18.王女との約束
「さて、行くわよ。背教者の顔を拝みにいかなくっちゃ――」
「――背教者とは、誰のことでしょう?」
ルークの声を遮って放たれたその声に、三人はとっさに振り返り、カーティスは剣を抜き、ルークはアドレアをかばうように前に出た。
「あなたのことよ。聖職者が、人さらいに手を染めるなんて」
ルークがぴしりと指をさした先にいたのは、紫紺の祭服をまとった男だった。服装は明らかにユエグラ教の司祭のようだ。しかし彼は、まったく取り繕う様子はなく、余裕の笑みを浮かべて言った。
「私が人攫いと結託していると分かっているのに、わずか三人で乗り込んできたのですか? なかなかに無謀なお嬢さん方ですね」
どうやら彼は、ルークの顔を知らないようだ。さすがに自国の王女だと知ってこの不遜な態度をとっているわけではないだろう。ただ、殿上人である王女ルナリークを街の司祭が知らないとしても、彼女の護衛をしているカーティスの方は顔が割れていそうなものだが、そうでもないのだろうか。
「その開き直り具合からして、どうやらあなたもよほどの勝算があるようね?」
「この聖堂に入られては、開き直るしかありませんからね」
司祭はゆっくりと三人に歩み寄ってきた。カーティスは剣を司祭に向けたまま、後ろの階段に視線をやった。後ろから人が出てくるのを恐れているのだろう。
ルークはそんなカーティスの警戒をよそに、カーティスの隣に並び立つと、腕を組んで、司祭を見据えた。
「ふうん。それなら聞かせてくれる? ヘルナル家にいくらで買われてるの?」
「なっ……! なぜそれを?」
「あら図星なの。そう。ヘルナル家が人攫いを容認して得た金は、何に使われているのかしら。彼自身の私財? 誰かへの賄賂? それとも……私兵の強化?」
明らかに最後の言葉で動揺した司祭の様子を見る限り、私兵の強化にお金が流れているということだ。元々争いの多いこの国で私兵の強化ということは、内乱の兆し、ということだろうか。
そういえばルークはここに乗り込む直前、ヘルナル家が絡んでいるなら、理由によってはもみ消さなければ、と言っていた。それはこういうことだったのかもしれない。
「私兵の強化なのね。……どうやって処理するか、頭が痛いわ」
「処理? お嬢さん、自分の状況を分かっていますか? あなたの言う人攫いが、その階段下にいます。合図すれば、あなたたちを拘束するのは簡単だ」
「あなたたちこそ、現状を理解したほうがいいわね」
ルークはカーティスに視線を送った後、すっと右腕を掲げた。
「ルナリーク・ラス・アシュフィールドの名において命じる! 賊を討滅し、囚われている市民を救出せよ!」
高らかなルークの声とともに、いったいどこから湧いてきたのか、あっという間に聖堂の中はウェストカームの兵で埋め尽くされた。
彼らは呆然としている司祭を通り過ぎて、地下へと続く階段へと吸い込まれていく。
「ル、ルナリーク・ラス・アシュフィールド……王女殿下」
「名前を聞けば、私だと分かるのね。でも……私の顔を知った者はほとんどこの国にはいないのよ」
ルークの言葉と共に、カーティスが迷いなく司祭を斬り捨てた。司祭の体が崩れ落ち、聖堂に血が飛び散った。時間がゆっくりと流れているかのようだった。
一瞬前までは生きていた命が、失われていく瞬間を初めて目の当たりにして、アドレアは言葉を失っていた。確かに彼女は、討滅せよと命じた。討滅ということは、賊を生かしておく気がないということだ。彼女は最初から言っていたではないか。理由次第では、握りつぶすと。情報漏洩を恐れるなら、殺すのが最も確実な手段というのは、古今東西どの国でも通じる考えだろう。
目の前で切られた男を呆然と見つめていると、返り血を浴びたルークが、アドレアの顔を見て何かに気づいたような表情になり、そしてそのあと、悲しそうにほほ笑んだ。
「深層のご令嬢には刺激が強かったわね。ごめんなさい。うっかりしていたわ」
「ルークは……慣れているのね」
彼女は悲しそうにしているが、それはアドレアの反応を見てのことだろう。彼女は目の前の死にまったく動じている様子はない。彼女にとって、死は日常にあるのだろう。死を目撃してしまったこと以上に、ルークが全く平然としていることが、どこか悲しく感じられた。
「ええ、慣れているわ。そういう環境に生きてきたもの」
「ルーク……」
「それに私は、手を下すことにためらわない。たとえ相手が、知り合いであっても」
ルークの赤い瞳には、確固たる決意が秘められている。彼女は本当にその言葉通り実行できるのだろう。仮にアドレアがルークの敵になったとしても、彼女はためらわず斬り捨てるのだろう。それが彼女の生きる道だから。
「私は敵にはならないわよ」
アドレアが今できる精いっぱいの笑顔を作って見せると、ルークが驚いたように目を見開いた。そして、一瞬の後、ふっと笑った。
「言われなくても、信じてるわ」
そう言った彼女の後ろで、カーティスが驚いたように目を見開いているのを見て、アドレアは首を傾げた。しかし、そのあと、処理の終わった軍が地上に戻ってきたため、アドレアはその表情の真意を問えなかった。
軍が地上に戻ってきた後、ルークは慣れているのか、現場の指揮を執り、てきぱきとその場にいる人間に指示を出していく。
その様子を見ていると、彼女は王女として、いくどもこういう場面に立ち会ってきたのだということを感じさせられる。隣国とはいえ、セントレアとウェストカームでは国内情勢があまりにも違う。セントレアは戦乱に巻き込まれてもいなければ、内乱も記録に残る限りほぼ起こっていない。かなり平和な国だ。
レオンとルークは近しい立場にいるはずだが、二人の有事への心構えは根底から違うように見える。そもそもレオンが有事にどのように行動するのかアドレアには読めない。彼はそういう難しい場面に立ち会ったことがあるのだろうか。
もともとの気質的に争いごとを避けたいタイプにも見えるから、きっとこういう場で、非情な判断を下せないのだろう。そういう意味では、レオンは第二王子が向いているのかもしれない。国王になるにはあまりにも、優しすぎる。
アドレアは聖堂に並べられた椅子に座り、ぼんやりとそんなことを考えていると、カーティスが一人でアドレアに近づいてきた。
「ストラーテン嬢、少し、いいですか」
「かまいませんが、ルークを放置していいんですか?」
「さすがにこれだけの兵が、あからさまに場にいる中で、殿下に手を出せる者はいません。事後処理もほぼ終わっていますから」
こうして改めて向き合うと、カーティスの冴えた美貌がより意識される。顔の造形が整っていることもさながら、その髪色と瞳の色が冷たい色だから、より、彼の印象を冷たいものにしているのだろう。しかしそんな彼も、ルークのことを口にするときは、表情が和らいでいるように見えた。
「ルークのこと、大切に思っているんですね」
「はい。何に代えても、殿下を守ると決めているので」
ノータイムで返答されたその力強い言葉に、アドレアは思わず微笑んだ。
「二つ、聞きたいことがあるんですが構いませんか? 本当は、カーティスさんのお話から伺うべきなんでしょうが」
「いえ。かまいません」
「一つ目は、ルークは過去に、知り合いに裏切られたことがある?」
「はい。殿下の乳母であった女性に。詳細は……お話できませんが」
「詳細を知りたいわけではありません。ただ……ルークは敵と認めた相手に容赦をしない覚悟があるように見えたから。それが気になっただけ」
「そうですね。確かに殿下はためらわず自らの手を汚すでしょう。だから私の仕事は、その役目をひきうけることです」
乳母、とは思ったより近しい相手だ。
それに、彼女の言動とカーティスの口ぶりから推察するに、彼女は乳母に裏切られ、そして乳母を手にかけたのだろう。自らに刃を向ける者を、排除したのだ。
「もう一つ。さっき、ルークが私を信じる、と言った後、驚いたのはどうしてですか?」
「殿下は乳母に裏切られて以降、ルクレティオ殿下以外を信用しなくなりました。厳密には、信用しないと決心されたのです。幼馴染でもある私にすら、信をおかぬと宣言されるほどには」
「それは……」
「だから、驚いたとともに、嬉しかったのです。殿下が信じる、とおっしゃったことが」
何がそれほどの信頼をルークから得たのかは分からない。
初めての出会いの時の印象が良かったからなのか。それとも今回のやりとりが何か心に響いたのか。
「あるいは、私はほどよい距離感だからか……」
「どうされました?」
「いえ」
小さくつぶやいたその声は、カーティスには聞こえなかったらしい。アドレアは喜んでいるカーティスにその現実を突きつけるのはためらわれて、それを再度言葉にするのはやめておいた。
「あら、何を話しているの?」
「ルーク。雑談よ。あなたこそ、もういいの?」
「現場の指揮は終えたわ。先ほど見かけた男の子も無事、救出できた」
アドレアがぼーっとしている間に、囚われていた市民が外に出てきたいたのだろうか。姿を見ていない気がするか、ルークが言うのならそうなのだろう。かすかに感じた違和感をぬぐうように、アドレアは微笑んで見せた。
「そう。よかった」
「ねえアドレア」
「何?」
「今日のこと、すべて忘れてくれる? 友人として、お願いよ」
「王女としての命令でなくて?」
「ええ。あくまでも、お願い」
ルークの艶やかな黒髪が、かすかな風に揺れた。ささやくような声は、それでも、アドレアの耳に確かに届く。
アドレア・ストラーテンは外交官としてきているストラーテン侯爵家の娘だ。ウェストカーム王女として命令することもできるだろうに、彼女はあえて”お願い”をしてきた。それが彼女なりの信頼の証だと分かっていて、それを裏切れるはずがない。
「今日はルークに街を案内してもらって、串焼きを食べた、以上。それでいいかしら?」
だから、アドレアは晴れやかに笑ってそういった。
今日の話は、誰にも話さない。父にも、レオンにも。絶対に。
「ありがとう。アドレア」
そう言って笑ったルナリーク・ラス・アシュフィールドは、同性のアドレアから見ても、美しく、気高かった。




