17.王女が戦うもの
「大丈夫よ。私もそこそこ強いのよ。それに……いるんでしょう? カーティス」
ルークが振り返ると同時に、アドレアはその視線の先を目で追い、そして息をのんだ。
音もなくそこに立っていたのは、先ほど紹介された濃い藍色の髪の少年、カーティスだった。
「見失うと困る。動きながら話すわよ」
ルークはそういうと再び少年を連れて行った男たちを追跡し始めた。カーティスとアドレアもそれに倣ったが、歩きながらふと、カーティスが当然の疑問を投げかけた。
「殿下。追うのは構いませんが……殿下もストラーテン嬢もともに行かれる気ですか?」
カーティスの問いは最もだ。ルークはこの調子だと戦えるのだろうが、アドレアは必要最低限の護身術ぐらいしか身に着けていない。人さらいを追うには、足手まといだろう。しかしルークは、そんなことは全く気にしていない様子で言った。
「私は戦えるもの。それに……アドレアを置いてはいけないわ。あなたが彼女を守ってくれて、私が追ってもいいのよ?」
「最もあり得ない選択肢ですね。わかりました。今日は殿下が我々を撒かなかったこともあり、人手も十分にいますから、大丈夫でしょう」
「人手……」
前方にいる男たち以外、他の人間の気配をアドレアは察することができないが、どうやらアドレアの護衛がこのほかにもたくさんいるらしい。おそらく、アドレアを連れて行っても問題ないぐらいには。
「ウェストカーム王国は常に争いの絶えない国よ。王族の命は狙われやすい。警護が万全なのは当然のことなのよ。とにかく、アドレアは気にしないで一緒に来て」
ルークは歩きながらアドレアにそう言った後、カーティスを横目でちらりとみると、彼に小さな声で何かを耳打ちした。するとカーティスははっとしたような表情を見せ、そして一瞬、アドレアの方を見た。アドレアに聞かれたくないようなのだと察しているから、詮索はしないつもりだが、彼女はいったい何をささやいたのだろう。
ルークが何かを言った後、カーティスの雰囲気が変わったのはアドレアにでも分かった。
気になる。
しかし、要らぬ好奇心は身を滅ぼすことさえある。無知も災いを呼ぶが、知りすぎていることも時に災いとなるのだ。だからアドレアは二人に尋ねることはしなかった。ルークが自分に言わないということには相応の理由があるのだろうと判断して。
しばし一定の距離を保って男たちの後をたどっていくと、どんどん町の中心地から外れ、もともとさして広くはなかった道がさらに細くなっていく。そして街のやや古びた教会に着くと、男たちはそこに迷わず入って行った。
アドレアの目には教会に見えるが実は違うのだろうか。教会にあのような男たちの根城があるとすると、それはここの司祭や修道女もグルだということになってしまう。しかし聖職者が人攫いに関わるなど、あり得るのだろうか。セントレア王国はさして宗教に対する思い入れがない国柄だが、それでも聖職者は街の人を助ける役目をするのが通例である。
「教会……よね?」
「街の外に出るかと思ったけど、まさか教会にたどり着くとは……ね。それも、ウェストカームの国教とされるユエグラ教の教会で人攫いとは。太陽神ユエドの名が泣くわね」
ルークが今まで見たことのないほど怖い顔をして、吐き捨てるようにそういった。彼女の心情はアドレアからは完璧には推し量れないが、聖地を穢したことへの怒りだろうか。セントレアと違って、ウェストカームは国教を定めているのだから、当然、王家の者はユエグラ教の敬虔な教徒なのだろう。
しかし、そのあとに続くルークとカーティスの会話で、アドレアは自分の思い違いに気づかされることになった。
「司祭が犯人だと思われますか?」
「司祭の単独犯であれば、どれだけ気が楽か。ただその男を牢に入れればいい。中央教会に監査をいれる口実にもなる。でもこんな小さな町の教会で、しかも簡単に尾行されるような不注意な男たちが実行犯だというのに、人さらいが発覚していないということは……」
「誰かがもみ消している、ということでしょうね。この地域の管轄は、ヘルナル伯爵家ですね」
「ヘルナル家……嫌な名前が出てきたわね。人さらいの目的次第では、握り潰すしかないかもしれないわね。この場所に踏み入ったとしても」
アドレアが持っている情報が少なすぎて、二人の会話はいまいち理解できないことも多いが、一つだけ分かった。どうやらルークはユエグラ教に対しては良い感情を持っていないらしい。ユエグラ教は中央教会が強い権力を持っていると聞いているから、王家にとっては悩ましい存在なのかもしれない。
権力があるところには、後ろ暗い思いも芽生えやすい。それは、どんな団体であれ同じだ。
「とにかく、中に入るわよ。人質を取られると困るから……まずは私たちで先行して様子を見た方がいいわね。外面は教会なんだから、どうにかなるでしょう」
ルークは途中で言葉を切ると、その場で手を上に上げた。そしてそのままの状態で手の形だけを変え、最後にぴしりと教会を指さした。
「指示も出したし、行くわよ」
「……今ので?」
「ええ。街中で叫んで指示を出してたら、バレるから。ま、アドレアが思っているよりはかなりの戦力がこの教会を取り囲んでいるから、心配しなくていいわ」
「そう。いいわ。行きましょう」
気になることは多いが聞いても仕方がない。
ルークが大丈夫だというのなら、大丈夫なのだろう。それを信じてアドレアはルークと共に教会の中へと入った。
教会の中は外観と相応しくどことなく埃っぽい空間が広がっていた。敷地の中央にある建物であることと、この建物の奥に祭壇があることからも、ここが聖堂だろう。
掃除が不十分だからか、どことなく鈍い印象のステンドグラス越しの光が、中央の祭壇を照らしている。
聖堂の中央には奥までまっすぐ色の違うタイルが敷かれており、左右には対称になるように木製のベンチが並べられている。誰もいないように見える聖堂を三人はゆっくりと奥まで進んでいく。
祭壇に近づくと中央に人の背の倍はあるかと思われ程、大きな像が祀られていた。おそらくあれが太陽神ユエドの像だろう。太陽神ユエドの像は複数あるらしいが、この像は燃え盛る炎を模した冠をかぶっている。確かユエドの五つの感情を表していると本にはあったが、実際に目で見るのは初めてなので、アドレアはついそちらに気を向けてしまっていた。
「あら、誰もいないの?」
しかしルークが誰もいないように見えるこの聖堂で声を発したことで、アドレアは本来の目的を思い出し、ユエド像から目を離した。もともと歴史や建造物、美術品が好きなアドレアとしては、他国の教会は非常に興味深いものが多いが、今はそんなのんきなことを言っている場合ではない。
「……誰もいないようですね。別の建物を当たりますか?」
「もう少ししら……いえ、建物を見学していくわ」
誰かが聞き耳を立てていた時の配慮だろう。調べるというのを言いかけて、ルークは首を振って言いなおした。カーティスにもそれに気づいたらしく、咎めるような視線をルークに送ったことに、アドレアは気づいてしまった。
ルークはカーティスの反応を肩をすくめて受け流すと、ゆっくりと太陽神ユエドの像へと近づいた。そしてそっとその像に指を滑らせた。
彼女が指をひっくりかえすと、そこには分厚い埃が付いている。
「敬虔な司祭や修道女がいる……とは思えないわね」
ユエドの像は明らかに埃をかぶっていて、掃除が行き届いていない。掃除というのは、人間の気持ちの在り方を如実に表す。人はたいてい、大切にしたいものを汚れたままにはしておかないものだ。それが信仰の対象であればなおさらだ。
燃え盛る炎を表しているという冠は、通常なら本物の宝石を埋め込んでいると聞くが、どこにも見当たらない。それどころか、冠の中央はやや陥没している部分があり、宝石を取ったような跡が見える。
「聖像から宝石を盗るなんて、神をも恐れぬ所業ね。ここは廃教会で、賊が勝手に住み着いている、とかはありえないのかしら?」
「ありえないわね。ウェストカームでは廃教会の建物は、中の物品を回収した後、必ず解体するようにしているの。治安の悪化を招きやすいから。万が一申請直後だったとしても、必ずその証明書が敷地内の各地に貼られるし、人が入れないように封鎖するから、ここは書類上は機能しているはずよ」
「なるほど。だから初めから、聖職者は賊に協力しているという話になったのね」
「ええ。……それにしても、違う建物にいるのかしら。それとも、このどこかに隠し扉でもあるのか……」
「お二人とも、もう、言葉を誤魔化すのを諦めたのですね……」
アドレアとルークが話していると、カーティスがやや呆れたような、諦めたような声で二人の会話に割って入った。
言われてみれば、最初は気を使っていたのに、誰もいないと思ってつい普通に話していた。しかしここまで言っても誰も出てこないということは、やはりここには誰もいないということだろうか。
あるいは、声の届かないどこかに潜んでいるのか。
「声が聞こえる範囲にいないわ。……ただ、やっぱりこの建物、どこかにつながってはいると思う」
ルークが床を見ながらポツリとつぶやいた。
ルークの視線の先を追うと、床には埃が目に見えるほど積もっているところと、ほとんど積もっていないように見えるところがある。
「埃のかぶり方にムラがあるから?」
アドレアは推測を口にすると、ルークはにっと口の端を吊り上げてうなずいた。
「その通りよ。聖像に埃が積もっているというのに、床はきれいなところがある。辿っていけば、隠し扉があると思うわ」
「隠し扉……」
アドレアは一言つぶやくと、ぐるりと聖堂を見回した。
「この教会の作りは旧リドリア式だから、形状から考えて、土台はあそこにある……。外観と内観の広さに違和感がないから、隠し部屋は間違いなく地下……」
「アドレア?」
「この形状の建物で、隠し部屋を作れるなら、入り口は……ここしかない」
アドレアは聖像の裏にぐるりと回ると、床を見つめた。聖像には埃が積もっているというのに、床に埃が積もっていないことが気になっていたのだ。
「その床……アドレア、下がって」
「殿下も下がってください」
ルークの声にかぶせるようにカーティスが言うと、ルークは肩をすくめて場所を譲った。カーティスは聖像の前にしゃがみ込むと、なるほど、とつぶやいた後、床の石を聖像の台座に向かって押し出した。すると石はあっさりとはずれ、くぼみができた。
そのくぼみに手を入れたカーティスは、そのままぐいっと力を込めて床を持ち上げる。持ち上げられた床はある一定の角度まで上がると、そのまま静止した。
床下には思った通り階段があり、地下へと続いているようだ。
「さて、行くわよ。背教者の顔を拝みにいかなくっちゃ――」
「――背教者とは、誰のことでしょう?」




