騎士の契り
_______
何も知らないあの頃の私は、道端にぽつりと咲いた名も知られていない花のようだ。
通りがかった人々の目には美しく写っても、花々が咲き誇る花園にいけば目もくれられない。
何も知らずに笑っていた私に羨ましいという気持ちを持つと同時に憐れだと今でも酷く悲しくなる。
”壊れた世界で彼女は瞳に何を写す?”
_______
《新アクティナ歴 1580年》
昔は魔力が渦巻いていたこの大陸も、今は微かな魔力の気配しか残っていない。
理由は簡単で長い年月が経ち、多くの魔族は地上を後にしたからであった。
地上に残った人間達はほとんどが魔力を持っていなかったが、それでも自分達の力で歩みだし、文明を生み、今日まで生きてきた。
「兄様!」
その声の主はまだ幼さの残る笑顔を振りまきながら走る少女。
今年齢16となるフィアンマ王国、第1王女のアリアである。
白銀に輝く長い髪と、薄い藤色の優しげな瞳、透き通るような肌、その現実離れした美しい容姿は従者達の間で天使のアリア様と呼ばれるほどであった。
ここは王都にある城の一角、美しい色彩豊かな花々が年中咲き誇るセレア庭と呼ばれる場所。
セレア庭は亡くなったアリアの母セレアが大事に花を育てていた場所で、今はアリアとその兄の温かな談笑の場になっている。
その様子は従者の中でも評判で、仲の良い2人を皆が微笑ましく見守っていた。
「ふふ、アリアは今日も元気ですね。」
アリアの兄のユーゴは優しげな笑顔でそう言い、飛びついてきたアリアを受け止めて抱きしめた。
ユーゴは父親譲りの栗色の髪の毛に薄緑の瞳、いつも笑顔でどんな身分の低いものにも分け隔てなく優しい少年であった。
そんな兄をアリアは心から慕っていた。
「兄様、私少し寂しかったです。まさか視察がこんなに長いなんて思いもしてなかったのです。久しくお茶会もしてませんね。」
第2王子であるユーゴは今、国の政治の補佐をするために各地を回って、国内情勢や他国への防衛体勢について学んでいた。
普段は1週間や2週間で帰ってくるのだが、今回は王国の西の果てまで出かけたため1ヶ月ととても長期となってしまったのだ。
「それはすみません、アリア。
でも、お土産もちゃんとあるので許してくださいね?」
ユーゴがにこっと微笑み、アリアの頭を撫でる。
彼はアリアの扱い方をよく分かっていた。
お土産の単語がでた瞬間、アリアはふくれ顔からパーッと笑顔になった。
「ありがとう。兄様、大好きです!」
そう言ってアリアがはしゃいでると、近くから軍服を着た若い青年が現れた。
「ユーゴ様、おかえりなさいませ。」
綺麗な藍色の髪と黒い軍服がよく似合っていて、つり目が印象的なその青年はそう言った後いたずらに微笑んだ。
「...ウィル、だから様はやめてくれって。」
「そんなわけにはいきませんねぇ、王子の護衛者として尊敬の念を込めてますから。」
「完全になめてますね、ウィル...。」
そう言ってユーゴはウィルを軽くこずく、しかしウィルはそれをさらっとかわし、服を整えるという余裕さをみせた。
ユーゴがウィルになめられるのは仕方がない話でユーゴは剣がからっきしにダメなのである。
それに対し、ウィルは幼い頃から剣の天才少年と呼ばれ15という若さで正式に王族護衛騎士団の一員となった。
黒の軍服は城の兵士...いや、国中の全ての兵士の憧れの的。
王族護衛騎士団は王国軍の中でも抜きんでた実力の持ち主が集まるわけで、15の少年が入団するのは異例中の異例だった。
ただ、ウィルは本当にユーゴをなめているわけでもなく、昔からの仲なのでからかっているだけである。
「おー、アリア様も久しぶりですね。相変わらず小さいなぁ。」
「うるさいです、ウィル!私はまだ...伸びるんです...!」
段々自信なさげに声が沈んでいくアリア。
ただアリアの身長はこの歳の女の子として小さい訳ではない。
ウィルが少し大きすぎるのだ。
ちょっぴり頬を膨らませるアリアを見てウィルは優しく微笑む。
「へいへい、いっぱい食べていっぱい寝ていつか女王様みたいになるんですもんねぇ。」
「はい!!!」
アリアの母セレアはアリアが5歳の頃に亡くなった。
アリアは記憶もおぼろげではあるが、美しい母の姿、振る舞い、優しさ、そして綺麗な歌声を覚えていた。
ウィルはキラキラと目を輝かせるアリアの頭を軽く撫で、ユーゴに向かい直った。
「そう言えば、これを伝えに来たんだった。来月の王の誕生会で次期国王の正式発表だってさ。」
王の誕生会は毎年盛大に祝われる。
城下町ではお祭りが開かれ、城内では他国の王族を交えた夜会が開かれる。
アリアは城から普段より一段とキラキラとした城下町の夜景を見るのが毎年の楽しみだった。
「そうですか、伝達ありがとうウィル。」
次期国王候補として挙げられるのは2人、ユーゴともう1人。
フィアンマ王国第1王子のチェイスだ。
ユーゴとアリアとは異母兄弟である。
チェイスは幼い頃から秀才で剣術も優れた優秀な王子だった。
ユーゴは人格者ではあるが、王になるための素質で言えばチェイスに軍杯が上がる。
そのため、次期国王は第1王子であるチェイスで間違いないと誰しも思っているし、ユーゴ自身も自覚していた。
だからこそ、次期国王が発表されていなくてもユーゴは遠征で補佐の準備を進めていたのである。
「アリア様、イル先生がいらっしゃいました。」
セレア庭の外から侍女が呼びかける声がして、アリアは焦った顔になった。
「いけない、すっかり忘れてました。お兄様また後で、ウィルも前みたいにもっと遊びに来てください、では!」
アリアはドレスの裾を掴んでちょこんと一礼してから城内へ向かった。
ユーゴはその背を優しい顔で見送った。
「...で、本題はここからだ、ユーゴ」
ウィルがそう切り出すと、ユーゴは分かっていたかのように微笑む。
「ああ、留守を任せてすいませんね。」
いつも微笑みを絶やさないユーゴの顔が真剣になる。
この顔のユーゴを見たことがあるのは恐らくウィルくらいだろう。
「私はもうあの子を傷つけたくないよ。」
ぽつりと、ユーゴが呟いた。
王国皇子の証である真っ赤なマントが風に靡く。
「俺がついてますよ、あなたには。」
「...そうですね、ウィルがいると心強い。」
ウィルの笑顔を見て、ユーゴが微笑む。
「ウィル、あなたを私は心から信用しています。
今までも...そしてこれからもずっと。
ですから、もう1つ頼まれてください。」
ウィルは片膝をつき、ユーゴに向き合う、主君の命を聞くために。
「あなたにアリアの専属護衛を任せます。もう駆け引きはしていられない。あちら側にも私達の意志を示さなくては」
ユーゴは真っ直ぐにウィルを見つめた。
自分の意思をしっかりと伝えるために。
「はっ、ユーゴ様の命とあらば、私の命に代えてもアリア様をお守りすることを...この剣に誓いましょう。」
腰にかけた、剣を両手で持ち前に差し出す。
王族護衛騎士にとって何よりの誇りである王から拝領した剣に誓う、それが彼らの最大級の契りであった。
それを見て安心したように笑い、空を見上げるユーゴ。
「また様をつけましたね...ウィル」
アリアの姿はその頃には城内へと消えていた。