女給の覚悟はスカートの裏
勇者による魔王討伐から8年の時が流れた。
王を失った魔物達はまとまりを欠き、各地で王国軍の魔物狩りが行われるようになった。一部地域では魔王直属の部下や将軍達による激しい抵抗があったが、魔物狩りが難航した時は必ず勇者が現れ、魔物達を一掃した。
「……ってことは、魔物どももいよいよ暗黒樹海を残すのみか」
男は手にしていた新聞紙を4人がけの円卓の中央に放る。すると、向かいに座っていた別の男がその新聞紙に手を伸ばす。
「だがよ、暗黒樹海の魔物を潰さない限り、魔物どもはまた攻め入ってくるに違いない」
「くそったれな魔王がまた出てくるかもしれねぇしな」
「まぁ、そしたら勇者様がまたぶっ殺してくれるさ」
男達が下品に笑っていると、そこに1人の女給が近づく。
「今日も上機嫌ですね」
女給は男達に笑いかけ、それぞれの前にビールジョッキを置いた。
「一体何の話を?」
男達の頰が酒も入っていないのに赤くなる。
「ん?…おぉ、王国も平和になるなと思ってな」
「なるほど、そうなると昼時に酒場へ訪れる客も増えますし…マスターに賃上げ交渉でもしますかね」
「は、はははっ!俺らみたいな暇人で溢れるってか!」
彼女はスカートを揺らして踵を返すと、肩越しに男達へ視線をやる。
「ごゆっくりどうぞ」
女給が妖艶に歩き出せば、男達も物言いたげに彼女の背中を見送る。
「…結婚してぇな」
「お前…妻子いるだろ」
「バカ、ウチの嫁より絶対にいい女だぞ」
「………まぁな。彼女が暗黒樹海の最果てにいる純白の美女なら、俺も暗黒樹海を冒険したいものだ」
男達はそう言ってお互いの中年顔を見て溜息を漏らし、ジョッキを持って乾杯した。
「マスター、私休憩してきてもいいですか?」
女給は酒場のカウンター席で煙草を吹かすマスターに近づき、彼が鼻を鳴らすと、彼女は一礼をして厨房の奥にある休憩室に引っ込む。
「暗黒樹海……将軍、貴方は大丈夫ですか…」
客が少ない昼過ぎの酒場で働く女給は彼女1人だけで、ポツリと口にした独り言は虚しく空間に消える。
女給はエプロンを脱ぎ、自分の着替えが入ったロッカーを開けようとするが、その前に周囲に誰もいないことを確認する。そしてゆっくりとロッカーの戸を開け、中に丸めたエプロンを放り込み、代わりに黒い鞘に納まった短剣を取り出す。それをスカートの裏に隠してロッカーの戸を閉める。
「人間が死ねば良かったのよ…」
女給は額をロッカーに当てる。
「お父様、私を馬鹿だと思いますか?」
女給はロッカーを離れ、反対側にあった姿見で身だしなみを整えて休憩室を出る。そして酒場の裏口に向かうと、そこからちょうど別の女給が2人入って来ていた。
「お疲れ様。休憩?」
「お疲れ様です。マスターはいつもの場所にいますよ」
「了解了解。後はお姉さん達に任せなさい」
「はい、では失礼します」
女給は先輩達と入れ違うように裏路地に出る。その姿を最後まで見た1人の女給が首をかしげる。
「ねぇ?」
「どうしました?」
「彼女…何かあったのかしら?」
「へ?あー…彼氏にフラれたとか?」
「彼女はフリーのはずだけど……そうね、もしそうなら慰めてあげましょ」
「お姉様、私も可愛がって」
「こーら、ふざけない。行くわよ」
優しい先輩に見送られた女給の足は迷うことなく、ひたすらに迷路のような路地を歩いていく。その道中、痩せこけた老人が転がっていたり、汚らしい幼子が獣のように牙を向いて威嚇してきたり、どこからか若い娘の悲痛な叫び声なども聞こえたが、女給は冷たい視線を送るばかりで、人が大勢行き交う大通りが見えると、そこに向かって一目散に駆けた。
しかし、大通りに出る一歩手前で女給はピタリと足を止める。
「やぁ、お目当は僕かい?」
女給の背後には男が立っていた。その男は女給がスカートの裏に隠した短剣を抜く前に彼女の背に長く美しい剣を突きつける。
その男の後ろからは数人の仲間が駆けつけて来た。
「おい勇者、急に走り出すなよ」
「って…誰です?その女性は?」
駆けつけた仲間達は女給に突きつけられた剣が見えていなかった。そこで男は肩越しに仲間達を見て目を細める。
「すまんね。彼女と2人きりになりたいから、しばらく別行動でお願いできるかな?」
さらに男は直立不動の女給の背中を見て笑う。
「君もその方がいいだろう?」
女給はゆっくりと振り向く。その間も男の剣が引っ込むことはなかった。
「ほぉ、結構な美女じゃねぇか」
女給の顔を見た仲間の1人が感心して顎を撫でる。
「ありがとうございます」
女給は自分に突きつけられた剣に1度視線を落とし、それから誰もが見惚れる笑顔を見せた。
「私も勇者様には個人的な用事がありますので」
男…勇者は一瞬だけ驚き、静かに剣を納めた。