19.覚悟はまだ、決まらない
アドレアはルークとの別れを惜しみながら、ウェストカームからセントレアへ帰国した。
アドレア・ストラーテンのウェストカーム訪問は非公式だ。公式に訪問したのは、父であるストラーテン侯爵のみ。だから、アドレアはそもそもウェストカームに行っていたことを、レオンに話すつもりはなかった。
セントレア王国に帰国してから、三か月たったら再び会うという約束通り、レオンと週に一回会う予定は復活させたが、アドレアは三か月の間のことをレオンには一切語らなかった。ウェストカーム王国に行ったことすら、レオンには話していない。
「お嬢様、ウェストカームから帰国されてから、どこか上の空ではありませんか?」
サラがアドレアの髪をすきながら、そう尋ねてきた。
今日はレオンがストラーテン家に来る日だ。だからこそ、サラは気合を入れてアドレアの支度をしている。ドレスの色を聞かれて聞き流したのが良くなかったのか、上の空であることが見抜かれてしまったらしい。
「気のせいよ。それよりもレオンが来るんでしょう。髪は編み込んでおいて」
アドレアがそう言って躱すと、サラはそれ以上は追求してこなかった。鏡に映る自分の姿を見ながら、アドレアは小さく息をついた。
あの日以来、アドレアはずっと考えていることがある。特にレオンと会う日は、そのことについて考えてしまうから、ぼんやりとしてしまうのだ。
そんなぼんやりとしていたアドレアのもとにレオンの到着を告げる知らせが来た。
アドレアは客間の真ん中に用意されたソファに座って、じっとレオンを待つ。
「アドレア」
自分の名が呼ばれ、はっとして顔を上げる。扉があいたのにも気づかなかったが、レオンの顔色を見て、思わず眉をひそめてしまった。
以前、レオンが倒れた時ほどではないが、顔色が明らかに悪い。どうやら相当疲れているらしい。しかしレオンの性格上、一目があってはゆっくり休むことはできないだろう。
「今日は外でのんびりしましょうか。天気もいいことだし」
「君が外に出たがるなんて珍しい」
レオンのための提案がそんな風に言われて、アドレアは思わずムッとしてレオンをにらんでしまった。
「私をひきこもりみたいに言わないでいただける?」
「ごめんごめん。そういうつもりはなかったんだけど」
慌てて謝るレオンを見て、体調不良者に気を使わせてどうする、とアドレアは気を取り直し、小さく息を吸って気持ちを落ち着かせた。
「行きましょう。適当なものを包ませるから」
「ありがとう」
アドレアがそういって目配せすると、準備をしに数名が厨房に行くのが見えた。
そうして二人は、準備が整った様子なのを見計らって、屋敷の外に出た。
アドレアが選んだ場所は、アドレアが考え事をするのに使う、大きな池のそばの木の下だ。
「それを預かるわ。ストラーテン家の敷地内で誰かに襲われることはないでしょう。だから、あなたたちは戻っていいわ」
「承知いたしました。お迎えにはあがりましょうか?」
「いいえ。私がこの屋敷で迷うとでも思っているの?」
「愚問でした。ごゆっくりなさってください」
アドレアが使用人の持っていたバスケットを受け取ると、使用人はアドレアの言葉通り屋敷へと戻っていく。
普段は特に人払いをすることはないため、レオンはどうやらそんなアドレアの行動を不思議に思ったらしい。
「人払いなんて、何か話したいことでも?」
「……いいえ。単にそういう気分だっただけ」
アドレアはそういうと、木の下にゆっくりと座った。たまにはこうして、無作法に振舞うのもわるくない。直接座ってしまってはドレスに土がつくが、それも良いだろう。
しかし全くためらわず座ったレオンの行動が意外だったのか、レオンはその場に立ち尽くしていた。
「座らないの?」
彼のエメラルドのように輝く瞳を下から覗き込むようにして、アドレアはぽんと自分の隣をたたいた。
アドレアに言われて、ようやくレオンはそっと隣に腰をおろした。
「学校への入学準備は順調?」
セントレア王国では、王族や貴族問わず、十七歳になる年から十九歳になる年まで、上級学校に行くことが義務付けられている。いままで家庭教師をつけて学んできたことに加え、社会での立ち回り方を学ぶためだ。
「順調に進んでいるよ。幸い、兄上のおかげで、学校側の準備も万端だからね」
レオンにはエイブラムという名の兄がおり、その兄がこの国の王太子でもある。あれだけ頻繁に城に行っていてもエイブラムとアドレアはほとんど面識がないに等しく、どんな人物かどうか全く分からない。
「王太子殿下は今年ご卒業されたのよね」
「そうだよ。兄上が入っていた寮に入れ違いで入る形になる。部屋も全く一緒だ。多少、荷物を入れ替えるぐらいで私は入学できるというわけさ」
「……でも、学園側はともかく、レオンは大変なんでしょ」
「どうして?」
「どうしてって、そんなに疲れた顔をして言われてもね……」
アドレアの言葉に、レオンはかすかに眉を上げた。どうやらばれていないと思っていたらしい。
こんなにあからさまに疲れたという顔をしているのに、分からないとでも思っているのだろうか。呆れたことだ。
「なんでわかったのか、って顔してるわね。何年の付き合いだと思ってるの」
「五年だね。でも付き合いの長さでは必ずしも測れないさ。君と母上以外で、私の本心を言い当てる人に会ったことがないからね」
レオンは確かにいつも煙に巻いたような態度をとる。
出会った頃はそれがどうにも腹立たしくて、いつもイライラさせられていた。でも最近は、レオンが何を考えているか、昔よりは読めるようになったため、苛立ちも少なくなってきた。
最も、アドレアが大人になっただけかもしれないが。
「……そう。とにかく、やすみなさい。疲れてるんでしょう」
「でも……」
休めと言って素直に休む男ではないことは分かっているので、レオンの腕をぐいとひっぱった。その勢いで態勢を崩したレオンは、すっぽりとアドレアの膝に頭を収めた。
いわゆる膝枕である。
「しばらく寝れば、その顔も少しはマシになるでしょう」
アドレアがそういうと、レオンが小さく息をのんだ。そして、一瞬、考えるような表情をした後、ゆっくりとうなずいていった。
「……すこし経ったら、起こしてほしい」
「ええ」
レオンはゆっくりと目を閉じた。
想像以上にレオンは疲れていたらしい。しばらくすると規則的な息をし始めて、眠りに落ちたらしい。疲れを取るためには、レオンが自然に起きるまで寝かせておいた方がいいだろう。
木の幹にもたれかかり、木々の葉からこぼれおちる太陽をみつめながら、アドレアは小さく息を吐いた。
ウェストカーム訪問は、アドレアにとって覚悟を問いなおされた旅だった。
ルークと再会し、彼女の賊への対応に触れたことで、彼女の王女としての覚悟を見た。彼女は何があっても、敵とみなしたものには容赦しない。そうしなければ自分の身を守れないからだ。
セントレア王国とウェストカーム王国では、争いごとに対する意識が根本的に異なる。同じ王族だとしても、レオンは彼女ほどの確固たる覚悟は持っていない。だから、その妃となったとしても、ルークと同じ覚悟を持つ必要がある、ということにはならない。
しかしそれが分かっていても、アドレアはやはり王子妃にはなりたくないと思った。
一貴族と結婚して、怠惰にのんびりと暮らせる未来をつかむこともできるはずなのに、それを捨ててまでレオンを選びたいとアドレアは思えないからだ。
昔と違って、レオン自体が嫌というわけではなくなったものの、やはりレオンが第二王子であるということで、彼と結婚する気にはなれなかった。ウェストカーム王国ほどでないにせよ、王家は血塗られた歴史を持つ。その歴史の波にわざわざ飲み込まれたいと思う女はどれほどいるのだろうか。
否、第二王子であろうと、王子妃にあこがれるものはたくさんいる。だからこそアドレアは、嫉妬と羨望をうけ、国内で親しい友人を作れずにいる。
アドレアが誰かと親しくなることはすなわち、第二王子の派閥を作るに等しい。勢力が大きくなればなるほど、それは第一王子であるエイブラムを脅かすことになる。そんなことはアドレア自身も望まないし、当然レオンも望まないだろう。
「誰か、代わってくれればいいのに……」
望まぬ者が王子妃位を得て、望む者が得られない。世の中とはそんなものだと言ってしまえばそれまでだが、あまりにも無情ではないか。
そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。
膝の上でレオンが身じろぎした。どうやら目を覚ましたようだ。はじめはぼんやりと池の方を見ていたレオンだったが、あるとき完全に意識が覚醒したのか、はっと、目を見開き、顔をアドレアの方に向けた。
向けられたその顔は、来た時と違って疲れが取れているように見える。どうやら眠りによって回復したらしい。起こさずにそっとしておいたかいはあったというものだ。
「起きたの? ……すこしはマシになったわね」
レオンの表情を見ると、思わず口元が緩んだ。でもそれを隠すようにそっけなく言葉を続けた。
「まだ眠る?」
絶対レオンは断るだろうと確信はあったが、念のために問いかけた。
「いや。起きるよ。ありがとう」
予想通りレオンは首を横に振ると
レオンはゆっくりと身を起こすと、アドレアに向き直った。
「起こしてくれてよかったのに」
「……起こす理由がなかったのよ。たまには静かに日向ぼっこも悪くないわ」
「私の婚約者殿は、ずいぶんと気が利くね」
確かにアドレアはレオンを起こすつもりはなかったが、それはレオンのためだけではない。レオンに休息を与えつつ、自分も考えたかったのだ。
「いつでも婚約は解消してくれていいのよ。腐っても侯爵家だから、あなたに婚約破棄されても、きっとどこかには嫁げるわ」
こんなやりとりは日常茶飯事だった。
アドレアはいつだってためらいなく婚約解消をしたいと口にしたし、この言葉はいつだってレオンにゆるりと躱されてきた。
「アドレア」
しかし、今日は違った。
レオンはアドレアの腕をつかんでいた。本人はもはや無意識なのかもしれない。どこかすがるようなその様子に驚いて、アドレアは質問する。
「? どうしたの?」
その質問に、レオンははっきりとした言葉でこう答えた。
「私は、君との婚約を解消するつもりはないよ」
それは、おそらく初めて、レオンが明確に婚約破棄の意志がないことを明確に主張した瞬間だった。もちろん今までだって、婚約破棄を承諾したことはなかったが、こんな風にはっきりと断ることもなかったのだ。
「急にどうして?」
「さあ……。どうしてだろうね」
レオンはいつものように煙にまくような答えをする。
レオンのこういうところがアドレアは嫌いだ。はっきりと答えてほしいことに限って、答えてくれはしない。
しかし今日のような、はっきりと意志主張してほしくないタイミングでは、意志を主張するのだ。
どうして今日なのだろう。どうして、別の日にしてくれなかったのだろうか。アドレアは考えて考え抜いて、やはりレオンと結婚はできないという考えに思い至ったというのに。
それなのにどうしてレオンは笑っているのだろうか。
「レオン? どうして笑ってるの?」
その笑みにいら立ちを覚えて指摘すると、レオンはかすかに息をのんだのがわかった。どうやら驚いているようだ。無意識に笑っているのか。
「秘密」
今度はきっと意識的に造っているであろうその笑みを見て、アドレアは心に誓う。
アドレア・ストラーテンは王子妃になんてならないのだ、と。




