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アドレア・ストラーテンは怠惰に生きたい  作者: 如月あい
1章 レオン・セントレアを認めるまで
1/20

1.始まりは失敗だった

「私にまるで興味がないなんて、万々歳だ。それだけで君を選ぶ理由になるよ」


 あの日、彼はこういって私を婚約者にした。

 アドレアはあの日の自分の行動を今でも失敗だったと思っている。それは、七年たってもなお、変わらない思いだった。



 アドレアが後悔することになったのは、十一歳の時の行動である。



 花が美しいのは、その形か、あるいは、風に吹かれても静かに揺れて生きるしかない儚さ故だろうか………そんなことをぼんやりと思いながら、ストラーテン侯爵家長女のアドレアは、セントレア王国の王城の一角に佇んでいた。

 彼女は父親に連れられて王宮の茶会に参加させられていた。この茶会はまだ婚約者のいない第二王子の婚約者候補を探すためのものだ。


「よく来てくれましたね、ストラーテン侯爵」


 王妃の目の前に連れてこられたアドレアは、父に紹介されるのをおとなしく待つ。


「お招きいただきありがとうございます。こちらが娘のアドレアです。アドレア、ご挨拶を」

「本日はお招きいただきありがとうございます。ストラーテン家長女、アドレアと申します」


 早すぎず、しかしだらしなくも聞こえない速度で、明瞭かつ穏やかに挨拶をしたアドレアは、誰が見ても愛らしい笑顔を浮かべて礼をとる。


「今日は来てくれてありがとう、アドレア」


王妃が微笑むと、周囲にいた男女問わず誰もが小さく息を呑んだのが分かった。彼女の美しさは人を惹きつけてやまない。

 アドレアと父であるストラーテン侯爵は、しばし王妃の微笑みに身惚れていたが、挨拶の列はまだ後ろにあることを思い出して身を引いた。


「ではみなさま、しばしご歓談を。子どもたちはこちらのテーブルへ」


 しばらくすると、この場の誰よりも絢爛で美しい王妃の言葉により、子どもと大人で場所が分けられる。

 子どもたちの輪の中心に残されたのは、太陽のように輝く金髪と、エメラルドの瞳を持った美貌の第二王子だった。

 彼は甘く整った顔立ちに見合うだけの穏やかな笑みを浮かべていたが、どことなく嘘臭さを感じるのは、アドレアが歪んでいるのだろうか。あれは絶対に本心からの笑みではない。相手を引き付けると分かっている笑みだが、笑みに打算といら立ちが垣間見える。正直に言ってあまり親しくなりたいとは思えない相手だ。

 とはいえ、アドレアは第二王子に同情している面もあった。彼も連日、自分の美貌だか権威だかに目の絡んだ女たちに囲われていては、その笑顔が曇っても致し方ないと言えるだろう。


「王子殿下は、本当にお美しいわね」

「ええ。美しすぎて、お声かけするのを躊躇ってしまいます」


 十人程度いる茶会の参加者の一人の令嬢がアドレアに話しかけてきた。

 彼女は他の女たちよりは、他人に気をかける余裕があるようだ。何がなんでも王子妃に、とは思っていないのかもしれない。


「まあ。アドレア様、そんな弱気ではいけませんわ。私と一緒にご挨拶に参りましょう?」

「お誘いはありがたいのですが、もう少しだけ、心を落ち着けてから参りますわ」

「そう? わかったわ」


 齢十歳にして、おおよその自分の立ち位置を把握しているアドレアは、いかにも年頃のあどけない淑女らしく振る舞っていた。表面上は。

 しかし、腹の内では、いけすかない王子と、それに群がる女たちにやや同情と呆れの感情を抱きながら、ゆっくりと後ずさって輪から遠ざかる。

 大人たちは歓談に勤しみ、子どもたちは第二王子レオンに夢中な今、目立つ行動をしなければ、この場から抜け出しても誰にも気づかれないだろう。

 そう、お手洗いに行ったフリをして、この茶会から抜け出して、適当に散策して帰ってきても、アドレアに気付くものはいないに違いない。


「お嬢様、王子殿下とお話しされないのですか」

「しないわ。まあ、後で王子に群がっている女たちに紛れて会話をしたフリはするから、安心しなさい」

「そ、そういうことを申し上げているわけでは......」


 アドレアのそんな思惑を読み取ったのか、会場の端に控えていたサラが話しかけてきた。


「私はお手洗いに行きたいの。そのために少しこの場を離れて、そしてそうね、帰りにちょっと道に迷うだけよ。サラは適当に誤魔化しておいて」

「いいえ、お嬢様。私も一緒についていきます。何かあったら困りますもの」

「そう、分かったわ。じゃあついてきて」

アドレアより六歳年上のサラは、アドレアにとっては姉のようなものだった。そして彼女なら、心配してついてくるのだろうということも分かっていたため、アドレアはそれを受け入れて歩き出した。

予想通り、茶会の会場から抜け出すのは簡単だった。警備をしている兵士に一言声をかければ、退出を許された。王妃や王子の身を守ることが肝要なのだから、来るものに厳しくとも、出て行くものには甘いのだろう。

 お茶会の会場を抜け出してしばし歩くと、生け垣に周囲を囲まれたこじんまりとした庭園があった。それほど複雑ではないものの、簡単な迷路のような構造になっていて、アドレアはその庭園の中で一休みすることにした。 

「ここは良いわね。落ち着くわ」

 王宮でも中心から外れているからなのか、とても静かな場所だ。黙っていれば、葉が鳴る音と、小鳥が時折さえずる声が聞こえる。

 陽光はあたりに咲き乱れる手入れされた花々を優しく照らし出し、風はそれを包み込むようにそっと揺らしては、またどこかへと去っていく。

「そうですね。素敵な場所です……お嬢様は、王子殿下を素敵だとお思いになりませんでしたの?」

 サラはアドレアの言葉に同意しながらも、どうしても気になったらしく、王子の印象について尋ねてきた。アドレアはそっと生け垣に近づくと、自分の背丈ほどに咲いていた花に触れる。顔を近づけると、甘くかぐわしい花の香が漂ってきて、アドレアを幸せな気持ちにしてくれた。

「お嬢様?」

「王子の印象ね……確かに美しい顔立ちだと思うわ。王妃様譲りなのかしら。甘く虫を寄せる花のような容貌よね」

「男である殿下を花と例えられるのは……ですが、おっしゃりたいことは分かります」

 アドレアの皮肉を理解したサラは、小さく息をついた。

 第二王子の甘いマスクは、令嬢と言う名の虫を寄せる。幼いころからああして生きてきたから、表情筋が凝り固まって、うまく笑えなくなったのだろうか。

 でもあの場にいる誰一人として、第二王子のそんな様子に気づくことはない。

「このままここにいようかしら」

「お嬢様! 流石にもう、戻られませんと……」

 アドレアが何気なく言った言葉に、サラは慌てたように首をぶんぶんと横に振った。さして時間は立っていないように思うが、茶会の会場からここまではそこそこの距離がある、さすがにお手洗いにいったでは済まされない時間が経過しているだろうが、知ったことはない。

「誰も気づきはしないわ。お父様以外、あの場で王子妃の候補が減って喜ぶ者はいても、それを心配するような者はいないのよ」

 あの場は戦場だ。

 あるいは、市場のようでもある。新鮮で貴重な食材を、みなが群がって我先にと手に入れようとする。それは一つしかないから奪い合いになる。奪い合いの競争から誰かが離脱したとしても、品物に夢中な人々は、それに気づきもしない。

「そもそも、こんな茶会意味がないわ。王子がいかにもつまらなさそうな顔をしてその場にいるんですもの」

「つまらなさそうなんて、そんなことないじゃないですか。穏やかにほほ笑んでいらっしゃいますし……」

「おだやかっていうより、胡散臭いだけじゃない、あんな笑顔。本気で笑ってる顔じゃないわ」

「お嬢様、それはあまりにもうがった見方なのでは……」

 サラは感じなかったようだが、あの男は絶対に本心から笑っていない。あれに騙されている令嬢が少し気の毒に感じられるが、騙される方も騙される方で問題があるから、仕方がないのかもしれない。

 

「楽しそうな話をしていますね」


 軽やかな声がアドレアの背後からかけられた。サラはさっと表情を変えて一礼をとる。どうやらそこそこ位の高いものが来たらしい。

 

「あら、立ち聞きなさっていらしたなんて、どこの―――」


 アドレアは小言を言いながら振り返り、そして、目の前に太陽のように輝く金髪と、エメラルドの瞳を持った美貌の第二王子がいることに気づいた。

 陽光に照らし出された王子は、その甘く整った顔立ちに、今度は本当の笑みを浮かべている。まるで、楽しいものでも見つけたかのように。


「アドレア・ストラーテン嬢ですね?」

 アドレアが黙っていると、レオンは、にこやかな笑みを浮かべて、わかりきったことを尋ねた。

「……ええ。あなたは……レオン殿下ですよね。そして……その……私のお話を聞いていらしたと」

「そうですね」

 爽やかに肯定したレオンを見て、誤魔化す余地はないと悟った。

 それならば、味方につけるまでだ。この王子が婚約者選びに乗り気なようには見えない。一人くらい辞退したって、気にはしないだろう。

「でしたら、お分かりになったでしょう? 私以外を選んでくださいませ。私、王子妃にはなりたくないのです」

 アドレアが開き直ってそう言い放つと、サラが真っ青な顔をして、小刻みに震え始めた。

 王子の勘気に触れることを恐れているのだろう。しかし、アドレアの見立てでは、この男はこういう言葉に怒るタイプではない。もし予想に反して怒ったとしても、サラに累が及ばぬよう配慮はするつもりだ。


 しかし、この開き直りは、サラの心配とは斜め上の方向でアドレアに火種を運ぶことになる。


「私にまるで興味がないなんて、万々歳だ。それだけで君を選ぶ理由になるよ」


 美貌の王子が微笑んだ。

 それは天使のように美しく、悪魔のように黒々しい笑顔だった。

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