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アドレア・ストラーテンは怠惰に生きたい  作者: 如月あい
1章 レオン・セントレアを認めるまで

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2/20

2.アドレアの怒り

 セントレア王国ストラーテン侯爵家の娘アドレアは、その日とても不機嫌だった。

 なぜ不機嫌かと言えば、前の日の自分の軽率な行動で、十歳にして婚約者が決まってしまったからだった。それも、相手はこの国の第二王子レオン・エメラルド・セントレア。

 名前と同じく美しいエメラルドのような瞳を持つ美貌の王子だが、アドレアは婚約相手としてはレオンに対して大いに不満だった。

「ああ、あの王子、どうしてやろうかしら……」

「お嬢様、すこし落ち着かれてください。朝からそのような顔をされては、しわになってしまいますわ」

 庭に置いてあるテーブルに頬杖をつき、ぶっきらぼうな様子で文句を言っていたアドレアに、サラはハーブティを差し出してきた。

 ティーカップを受け取ると、かすかに見える白い湯気が立ち上り、ふわりとハーブの香りが漂ってきた。その香りでアドレアは受け取ったハーブティーが何かわかり、むすっとしたまま聞いた。

「鎮静効果のあるハーブね。私はそんなに怒っているように見える?」

「お怒りに見えますよ。珍しいですけれど」

「そう……別にサラに怒っているわけではないわ」

「承知しております」

 サラは穏やかにほほ笑むと、アドレアにハーブティーを飲むように促した。

 カップに口をつけると、最初は豊かな香りがし、口に含んだあと舌に熱いお茶とほのかな渋みと抜けるような爽快感が伝わっていく。ごくりと飲み干すと、熱いものが食道を通っていくのを感じた。

「ちょっとまだ熱いわね……」

「少し冷ましましょうか」

「このまま置いておけばいいわ。それより、あの男のことよ!」

 カップを置く手が力んでしまったのか、ソーサーとぶつかってがちゃりと音を立てた。サラが少し驚いたようにこちらをみるので、ばつが悪くなって、アドレアは少しカップをさするようにすると一度大きく息を吐いた。

「嫌がる私を婚約者にするなんて。本当に性格の悪い男だわ!」

「落ち着いてください。お嬢様の年齢で婚約が決まっていらっしゃるなんて、将来安泰ですよ」

「……サラ、あなたはいくつ?」

「私ですか? 十八歳です」

「婚約しているの?」

「いいえ……」

 サラの表情が曇ってきた。どうやらアドレアが言いたいことが分かったようだ。

「私の年齢を知っているわよね?」

「お嬢様は……十歳ですね。ですが、侯爵家のご令嬢と、一侍女の婚約を並べるのは……」

「侯爵家でも十歳で婚約しているなんて、この国ではほとんど聞いたことがないわ! 一夫一妻制でこんなに早く婚約するのはリスクしかないもの」


 セントレア王国では、王族を含めすべての国民に重婚を認めていない。

 それは百年ぐらい前の国王がそう決めたそうだ。王がその決断を下した理由として語り継がれているのは話はこうだ。

 王家子どもの乳児死亡率が国民、それも貴族ではなく平民よりも低かったからだそうだ。

 医療技術が発達し、子どもが死にづらくなった国で、最も高水準の医療技術を誇る王家で死者がでるのは、つまり、誰かが意図的に殺しているということである。そして、その時の国王は自分の子供が死にゆく原因は、王位継承権を争い、他人の子供を殺す親、親族がいるからだと判断した。

 そこで、当時の国王はある決断をした。国王が最も愛した王妃以外の妃をすべて未婚の家臣に妃を下賜し、全国民に対して重婚を禁じたのだった。

 平民はともかく、貴族からの反発は大きいこの施策だったが、当時の国王は重婚の禁止により複数の妻がいる場合は一人を当主に選ばせ、選ばれなかった女たちには再婚のための社交場か、公共事業を立ち上げ仕事を与えることで、なんとか決行したようだ。

 

 そういう歴史を学んだアドレアとしては、王家へ嫁ぐとは何としてでも避けたい事態の一つだった。

 誰がそんな魑魅魍魎とした醜い権威争いの戦地へ赴きたいと思うだろうか。たとえ今、重婚が禁止されていたとしても、王家の子どもがまったく死なないわけではない。自分の子どもが平和に暮らせないかもしれない環境で過ごすなんて、まっぴらごめんだ。

 アドレアは貴族の娘として優雅な余生を送りたいのだ。

 そのためには、中央の権威争いとは無縁だが、取り潰されそうもない貴族と結婚するのが、最も手っ取り早い。

「この国で、十歳にして婚約者がいるということは、それだけ将来を見込まれたということですよ」

「将来を見込まれた? あの男が私の能力や何かを見て選んだとでも? あの男はこう言ったのよ。『私にまるで興味がないなんて、万々歳だ。それだけで君を選ぶ理由になるよ』って。まだ、一目ぼれしたとでも言われた方がマシだったわ!」

 アドレアが声を荒げてそういうと、近くを通りかかった庭師が何事かとこちらを振り返った。アドレアはここまではっきりと癇癪を起したりしないタイプだが、昨日のことはどうしても腹に据えかねたのだ。

「お嬢様、一度、落ち着かれましょう。さあ、お飲みなってください」

 サラがカップを手に取ると、そっとアドレアの手に握らせた。それをぐいと傾けて飲むと、さきほどよりはやや冷めたお茶が口の中に広がった。アドレアの怒りはハーブティごときで収まるものではないが、サラが心配そうに見守っているので、少し落ち着いた様子を演じて見せることにした。

「サラの淹れるお茶はいつもおいしいわ」

「ありがとうございます。でも、私の淹れるお茶では、お嬢様の心を静めることはできないようですね」

 サラはそういうと困ったように微笑んだ。

「どうして私が静まっていないと?」

「ふふ。お嬢様、いつもはお上手に演じられておりますけど、今日はまったく演じられておりませんわ。顔の表情が凝り固まってしまわれたのでは?」

 サラは茶化すようにそういうと、彼女自身の頬を人差し指で指した後、にっこりと口角をあげて笑ってみせた。普段はあまり感じないが、こういう時は自分が子供を扱いされていることを自覚する。

「……いつもは? 今日だけじゃなくて、()()()()感じるってこと?」

「私の前ではあまりそうされませんが、家庭教師の前や侯爵のご友人方に挨拶されるときは、気を張っておられるのが分かりますわ」

「それ、サラだからわかるの? 大人はみんな分かるの?」

「それは……もちろん、私だから分かるのですよ」

「嘘ね」

「お、お嬢様……」

 サラが言いよどんだので嘘だと看破すれば、サラは慌てたように言葉を重ねた。

「子どもらしいことは悪いことではありませんよ。子ども時代は人生の中でわずか一時なのですから」

「それは私が子供らしいって言ってるのと同じよ。なんてことなの。ストラーテン家の娘として自分を律してきたはずなのに」

 子どもなのに背伸びして、とでも思われていたということだろうか。それとも子供が大人ぶるのをおとなしく観察されていたのか。どちらにせよ、自分が子ども扱いされているという事実が許せないのだ。

 もちろん、アドレアはセントレア王国の法律上は子供だ。大人として認められるのは十八歳なのだから、あと八年もある。

 しかし、ストラーテン侯爵家の娘として生まれ、その名に恥じぬよう生きるには、子どもだからと言って子どものようにふるまっていてはいけないのだ。今、この時代をさぼることで、自分のこの先の人生が大きく不利になってしまうこともある。

「ご安心なさってください。おおむねお嬢様は大人びていらっしゃいますよ」

「サラはもう成人しているんだものね。うらやましいわ」

「あらあら、過ぎ去った時は戻すことはできないのですよ。私たちができるのは、今と、その今が連なる未来を変えていくことだけ。お嬢様にとってのこの時代は、とても大切なものなのです。もったいない事をおっしゃらないでください」

 サラはどこか切なげな表情でいうので、アドレアははたと気が付いた。

 そういえばサラは四年前からアドレア付きの侍女だ。侍女になる前も、子どもながらに兄弟を食べさせるために働いていたという話も聞いた。彼女は彼女で、子ども時代にやりたいことができなかったのかもしれない。

 そんな彼女に、全てをもって生まれたアドレアが我がままをいうのは、よくないことかもしれない。

「……いいわ。確かに時の流れは不可逆よ。この世で最も価値があり惜しまれるものと言っても良い。謳歌しないのは馬鹿らしいわね」

「その調子ですわ。ほら、よろしければ――」

「――でも、この時代を謳歌するには、やっぱりあの男をどうにかしないと!」

 サラが何かを進めようとしたのを遮ってアドレアはそういうと、ティーカップに残っていたお茶を飲み干して立ち上がった。

「あの男がいるなら、私は日々を思うように過ごせないもの!」

 アドレアがそう宣言した時だった。

「おや、あなたの平和を脅かす男とは、どなたでしょう?」

 昨日と全く同じパターンで声をかけられて、アドレアは思わずその場で舌打ちしそうになった。

 サラの表情が昨日ほど焦ってはいないものの、やや緊張してこわばっている。

 

「あら、あなたはどなたのことだと思うのかしら?」


 こんな不意打ちを許すぐらいなら、この庭でのんきにお茶を飲むのはやめよう。そう決意しながら、アドレアは振り向いたのだった。


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