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第1話「髙木 有馬」(30)

一口に傷と言っても色々ある。

骨折、擦過傷、刺傷、打撲傷、(ある)いは心の傷なども、しいては傷である。

その中でも銃による負傷は一際異質である。少なくとも、瀬川の経験上では。


銃弾の傷はナイフの切り傷や刺し傷とは根本から違う。刃物にはない、肉を(えぐ)るような耐え難い激痛―――破壊が直線的に身体を通り抜け、痛みそのものを押し付ける。更に異なる事に、そこには感情が無い。機械的な無遠慮が命令された通りに身体を傷つける味気のないプロセス、ただそれだけである。


だからこの男が放った弾丸の無感情さ、その中に生暖かい殺意を(しか)と感じて尚更、瀬川は鳥肌を(あわ)立たせた。


精神的にも肉体的にも、自分の境界が侵された時人は言いようの無い不快感と虚無を(のぞ)くような不安感に襲われる。

感情の起伏が著しく平坦な瀬川をしても、大腿部と左上腕を撃ち抜かれたこの瞬間にはそれを感じずにはいられなかった。

不快と不安がたっぷりと練り込まれた、気の遠くなるような激痛。


実に理に叶っている。回避が困難な瀬川を仕留める為に態々(わざわざ)近づくリスクを負う必要は無い。要は瀬川の四肢を撃ち抜いて動けなくすれば良い。


続く三発目の銃弾が右の太腿(ふともも)を掠めた。ひゅ、と軽く(うめ)く声は発砲の残響にかき消される。


痛みに蹌踉(よろ)めいた瀬川の肌を鮮血がこそばゆく伝う。硬く冷たいコンクリート製の床が、暖かい彼女の血をすんなりと染み込ませていく。


「ねえ、無様ですねえ、ねえ。僕の雑な射撃も(かわ)せない。なるべく痛く撃ちますね、痛く撃ちますとも。でもね、加減はしますよ。後でウチの専門のやつに拷問させる分を残しておかなくちゃあならない。」


スーツの男が生々しい音をたてて(よだれ)(すす)りながら顔の横で(あお)ぐように拳銃を揺らす。

瀬川は覚えのない苛立ちと嫌悪を感じたが、状況は男の言う通りであった。

あんな雑破な射撃すら、(かわ)し切る程に大きくは身体を動かせない。


『こりゃだめだ。あれだ、ジリ貧って奴だ』不意に死んだ祖父の台詞が頭をよぎり、瀬川は()頓狂(とんきょう)な表情を浮かべそうになった。

あれは祖父が、趣味だった格闘技の番組を観ている時ではなかったか。無名な黒人ボクサーがチャンピオンの猛攻に受けの一辺倒を強いられていた場面を思い出す。


挑戦者は防御に必死で何の手も打てない。これはもう時間の問題だろうと、観ている誰もが思っただろう。

あの試合の結末はどうなったんだっけ。


瀬川の右肩を四発目の弾丸が掠める。スーツの肩口が裂け、柔らかな皮膚に血の筋を滲ませた。


思い出した。あれはそう、カウンターだった。

チャンピオンの猛攻撃の限りなく細い切れ目、誰もが見逃す程のその箔のような隙。

閃く右手の初動を、チャンピオン含め捉えられた者はあの場に居なかったのではないか。


挑戦者の圧巻のアッパーブロー。極大のインパクトを孕んだその拳がチャンピオンの顎部に寸分の狂いなく叩き込まれた。


会場の時が止まったような、時間の流れに置いていかれたような。そんな一瞬の静寂の後、耳を(つんざ)く大歓声が会場を押し潰さん程に鳴り響いた。


カウンターだ。

コンクリートの冷たさが満ちる建設現場の二階。瀬川は、その場の誰もが気付かない程に薄い笑みを浮かべた。


五発目の弾丸に撃鉄が添えられる。

スーツの男の(ねば)つくような(いや)らしい殺意が、銃口を通して瀬川の残った右腕を狙う、その瞬間。

瀬川は動き出していた。


殺伐と乾いた発砲音が尾を引きながら響いた。

が、凶弾の軌跡は瀬川を捉えていない。

殺意から身を(かわ)すように上体を回して半身になった彼女は、射撃音よりも先に銃撃を回避し切っていた。寸前に瀬川の右肩が()った虚空を弾丸が突き抜ける。

男が驚愕に思わず声を漏らした。


瀬川が読んだのは男の瞳が語る殺気の軌道。それはまるで先出しジャンケンの如く、超音速で飛来する銃弾を、妙技を以って(かわ)したのだ。


愕然は硬直を呼ぶ――――この一瞬、その刹那の時間だけは、瀬川ただ一人が動く事が出来た。

閃光の如く、恐ろしく鋭い動きで右腕が跳躍する。


瀬川が取り出した二本のそれは装飾も何もないのっぺりとしたサバイバルナイフだった。何の変哲もないように見えるが、その実、刃部分が妙に重い特殊な構造をしている。

重心がナイフの中心を外れている、その理由はその用途にあった。


ナイフの()―――ではなく(きっさき)を指の間で挟み、瀬川は右腕を大きく振りかぶった。全身を滑らかに、しかし力強く()らせるその様相は攻城弓(バリスタ)を思わせる。


ヒュパッ、と大気が斬れるような鋭い音は振り抜いた右手の先で響いた。その手の延長上を、鈍色(にびいろ)の閃きが切り裂くように飛翔した。


投擲(とうてき)―――とどのつまりは投げナイフである。


燻んだ銀色の輝きが二本、スーツの男の頭部を目がけて閃いた。

一切の無駄なく伝わった力で放たれたナイフは恐ろしい程の速度で夕闇を両断する。



ナイフが指先を離れたのと(ほとん)ど同時に、六発目の銃声が無機質な空間に響き渡った。


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