
しかしこればかりは本で調べるわけにもいかないことだから、仕方がない。
「私と同世代の男に送って喜ばれそうで、かつ、ささやかな贈り物について、市場調査してきて」
「まあ! レオン殿下に贈り物を!」
サラは嬉しそうに両手を合わせてそういうと、手に持っていた茶器を置いてアドレアの傍に寄ってきた。
「……ええ。さすがにお返しをしないと……」
「ええ! そうですよね! お返しなさった方がよろしいとずっと思っておりましたわ! では、買い物に参りましょう! 実はいいお店をすでにいくつか見繕っているのです」
「え、すでに? それに私も?」
「そうです! お嬢様がお選びにならないと!」
どうやらサラは、アドレアがお返しをしないことをずっと気にしていたようだ。アドレアがレオンへお返しをする気になったら、連れて行くと決めていたのだろう。
「……今からでも私はいいわよ」
こうなったサラはきっと、アドレアが買いに行くというまでは動かないだろう。アドレアはどうせなら早い方がいいと提案すると、サラは馬車を手配してきますと言って部屋から出て行った。
こうして、サラとアドレアは、街に出てきていた。普段は市井で買い物はしない。侯爵家ともなれば、呼べばいくらでも商家の人間が来てくれるからだ。
しかし今回、アドレアが買いたいものは、侯爵家お抱えの商人から買うような高級品ではない。平民でも手は出るがちょっとお高い、ぐらいのささやかな贈り物を求めているのだ。
レオンが今までくれたのものは、お菓子や紅茶、花など、ちょっとしたもので、アドレアが好きそうだと思ったものを選んでくれていたようだ。
何度かお茶をしているうちに、なんとなくレオンの食の好みは分かってきたものの、いまいち何が好きなのかは分からない。それに、さすがに第二王子に市井の食べ物を上げるのは、万が一健康に問題でも起こしたら困る。
「消え物で食べ物以外がいいわね……」
馬車に揺られながらぽつりとつぶやくと、サラが目を丸くして、そのあと、ふっと笑って言った。
「そうおっしゃることもあろうかと、お店を選んでおきましたわ」
はす向かいに座るサラが任せてくださいとばかりに、うなずくと、自信たっぷりな様子でそういった。
「どこに連れて行ってくれるつもりなの?」
「着いてからのお楽しみです」
「……ちょっと、街を歩きたいから、ちょっと手前で降りてもいい?」
「いいですよ。そうしましょうか」
アドレアが街を自由に歩ける機会は少ない。
貴族として生きていれば、当然移動は馬車だ。健康維持のために歩いたりはするが、それは自宅の庭園か、王城の庭園ぐらいなものだ。自然を眺めるのもいいが、やはり街というのは、どこか活気があって、少し怖くて、でも行ってみたい、そんな場所なのだ。
サラが御者に声をかけて馬車を留めてもらい、二人は街へ降り立った。
街でも浮かないように、動きやすい空色のワンピースに、帽子をかぶってきた。ドレス姿がほとんどなので、こういう格好は新鮮で、着ているだけでわくわくしてしまう。
「わあ……あれ、何かしら?」
市場の喧騒の中で人込みの間から見えたものに興味を惹かれ、アドレアはそちらへと近づいてみる。アドレアの目に留まったのはガラス細工の置物だ。
小さなガラスのウサギや鹿が台に並べてあり、太陽の光できらきらと輝いている。
「買われますか?」
「ううん。いいの。見るのが楽しいだけよ」
ストラーテン家の財力からすれば、この店の全ての商品を買い占めるぐらいのことはたやすいが、アドレアは首を横に振った。あまりものに執着心がない性格なのものあって、買ったとしても、買った記憶さえなくなってしまいそうだから、よほど気に入ったもの以外は買わないようにしているのだ。
あまり近づきすぎると、購入意欲がある客と間違われそうなので、アドレアはあまり店に近づかないようにしながら、キョロキョロとあたりを見回した。
「なんだか、いい香りがするわね」
「あそこにパン屋さんがありますよ」
「わあ……おいしそう」
「帰りに買って帰りましょうよ。私も食べたいですから」
「そうしましょう!」
ただし食べ物は別だ。
こう考えてみると、レオンがアドレアに必ず消えもの、しかも、アドレアが興味のある食べ物を贈るのは、悔しいながらにセンスがあると言うしかない。おそらくアドレアは、そもそも消え物ではなかったら、あの日もプレゼントを受け取らなかった。もしかすると、あのお菓子でなければ、たとえ消え物でも受け取らなかったかもしれない。
「レオンはどうして、あの日、あのお菓子を選んだのかしら……ねえ、どう思う?」
「そうですね……お嬢様は、本当に気に入ったお菓子を召し上がる時は、嬉しそうですから、レオン殿下もそれを見て、決められたのでは?」
「やっぱり私が分かりやすいのね……」
「私はお嬢様が幸せそうに召し上がってくれた方が、嬉しいですよ」
サラはレオンとほぼ同じようなニュアンスのことを言ってほほ笑んだ。
お菓子で喜ぶなんて子供っぽい、と思ったが、おいしいものを食べている時に、思わず笑みをこぼしてしまうのは仕方がないと思う。だから、サラやレオンがそれを見て気づく、というのも仕方のないこととして受け入れよう。
とはいえ、もう少し、感情や表情をコントロールできるようになるべきかもしれない。
「お嬢様、このお店です」
サラがそう言って指したお店からは、何の香りかは分からないがかぐわしい香りが漂ってきていた。小さい瓶やドライフラワーが置いてある。
「何のお店なの?」
「香水店です。雑貨や、ポプリなども置いているのですが、薬用としての効能があるとされているものもあり、日ごろお疲れの殿下にはいいのではないかと。それに、お嬢様も香水に興味がおありかと思って」
「確かに香水は大人の女性って感じがするし、興味はあるわ」
「中に入ってみましょう」
サラはそういうと、扉を開け、アドレアに入るように促した。十一歳のアドレアにとっては、香水を取り扱うお店は、すこし背伸びしたようなお店だが、サラがいいというのならいいのだろう。おそらくサラはこの一年間、色々と考えた末に、アドレアがレオンに消え物でお返しをしたいといったらこの店だ、と選んだに違いないのだから。
アドレアは少しだけ息をすって、ドキドキとしている自分の心臓を落ち着かせると、ゆっくりと店内に入ったのだった。