6.本当の理由は言わない
「君は……どうして怠惰な生活を送りたいの?」
レオンが投げてきたその問いに、アドレアは何と答えるか悩んだ。
正直に答えるのもいくつかの理由で抵抗がある。
「面倒なことが嫌いなの」
だから、決して嘘ではない、一番無難そうな理由を選んで回答する。
「でも君は家庭教師の授業は真面目に受けているし、成績も優秀だ。天才の称号すらほしいままにしている。面倒ごとが嫌いなら勉強もマナーも、もっと雑になるんじゃ?」
「目の前の面倒ごとを放置して、将来の面倒ごとを増やすことを察せられないのは馬鹿なのよ。私は貴族に嫁ぎたい。それの方が、私が働かなくていいもの。でもそのためには、私の価値を上げる必要がある」
「それなら私の妃も悪くないじゃないか。大抵のことは使用人がやる」
予想していた反応ではあったが、まったくもってアドレアが憂慮している心配事を考慮していないレオンの発言にアドレアは思わず首を横に振って立ち上がった。
「何を言ってるの? まったく違うわ」
そしてスタスタとレオンの方に歩いていき、テーブルに片手を付くと、レオンの方を指さし、彼のエメラルドのような瞳を覗き込むようにして言った。
「あなたは、貴族ではなくて王族よ。しかも第二王子。すなわち王位継承権は第二位。あなたを担ぎ上げたい人間や、あなたを退けたい人間からの思惑に、あなたは晒され続けなければならないわ。その王子妃なんて、面倒ごとの最たるものよね。人間関係の闇ほど、私を煩わせるものはないわ」
王宮の血みどろの歴史を知るアドレアとしては、何としても避けたいところだ。とはいえ、王宮だと死亡率が上がりそうだから怖い、なんていうわけにもいかないので、そこはぼかして適当に言いつくろっておいた。
レオンはアドレアの言葉を受け止めると、ふと、何を思ったのか、アドレアが予想もしていなかった切り返しをしてきた。
「つまり、私が臣下に降れば、君は満足するということ?」
風がアドレアの長い銀の髪を攫って行った。
しかしそれに気にをかけることもできないほど、アドレアはレオンの言葉に気を取られていた。
レオンが臣下にくだり、王位継承権を放棄すれば、アドレアの懸念は完全に解消され、実はよい縁談相手になりうるのか。それは、まだ自分自身に問いかけていない問いだった。
そしてアドレアはいくつかの現状を鑑みて、結論を出した。
「あなたが臣下に降っても、やっぱりダメよ。王位継承権はあなたにあるはずだもの」
「王位継承権を捨てることが、条件というわけか」
「そうね。でも、できないはずよ。王族の男児は今、二人しかいない。傍系まで辿ればいるけれど……」
王族の男児は、直系以外を辿ればいなくはない。ただし、噂によると、その人物は女癖が異常に悪いという。重婚は認められていない国だが、浮気や私生児が全くいないというわけではない。
ただ、それを王族であるレオンに直言するのは、さすがのアドレアでもためらわれた。すると、レオンはアドレアが何を言いたいのか察したらしく言葉を引き取って言った。
「傍系の王族は稀代の遊び人だ。あれが王になれば、王族の家系図は、いっきに賑やかになるね」
「そうなれば、必然的にあなたは王位継承権を放棄なんてできないわよね?」
「どうかな?」
相変わらず、煙に巻いたような回答で、アドレアはイラっとさせられた。しかし、とりあえずレオンが王位継承権を持っていようが、持っていなかろうが、王子であることにはかわりない。
「私はしばらくこのバカげた茶番に付き合わされるってわけね。あなたの虫よけとして」
アドレアは嫌味たっぷりにそういったが、レオンから反応がない。
何やら彼は考え事をしていて、アドレアの話は聞いていないようだ。人が目の前にいるのに人の話を聞かないなんて、と思いながら、アドレアはレオンに顔を覗き込んだ。
「ねえ、聞いてる?」
ちょっと怒ったようにいうと、現実に戻ってきたレオンは、アドレアと距離が近すぎると思ったのだろう。反射的に体を少しのけぞらせて、問い返した
「ごめん。なんだって?」
「私はしばらくこのバカげた茶番に付き合わされるのよね? あなたの虫よけとして」
「だとしたら……どうなんだい?」
「私のことはアドレアって呼んで。私はあなたに敬語を使う気はないわ。胡散臭い話し方であなたが私に話すのも勘弁。それなら、親しいふりをするに越したことはないもの」
虫よけだとしても、婚約者として相応のふるまいを求められるというのならば、アドレアにとって少しでも快適な環境の方が良い。
「……なるほど。じゃあアドレア。君も、私のことを名前で呼ぶといい。その理論だと、お互いにそうすべきだよね?」
レオンの合理的な意見に、アドレアは渋面した。しかし合理的であるからには、レオンの言葉に従わないわけにはいかない。自分の方から親し気な様子を演出しておきたいと言ったのだ。
「レオン」
初めて名を呼んだこの時の感覚は、アドレアにとって形容しがたい複雑な感情だった。
一つはっきりしていることがあるとすれば、アドレアはレオンと名を呼ぶことに対して、特に嫌悪感は抱いていない、ということだった。
お茶会を終えて帰る時に、侍女がレオンに何かを手渡した。それはきれいにラッピングされていて、明らかにプレゼントだと分かるものだった。
「これ、アドレアが好きなんじゃないかと思って」
レオンはそう言ってアドレアに手渡すと、開けてみて、と言った。
アドレアは促されるままに包みを開けた。
紅茶の香りがふわりと漂う。
「これ、一番好きだったお菓子!」
中身を見てみると、アドレアが城で出されたもので一番好きだったお菓子が入っていて、思わず嬉しくてはしゃいでしまった。
「喜んでもらえて嬉しいよ」
レオンに笑顔でそう言われて、はっとしてアドレアは表情を取り繕った。お菓子で喜ぶなんて、これでは子供っぽいと思われたかもしれない。
「どうしたの?」
すると、突然、無表情になったことに驚いたのか、レオンがそう問いかけてきた。
「……子供っぽいと思ったでしょ?」
「ああ、お菓子で喜んだから?」
レオンはアドレアの表情の変化に納得した様にうなずくと、でも、と言葉を続けた。
「子供っぽいとか関係なく、私があげたものを喜んでくれた方が嬉しいよ」
そう言ったレオンの浮かべている表情が、あまりにも優しく、穏やかな微笑みだったので、アドレアは小さなことを気にした自分が恥ずかしくなって、思わずうつむいてしまった。
そして視線を下にやったことで、手元のお菓子が視界に入り、もう一度中身を見る。このお菓子をくれたことはありがたいと思っているし、喜んだの事実だ。
思わずはしゃいでしまったせいで言いそびれたが、お礼を言わないのは、アドレアのポリシーに反する。
「あの……ありがとう、レオン」
思い切って顔を上げてそう言うと、レオンが名を呼ばれて少し驚いたような表情をした後、嬉しそうにはにかんで、うなずいた。
その笑顔は、アドレアがレオンと出会った日に嫌ったような胡散臭い笑みではなく、心からの笑顔だった。その笑顔を見ていると、最初に思ったよりは、レオンという人間が嫌ではないかもしれない、とアドレアは思い始めたのだった。
そう、決して、お菓子につられてほだされたわけではない。決して。




