加藍菜(カランコエ)は誓う
大切にしたい幼馴染みがいた。
カレル・ドートリアンは切れ長の目を大変凶悪に細めながら、ただその様子を見ていた。
その先には美しき薔薇と誉れ高い公爵家の令嬢ローズがその名に相応しい華やかな微笑みを浮かべながら、一人の少女と話をしていた。
ふとした瞬間に頬がふれあうほどの近さで、視線を交わし会う。
あれではまるで…
まるで、恋人同士のようだ。
何度振り払っても頭から離れない忌々しい感想を、頭を振って無理矢理追い出し、その光景から逃げるように目をそらしきびすを返した。
「あの女狐が…」
小さなその呟きはすぐさま風に掻き消され、誰の耳に止まることもなかった。
苛々とした気持ちを沈めることもできず乱暴に執務室の扉を叩き許可を得るとズカズカと入室する。形ばかりの礼を取り、いくつかの書類のつまれたテーブルにダンと手をつくと、瞬きをしながら見上げるアレクセイに詰め寄り声をあげた。
「なんだって、あんな女が良かったんだ!」
美しい金色の髪にキャラメルのような甘さのある瞳。
白い肌は透き通り、スッと通った鼻筋はもはや芸術。
カレルにとってアレクセイとは非の打ち所のない美青年であった。
ついでにいうなら幼少など天使降臨かという程の美少年だった。
「俺はな、公爵家の令嬢にだってお前を渡したくなかったんだよ。王家の取り決めだから我慢したけどな!」
幼い頃からカレルはアレクセイと共にいた。5歳年上のカレルは学生生活をアレクセイと過ごせないことに周りがドン引くほど落ち込み、うっかりアレクセイが入ってくるまで留年するという暴挙に出かけたところを、父親に感付かれ無理矢理国外に留学させられたのだった。
それゆえに、学園で起こった茶番もその後の出来事も全く蚊帳の外だっのだ。
それが全く忌々しい。
カレルに対する周りの評価は常に一貫している。
殿下さえ絡まなければ、優秀な男なのに。
「リリィは、俺の大切な人なんだよ、カレル」
真っ直ぐにぶつけられる裏のない好意は、心地よい。
胸が満たされる。
そういう意味で、アレクセイにとってリリィとカレルはひどく近いものだった。
だが、今の現状しか知らないカレルには全く理解できないものでもあった。
「あの女、すっかり女狐に取られてるじゃねえか」
遠慮のないもの言いは人のいない二人だけの空間だからだが、それにしても中身はひどい。
気分を害せば、すぐにでも不敬罪だというのにまるで気にした風がないのは、それだけ二人の関係に自信あるからなのか。
「カレル…」
わずかな憂いを、揺れる瞳のなかに見つけてカレルは押し黙る。
「確かにあのとき潰れそうな俺を癒してくれたのはリリィなんだ」
絞り出すような声にカレルの心は荒れる一方だった。
俺がいたら、俺がお前を守ってやれた。あんな女なんかではなく、この俺が!
「俺はね、反省している。」
カレルに話しかけているのか、独白なのか。一瞬判断しかねるような小さな声でアレクセイは呟いた。
「ローズの言う通り、はじめから立場を明確にするべきだった。あの時は全くそんなこと思い至らなかったんだ、おかしいだろう?俺のこういうところが皆を失望させるんだろうな」
自虐的な笑い方はカレルが留学する前には見せなかったものだ。
学園で起きた茶番は、形の上では丸く収まったものの至るところに影響を残していた。
アレクセイは己の至らない部分に目を向け、また取り戻そうと励んでいる。しかしローズは詳細こそ箝口令が敷かれて分からないものの、王族の醜聞を未然に防いだとその評価を高くあげていた。
それによる周りの目というのは、思うよりシビアにアレクセイに向いていた。
そして、リリィ。
あの茶番以来、せめて何かの役に立ちたいと改めて学び直すことを希望したという。
男爵家の娘にそれほどまでの温情が与えられるなど、異例も良いところだ。
それでも表向きに異論が出されないのはローズが認めているからに他ならない。
あの女狐…。
昔からカレルはローズとは馬が合わなかった。
それはお互い様であったので、当然向こうもこちらとは必要以上に接点を持たなかった。それは、もしかしたら間違いであったのかもしれない。
恋愛感情こそなかったが、情愛のようなものをアレクセイと育み幸せになればよいと思っていたし、ローズは恋愛感情などとは縁がなさそうだと踏んでいたのでそれは可能だろうと思っていた。
まさか、ここにきて好きなやつができるなんて!
あの熱を帯びた目に、何故誰も気づかないのか。
手に入れるためなら手段を選ばないその手腕はいっそ見事だが。
「お前はまだ若い。いくらでも伸び代はある。俺が手伝ってやる」
ともすれば、自暴自棄とも見えるアレクセイの両頬に手を添えてうつむきがちだった顔をあげさせる。
「誰がなんと言おうが、お前は俺の主だ。たった一人この国の王となる男だ。前を向け」
真っ直ぐに見つめてやると、長いまつげをパタパタと瞬かせその瞳にカレルを写しだした。
「ありがとう、カレル…。俺は本当にリリィを愛していたよ」
「分かっている。愛して『いた』んだな…」
「ああ。情けない話だが、俺は自分自身の置かれている立場について認識が甘かったと痛感している。良い経験になったと思う」
少し大人びた顔もまた、カレルが留学する前には見たことの無いものだった。
もっと早くに帰ってきたかったよ。こんなことになる前に。
そんな気持ちを圧し殺して、カレルはコツリと額を付き合わせた。
「俺が付いている。決してお前を裏切らないし、また何かに浮かされたら活を入れてやる」
だから、どうか…。
これ以上、傷つかないで…。
祈るような気持ちが伝わったのかはわからないが、アレクセイはふわりと笑った。
一番カレルが好きな顔だった。
「俺は落ち込んだし、反省してるが、もう吹っ切れたよ。それにいつも完璧なローズが俺に気付かれて無いと思っているなんて、可笑しいじゃないか」
しかし最後の一言に添えられた黒い笑顔は、カレルが留学する前には見たことの無いものだった。
大事な人の少しばかり気になる変化についてはともかく、一番気がかりだったアレクセイと話をすることはできた。取敢えずの目的は果たしたので再び形式ばかりの礼を取り退室をした。
そうして、足を進めようとしたところでローズが向かってくるのに気がついた。
「あら、ごきけんよう。お戻りになられていたのですね」
白々しい程の笑顔で挨拶をされるのに、恭しく礼をとる。
「これはこれは。ご無沙汰しておりました。お変わりなく、いや…」
そうして顔を伏せながら一度言葉を区切ったあとに、一呼吸おいて続ける。
「以前に増してお美しくお成りだ。まるで恋をなさっているようだ」
カレルにとって大事なのはアレクセイだけだ。それ以外のものになどこれっぽっちも敬意を払う気など無い。
「あら。恋をなさったのは殿下の方よ。お美しくなられていたでしょう?」
ふふふ、と珠を転がすように笑う。
「ねぇ、あなたの大事な殿下がいまいち危機管理が出来てないのは、あなたのせいでもあると思うのよ?」
鈴のような軽やかな声で、美しい歌のように言葉を紡ぐ。
「あなたが居なくなった途端にこの体たらくは問題だわ。」
ギリ、と握られた拳に血管が浮き上がるのを誰が気づくだろうか。
怒りで熱くなる目の奥と、付け入られる隙を与えるなと冷えていく心を同時に感じる。
「殿下はあなたが侮るほど愚かではない」
「殿下を侮るなどと、滅多なことを仰らないで。だけど肝に命じますわ。ご忠告を有難う。わたくしからもひとつご忠告ですわ。大事なものは形振り構わずに手にいれておかないと後悔しますわよ?」
現に殿下は全く予想外の女性に心を奪われたのだから。
「これはあなたにとっても良い機会ではなくて?傷ついた殿下を守って差し上げてくださいな」
あなたと私は同じ穴の狢なのだから。
この女狐が。
「これはこれは、ありがたいお言葉。胸にしかと刻んでおきます。殿下はまだこれからお強くなりますよ。が、私は何者からもあの方を守っていくつもりです。あなたに言われるまでもなく」
お前らからもな。
「あらあら。頼もしい限りですわね。過保護と履き違えないようになさってくださいね、今度こそ」
「ご忠告、恐れ入ります。あなたこそ慣れない恋心に足元を掬われないようになさってくださいね。殿下の足を引っ張られては困りますから」
遠目に見ていた騎士達からは、殿下の側近と目される男と殿下の許嫁が談笑しているように見えただろう。
その証拠に彼らのなかでは殿下をめぐる幼馴染みたちの仲の良さを微笑ましく語る姿がよく見られるのだから。
しかし、ここは一筋縄ではない世界。
のちに良き王となるアレクセイには側に常に控える騎士がいた。
彼は最も信頼する部下であり友人であると王自らが宣言し重用する男であった。その生涯を王に捧げ最後まで共にあったという。
二人の美しい妻と、最も信頼すべきこの男がアレクセイを支え良い治世を築いた。
本当のことは誰に知られずとも良い。
華やかに咲き誇る薔薇や白百合のようでなくとも。
どんな場所でも咲き誇り、力強い生命力を持つというカランコエのように彼を守り続けると。
そう誓い、そう生きた。
加藍菜は誓う。