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第1話「髙木 有馬」(23)

その人間がどれだけ腐敗しているか。


瀬川晴子にはそれを眼を見るだけで知ることができた。

腐敗とは勿論(もちろん)精神的に、である。瀬川の仕事の特性上、腐乱死体に関わる事はあまりない。もっとも以前発酵させた豆製品の様な悪臭を放つ標的に出会い、こいつ腐ってるんじゃないかと疑いを強くした事はあったが。


ともあれ瀬川には、眼を覗き込むだけでその人物のある種人間性の一部分の様なものが把握できたのである。


瞳の輝きに人一倍敏感な事に気付いたのはいつだろうか。

高校に上がる頃、学費を餌にして片親の瀬川に不埒な行いを企んでいた教師のその奸計(かんけい)に眼を見て気付いた時だったか。

粘着質にぬるりと(うごめ)く性欲を孕んだあの瞳は、思い出しただけで全身の毛が粟立つ様な不快感を伴う。

警察に突き出した時、これまでに同様の手口で姦淫に(あやか)ってきた事が(あら)わになったが瀬川にとっては()もありなんといった感想だった。


ともあれ、その人物の眼に投影される「欲の本質」とでも形容すべき輝き――()しくは(にご)り――が、瀬川にはありありと感じ取れた。


仕事柄、彼女は様々な瞳の輝きを目にしてきた。金銭欲、色欲、出世欲…ターゲットの目に爛々と映し出されるそれらは殺しを依頼される理由が自ずと理解される、そんなものが大半であった。

汚い人間が汚い人間に殺される、血垢の(あくた)(まみ)れた螺旋の中では全く意味のない特技だと、瀬川は自負していた。


しかし二年程前、彼女の仕事に初めて意地の悪い黒星をつけたあの男。2人組の著名な殺し屋"(ばく)"の片割れだというあの気怠(けだる)げな優男の眼煌は酷く印象に残っていた。

此方(こちら)を、そして現実ですら見ていない、そんな薄気味の悪さを感じる仄暗(ほのぐら)い輝き。仕事を(こな)す間は常にメタな玻璃(はり)の奥に自分を置いておく、まるでゲームのプレイヤーの様なその眼の奥にはしかし色濃い(いや)らしさと人を(おとし)める愉悦が浮かんでいたのを、彼女は今でも鮮明に思い出す事が出来た。

同じ土俵で相手と闘ってはいない、そんな悪趣味な余裕感が鼻に付く人間だった。



ともかく今階段の上、建築資材の(そば)に身を伏せる瀬川の目の前で意気揚々と声を上げる人物こそ、二年もの間苦渋を感じながら足取りを掴めずにいたあの男(まさ)にその人であった。


夕闇が(とばり)を降ろす暗がりの所為(せい)で人相は把握できないがどうやら高校生くらいの少年と何かを話している。(いや)、話すというよりは一方通行に押し付ける勝利宣言の様なものだろうか、男の声色からはそんな抑揚が聴いて取れた。

奴と向かい合う少年は酷い被虐痕を(こしら)えて地面に片膝を着き、そんな状態で蹌踉(よろ)めきながら男の言葉を聞いている。着ている制服は所々が擦れて破れ赤黒い血が(にじ)んでおり、虚ろな表情は今にも事切れて床に倒れ伏しそうな程であった。

そうしない、そう出来ないのは、あれか。

満身創痍の彼の背後、こちらは外傷なく眠る様に横たわる少女に瀬川は気が付いた。


()()く悪趣味な男だ、逃げられないあの状況で、あの男の能力を(かんが)みると到底不必要な暴力を振るったのだろう。


殺し屋は、基本的に戦闘能力が高い。

この業界は用心だけが身を守る為、土壇場で身を守る術を必然的になり必要的になり皆が習得する事になるのである。

進化論的な観点からも、それが出来ない人間が淘汰されたと考える事も出来るだろうが、(しか)しながら少年に振るわれた暴威は、それこそ目的に合わない非合理な暴力に感じ瀬川は怒りを覚えた。


手にしたサバイバルナイフを懐にしまう、あの男を背後から襲い一撃で喉部の頸動脈を切断してやるつもりであったが、気が変わった。

正面から、拳骨でぶちのめしてやろう。


思考がサーっと白く薄れてゆく。


合理を至高とする普段の瀬川晴子なら考えもしないそんな選択は確執に依るものか、それとも少年の姿がもう十数年会っていない弟にどことなく似ていたからか。

ともかく一考を経て、彼女は潜伏場所から矢の如く一直線に飛び出した。

タイミングは上々、男の死角がこちらに重なった瞬間の奇襲は絶妙であった。が、男も詰まる所は"同業者"である。瞬間に殺気を知覚して閃く右腕で顎部への飛び膝蹴りをガードしてみせた。


この男は全く、私が苛立(いらだ)つ事しかしないなと軽く舌を打つ。


少年がポカンと口を開ける様子が視界の端に映る。そんな仕草もやっぱり似てるんだよね、と場にそぐわない感想が一瞬頭を()ぎったが刹那で意識を男に戻し、瀬川は臨戦態勢に入っていた。

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