11.物への愛着は人それぞれ
レオンが熱で倒れた五日後、手紙を持ったテオバルトがストラーテン家を訪れてきた。
テオバルトから国王陛下に進言し、アドレアの提案通り、三カ月間はアドレアと会うことを禁じてくれたようだ。レオンはまだ熱が下がりきらない状態だが、会うことを禁じられて、律義に手紙を書いてくれたようだ。
「よろしければ返事もお預かりしますが」
「私が返事を書いたら、それに返事を書きたくなるでしょう。あの男は。だから書かないわ」
正直に言って返事を書くのが面倒だというのもある。
レオンからの手紙は、さすがにまだ具合が悪いからなのか、そこまで長くはない。ただ、アドレアと会えなくて申し訳ない、という謝罪と、最近、大切なものをなくして落ち込んでいる、という短い近況報告が書かれていた。
「ねえ、大切なものをなくして落ち込んでいる、と書かれているけど、レオンは大人しくしていないの? 熱で寝込んでいる男がものをなくすなんて……」
「殿下はずっと寝台におられます。ただ、その……」
テオバルトは何故か途中で言いよどんだ。
「何? 寝台にいるふりをしているだけで仕事しているとか?」
もしそうなら止めないと、と思って詰め寄ると、テオバルトは観念した様に、そして非常に慎重に言葉を選びながら告げた。
「いいえ。そういうことでは……。ただ、その……レオン殿下が眠っておられる間に、殿下のベッドサイドテーブルにおいてあった、……その、アドレア様がお渡しになったポプリが無くなってしまい……いえ、その、決して殿下の過失ではないのです! ただおそらくは掃除の際に落ちてしまったとかそういうことだと思うのですが、多少、騒ぎになりまして……」
テオバルトがどうして言いづらそうにしていたかは理解した。そしてその気遣いは全く持って無用だ。何せアドレアが勝手にポプリを持ち出したのだから。
それよりも、アドレアの些細な行動で、城の者に迷惑が掛かっているということに申し訳なくなった。
「お嬢様。あれほど聞いたのに、私に嘘をつかれたのですか?」
普段は決して客人との会話に口を挟まないサラが、目を細め、眉をひそめてこちらを見た。あれは怒っている時の顔だ。
「う、嘘じゃないわ。レオンにはちゃんと言ったわよ。……レオンは熱で意識は朦朧としてたけど」
「それでは意味がないではありませんか! せめて使用人の誰かに言づけていれば、こんなことにはならなかったものを!」
「ご、ごめんなさい……。とりあえず、あれ、持ってきてくれる?」
「お持ちします」
サラは怒っていたが、先にポプリを返す方がよいと思ったのだろう。一流の侍女らしからぬ、やたらパタパタ音をたてて、部屋を出て行った。
テオバルトはサラとアドレアのやりとりをあっけにとられた様子で見ていたが、遅れて意味を理解したらしい。顔を輝かせて彼は聞いてきた。
「もしかして、アドレア様がお持ちですか?」
「ええ。」
「よかった。本当によかった。殿下も喜ばれます。ただ……差し支えなければ理由をうかがっても?」
「香りが落ちているようだったから、中の花を入れ替えようと思って。でもそんな騒ぎになるなんて、物への愛着は人それぞれなのね……」
「アドレア様がくださったものは殿下にとっては何でも大切なものですよ。なのでできれば、今後は誰かにお申し付けくださると幸いです」
「そうするわ。サラにも怒られたしね」
アドレアは肩をすくめてそういうと、テオバルトはお願いします、と重ねて行った。
しばらくすると、サラが部屋に戻ってきて、紺色の小さな袋を手に持っていた。アドレアがそれを受け取ると、四年前と同じ、花の香りが漂ってきた。
「香りは戻ったみたいね。これを返事代わりに渡してくれるかしら?」
「確かにお預かりしました」
テオバルトにポプリを託して数日後、アドレアは父に呼び出されていた。
「お父様。どうされましたか?」
呼び出されたのは父の書斎だ。アドレアと同じく銀色の髪を持つ父は、今日は出かけるのか正装をして書斎にいた。
天井までつくかというほどの大きな本棚に囲まれたこの部屋は、どことなく紙の香りがする。父の机の上には、もはや崩れ落ちそうなほどの書類が山となっていた。
普段はできるだけこの部屋に入らないようにと言い渡されているため、ここに呼び出された日は、少し気持ちが引き締まる。
「アドレアは以前、ウェストカーム王国に行った時のことを覚えているかい?」
ウェストカーム王国とは、セントレア王国の西側に位置する国である。
現在の国王には双子の男女の子どもがおり、王位継承権をどちらが優先か国内でももめているらしい。ウェストカームでは女王が立つことも多く、王位継承に男女が問われないため、そういうことが起きているのだろう。セントレア王国では男子しか王位継承権がないため、それはアドレアにとっては興味深い政争だった。
「ええ。他国へ行くのは新鮮で、非常に印象深い思い出です」
アドレアはレオンに出会う前、一度、ウェストカーム王国を訪問したことがある。父の仕事についていったのだが、アドレアにとっては旅行といっても差し支えないものだった。
そこで一人の少女に出会い、父には内緒で親しくなったのもいい思い出だ。
「実はまた、仕事でウェストカームに行くのだが、ちょうど殿下と会う約束もないことだし、一緒についてくるか?」
「いいんですか?」
「ああ。第二王子妃になるなら、外国のことを知るのはいい経験になる。勉強にもなるから、連れて行こうと思ってね」
父ストラーテン侯爵は、外交官でもある。そのため、昔から家を空けて各地を飛び回っていることも多かった。アドレアもそれにつれて行ってもらうことで、セントレア王国に隣接している国には、この年にしてほとんど行ったことがある。
第二王子妃になるための経験、というが、父はおそらく、アドレアが第二王子妃になることを嫌がっているのを察しており、婿取りすることになった時のための布石としたいのだろう。
アドレアとしては理由はなんであれ、ウェストカームに再び行けるのは嬉しいことだった。
「ありがとうございます。いつから出発ですか?」
「来週を予定しているから、旅の準備を頼むよ」
「分かりました。準備しておきます」
「それと、この名簿をある程度頭に入れておいてくれ。パーティに出てもらうつもりでいるからな」
父に渡された書類を広げると、ウェストカームの貴族名鑑のようだった。
「承知しました。覚える範囲は、氏名と領地の特徴でよいですか?」
「ああ。ついでに、ウェストカームの国土についても勉強しておいてくれ。家庭教師に頼んでおく。まあアドレアほどの記憶力があれば、さして難しいことではないだろう」
「そうですね。一週間もあれば十分かと」
もともと歴史や地理に興味を持っているアドレアは基本的なことはウェストカームについても知っているつもりだ。そのため、追加で情報をもらえれば、それを頭に入れるのはたやすい。この機会に勉強の幅を広げるのは面白そうだ。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
「はい。失礼します」
アドレアはウェストカームへ行けることが楽しみで、足取り軽く、父の書斎を後にしたのだった。




