16.王女の信頼
串焼きを食べ終わった二人は、串を店に返すと、再び街を歩き始めていた。
ルークが歩くたびに、くるぶし近くまである裾の長いワンピースが揺れる。しかし彼女は比較的暑いといっても過言ではないこの気候の中で、なぜかブーツを履いていた。
「ルーク、前回会った時にも思ったけれど、どうしてあなたはいつでもブーツを履いているの? この国では暑いでしょう?」
ルークは問われて初めて、アドレアの足元に視線を落とした。そして、アドレアがフラットシューズを履いていることに気づいたようだ。
「ブーツにはいくつか意味があるわ。確かに暑いけれど、私の行動パターンを広げるのに役立っているの。聞いてこれにはね―――」
「―――そ、それ以上は言わなくていいわ」
軍事国家ウェストカームの王女の秘密を暴くのはアドレアの本意ではない。それに、アドレアはルークの足音が他人とは異なって聞こえることも気づいていた。おそらくあのブーツは仕込みブーツだ。それでも問いかけたのは、単にルークがどれぐらいアドレアのことを信頼しているのか、試してみただけだ。
ただ、ことのほかあっさりと話を続けられそうになってアドレアは慌てて遮ったのだった。
「あら、いいのよ。アドレアは私が打ち明ける素振りがあるか試したんでしょう? 頭のいいあなたのことよ、これの仕組みを悟って聞いたことぐらい分かっているわ」
と思っていたが、どうやらルークにはアドレアの思惑は見抜かれていたようだ。それがバレてしまって、ルークの気に障ったのではないかと思ったアドレアは、慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい。私……その、友人と呼べるような相手がほとんどいないから……それで」
「いいのよ。友人と呼べる相手がいないのは私も同じ。でも、あなたのことは友人だと思っているわ。あなたもそうでしょう? アドレア」
顔を上げると、ルビーを思わせる瞳がこちらをじっと見つめている。その目がアドレアに対する嫌悪の色を宿していないことに、アドレアは心の底からホッとした。
「ありがとう、ルーク。私にとっても、もちろんあなたは友人よ。唯一といっても良いぐらい、希少な、ね」
アドレアはもともと人付き合いが得意なタイプではない。
幼いころは、同年代の子どもたちはあまりにも精神が未熟で、また、知能も著しくアドレアと乖離があり、話し相手としては相応しくなかった。だからといって、一回りも年上の知人とは、友人という間柄になるわけもない。
それにそもそもセントレア国内で屈指の名門ストラーテン侯爵家の娘とあっては、そもそも親しくなるに相応しい家格のものも少なかった。そういう意味では、レオンは国内では唯一、親交を深めた間柄といってもいいが、彼は婚約者であって友人ではない。それに、レオンの婚約者になったからこそ、嫉妬や羨望から、同年代の女にますます距離を置かれる羽目になったのだ。
だからこそ、ルークという存在は、唯一といえる同世代かつ同性の友人なのだ。
「どういたしまして。ねえ、ところで、前回聞き損ねたけれど、アドレアはセントレアの人?」
「ええ。そういえば……私、本名を名乗りなおした時、アドレアとしか言ってなかったわね。私の名前は
アドレア・ストラーテン。セントレア王国の一貴族、ストラーテン侯爵家の長子よ」
「ストラーテン侯爵家。なるほど。じゃあ、あなた……未来の王子妃なのね」
言葉の後半は周囲に聞こえることを危惧してか、ルークは少し声を落として言った。さすがはウェストカームの王女というべきか、情報通だ。隣国の一貴族であるストラーテンの名を言っただけで、そこまで分かるとは。
「さすがね。その通りよ」
「さすが、と言っていただいところ悪いけれど、いくら私でも、セントレアの貴族名鑑の全てを頭に入れているわけではないわ。ただ、あなたの婚約者は、私の婚約者候補でもあったから、かなり早期に婚約者ができたと聞いて驚いていたの。あなたが婚約者になった半年後には、私との顔合わせの日程も組まれていたから。……まあ、お互い乗り気ではなかったし、セントレア王国もそれを承知だったからこそ、顔合わせ前に、あなたとの婚約を伝えてきたのでしょうね」
ルークがレオンの婚約者候補だった、という事実はアドレアに大した驚きを与えなかった。レオンとウェストカームの王女ルナリークは同い年だ。当然そういう話も持ち上がるだろう。
ただし、実際には、両国ともにそこまで乗り気であったわけではない、という事情も理解できる。ウェストカーム王国は長子にも男子にも限定しない王位継承がなされており、その継承者の指名は国王によって行われる。つまり、ルナリークも王子ルクレティオと同等の継承権を持つ。しかも直系で、ルクレティオ以外の兄弟はいない。そしてレオンもまた、兄である王太子エイブラムの次に王位継承権を持っている。お互いを婚約者にした時、万が一どちらもが王座に着いたら混乱が起きることは必至だ。
「事情は察してくれたみたいね。頭がいい人と話すと、楽でいいわ」
「ルークはそういえばさっきから頭がいい、と私のことを言ってくれるけれど、どうしてそう思うの? 何度も話したというわけではないのに」
家庭教師たちはアドレアの能力を知っているため、ありとあらゆる称賛の言葉をもってアドレアを褒めるが、ルークの前では特段、知識を披露したつもりはなかった。
「逆に言えば、あなたのことをよく知る人物からは、あなたは頭が良いと評されている、ということかしら。まあ、話していれば分かるわ。頭の良さは知識量、判断力、論理的な思考力……いろいろなもので構成されているけれど、あなたはどれも素晴らしいもの」
「なるほど。そういう考察をできるルークも十分頭が切れると思うわ」
「ま、こういう出自だもの。こうあるべきなのよ。……それにしても、思ったより、裏通りに入り込んできちゃったわね」
二人はおしゃべりをしながら道を歩いていたので、主要な通りを超えて小さな路地に入ってきていた。セイレーンの街は、もともと大通りと呼べる道もなく、水路に頻繁に進行方向を変えられるため、意識が向いていないと、自分たちの位置を把握するのは難しい。
しかしそれはアドレアは、ということであって、ルークはもちろん正確に把握しているのだろう。だからこそ、歩きながら、中心街から外れたことに気づいたわけだ。
「戻りましょうか」
「そうね。……ちょっと待って」
ルークは何かに気づいたのか、顔を上げると、突然走り出した。アドレアは訳も分からずルークを追うと、前方から声が聞こえてきた。
「嫌だ! 助けて! 誰か!!」
「うるせえ! 黙りやがれ!」
少年の叫び声と、男の怒号が響く。
事態を察したアドレアは、ルークを追う速度を緩め、音を立てないように気を付けた。
そういえば、ルークは普通に歩くときは不思議な足音がしていてブーツの存在に気づいたのに、今は彼女が走っているというのに、まったく足音がしない。こういうのを場慣れしているというのだろうか。それともあのブーツは何か特殊な構造になっていて、いざという時には音もなく走れるようになるというのだろうか。
アドレアがそんなことを考えていると、ルークが立ち止り、壁にピタリと身を寄せた。そしてアドレアに向かって静かに、というポーズを取ると、手招きして自身の隣に来るように指示する。アドレアが素直に従って傍により、そっと様子をうかがった。
「離して!」
「黙らせろ」
「うっ……!」
男が少年を殴り飛ばした音と声が聞こえ、アドレアは思わず一歩踏み出すが、ルークがそれを止めた。
「おい、顔には傷つけるんじゃねえぞ。これは高く売れそうだ」
「わーってるよ」
陰に隠れているのではっきり見えているわけではないが、どうやら男たちは少年を連れて行く気のようだ。
「止めないの?」
てっきりルークは彼らの悪行を止めるためにここまで来たのかと思ったが、彼女は首を横に振った。
「あれは盗賊団か、人さらい集団か……とにかく犯罪者であることは間違いないわ。だから、案内してもらおうと思ってね」
「案内? ……ってまさか、彼らの本拠地に? 危険よ。人数が何人いるかもわからないのに」
そうやって話している間に男たちは少年を抱えて、さらに道の奥へと歩いて行ってしまう。ルークとアドレアは男たちと慎重に距離を取り、ゆっくりと彼らの後をつけるべく歩き出した。
「ちょっとルーク!」
数人を相手にするならともかく、敵の本拠地に乗り込むのにこの人数は難しい。
しかしルークは立ち止って振り返ると、笑顔で、自信たっぷりに言った。
「大丈夫よ。私もそこそこ強いのよ。それに……いるんでしょう? カーティス」




