第1話「髙木 有馬」(9)
「おいずるいぞ、有馬。」
靴箱から離れに離れた第二校舎三階の奥、東の果てに教室を構える三年八組が我がクラスである。クラスの友人を見つけた西野と靴箱で別れ、遠いなあと心の中でぶつくさ文句を言いながら教室に辿り着き漸くドアを開けた所でかけられた第一声がそれだった。
ドアを開けてすぐの場所から発せられたその声は出所が俺より頭一個ぶん高い所にあり、その為声の主の顔を見るのにやや見上げる格好となる。
目の前に立つ長身の男子、有村 巽は俺の数少ない(誇張ではない、悲しい事に。)友人のひとりであり、クラスメイトでもあった。
坊主頭に精悍な顔つき、鍛えられた厳つい体格。彼が二ヶ月前のクラスの初顔合わせで野球部のキャプテンだと自己紹介した時はクラスの誰もが思わず頷いたものである。
「おはよう有村、生まれてから1度もズルした事が無いくらい善人だと評判の俺に何か用か?」
「……」
「悪人面で悪かったな!!」
友人の物言う視線に思わずツッコミを返す。
何だよ昨日からみんなして寄ってたかって。傷付くだろ!ぼけ!
友人の遠慮ない暴言(言ってはないのだが)に仏頂面を浮かべるが、そうすると更に悪人感が増す事を俺は今更ながらに思い出していた。
「そんな事いいんだよ、それよりだ、お前ずりぃぞ有馬」
有村が再三俺に詰め寄る。お前、その身長で寄られると迫力が冗談じゃ済まない事に気付いた方がいいぞ。
「なんだよ」
本人は本気では無いのだろうがその身長、その剣幕で睨まれるとこれからボコボコにされるんじゃないかという気になって仕方がない。街中でやったら間違いなく110番だろう。いや待て、本当に本気じゃ無いのだろうかと俺まで自信が無くなる
迫力に負けてじりじりと後ろに退いていく俺に有村が言う。
「西野さんだよ、何でお前あの西野さんと仲良く登校なんてしてんだよ」
「西野?」
「とぼけんなよ、見てたぞ俺は。斯くなる上は、髙木さん、是非僕を紹介してください。」
「なんでやねん」
なんだそういう事かと納得する。というか西野って、ええ。
巨体をもじもじさせながら少し照れ臭そうに紹介してくれよなあと道を塞ぐ坊主頭の友人を横へ押しやって自分の席で一息ついた。
それでもなお付いてくる有村に、やれ仕方ないかと西野との友達仲を粗く説明する。
「なんだ、びっくりしたわ、そういう事か。てっきりお前の逆転タイムリーツーベースかと思ったわ。」
「野球部キャプテンだからって野球ネタで例えようとすんな、上手くいった所見た事ねえ。」
意外と難しいんだよとガハガハ笑いながら、しかし安心したように有村の雰囲気がいつも通りに戻る。どうやら彼が勝手に"彼女出来ない野郎同盟"に加盟させていた俺が西野と恋仲になったのではと勘違いしたらしい。勝手に加盟させんな。出来ねえけど!
「しかし西野ねえ、やっぱ可愛いのか、あいつ」
「おまえ有馬、西野さんがこの2年で何回告白されたか、まさか知らねえのか」
その言葉には俺も思わず目を丸くする。
記憶を辿って人数を数えながら片手を閉じきった所で、未だ全てではないという風に思い出そうと奮闘する有村を他所に俺は謎の焦燥感に襲われた。
驚きながらも焦りの正体に気付かない俺の横で「ともかくいっぱいだ」とアバウトな結論に至る有村。友達になって二ヶ月経ち気付いた事だが、彼には何かとアバウト過ぎる側面があるようだった。
そんなにアバウトでピッチャー的にストライクゾーンとか大丈夫なのだろうかと俺は割と本気で気になっていた。
それはともかくと、何故か早急に確かめないといけない気がして西野の噂について聞こうとしたあたりでチャイムが鳴り、一限の先生がドアから教室に入って来る。
西野は俺と同じで恋愛世界と接点を持たない人間だと思い込んでいた故に思わぬ形で放たれた衝撃に打たれた俺には、得意なはずの数学の授業も頭に入らず、悶々と一限を無駄にした。




