第1話「髙木 有馬」(3)
ただいま、と少し大きめの声で帰宅を知らせると数秒足らずでリビングからエプロン姿の茶髪の女性が出てきた。
「おかえり有馬、遅かったじゃない、何してたのよ」
俺の叔母である髙木 叶は小洒落た大きめの眼鏡に綺麗な茶髪を後ろで一つにまとめた姿で玄関に出てきた。
実の甥であり養子の俺から言わせても若々しい、どう見ても四十前には見えないがその中身はと言えば老婆心におばちゃん根性ガチガチのアラフォーそのものである。
「久しぶりに友達と会って話しながら帰ってたら遅くなっただけだよ」
「お、咲ちゃんか」
「…なんでわかんだよ」
こういった勘が異様に鋭いのが叔母である。まさか彼女こそ予知能力者とか言い出すのではあるまいなと少し身構えてしまう。
「女の勘って最強の武器、まだ捨ててないんだよね私も」
禁止カードだそんなもん、と毒づきながらスニーカーを脱いだ所で鼻に運ばれたでんぷん質の甘い香りに食指が動く。
「夕飯、肉じゃが?」
「お、正解!あんた好きでしょ肉じゃが。」
叔母さんは料理が上手い。好物の肉じゃがとなればそれはもう感々涙々として頂くものだが、昔はそれはそれは酷い腕だったそうだ。
疑う気持ちで一度叔父さんに尋ねてみた事があったが、阿鼻叫喚を綯交ぜにした表情から察するにどうやら紛れも無い真実らしかった。叔母の持論、為せば成るとはよく言ったものだ。
上達後の料理しか知らない自分は本当に幸せなのだろう、ちゃんと噛み締めて頂く事にしよう。
「もう出来るからさっさと学生服脱いで食べにおいで。あ、手洗ってうがいしなよ!夏風邪ってタチ悪いから」
いかにもおばちゃんな注意をしながら彼女はまたキッチンに向かって行く。
記憶にある母親の静かな性格とは似ても似つかない、本当に母の妹なのか、そこすら義妹ではないのかと思いたくなる。
そんなことを考えながら自室に戻りカバンを放ってベッドに寝転がった。
―――にしても変な忠告だったな。
西野の予知の話である。笑い飛ばす気はもうないが、にしても信じるには理屈でないことが多すぎる。
明日、特に何もないだろうがもしあったとして犬のフンでも踏むのがオチだろうと思っていた。うわ嫌だな、犬のフン。明日はボロっちい靴で学校に行こう。
思わぬ足裏からの急襲に深刻な精神的ダメージを食らう自分を想像しながら制服を脱ぎ、ちゃんと手洗いうがいを済ませてリビングへ向かう。これもしていないと必ず気付かれる、やはり超能力者ではないのか叔母は、と再三疑いながらリビングに入るとジャガイモと牛肉の混ざった甘い香りが鼻を刺激し、思わずお腹がぐうと音を立てた。
肉じゃがは大好物なのだ。
食欲を宥めつつテーブルに着くとタイミング良く叔母さんがキッチンから現れた。ぐつぐつと鼓膜から味覚を刺激する音を立て赤い鉄鍋が卓上の鍋敷に運ばれる。
「よっしゃ、食べるよ!今日は記念日だ!」
湯気を立てる美味しそうな肉じゃがを器に盛り付けている彼女が気になる単語を口にする。
「記念日?」
肉じゃがの誘惑に必死に抵抗していた俺は遅れて違和感に反応し聞き返した。
「あんたがうちの息子になった記念日だよ、私はちゃんと覚えてんだから」
嬉しくも誇らしそうな笑みを浮かべて叔母さんが言った。ちょっとした気恥ずかしさに頬を掻きながらも同慶の笑みを浮かべる。
こういう事を気遣い無しに言える、叔母さんはやっぱりいい人だと思う。
中学に上がってすぐ、多感な時期に両親が失踪し居場所を失くした俺を真っ先に引き取ってくれた叔母夫婦には本当に救われたし、子供ができなかった彼らの養子になれた時には誇らしくもあった。
決して恵まれてはいなかったが、この家に来て以来自分の境遇に卑屈になった事が一度足りとも無いのは一重に叔母夫婦のお陰だった。
「そっか、じっくり味わって食べるよ、いただきます。」
叔母さんの作る肉じゃがが俺は大好物だった。




