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第1話「髙木 有馬」(21)

(かわ)した―――!!


スーツの男の拳に確かな反応を示して首から上を全力で右に退いたその直後。振り抜かれた左ストレートは残像の真芯を捉えて虚空を貫いていた。


二度の打撃に目が慣れたのか、男の握拳(あくけん)が意識の中でしっかりとマーキングされる。


(かわ)せた、(かわ)せる…!!

二撃目―――三撃目――!

先程見たよりもずっと遅く体感された。動きが見える、拳戟(けんげき)(かわ)せる。こちとら運動神経は高いんだ、ざまあみろ!

これなら反撃ができる…こいつをぶっ倒せる…!


拳に筋が浮く程の力を込めた俺が僥倖(ぎょうこう)(にじ)ませたその咄嗟(とっさ)


先程より明らかに(はや)い打撃が鼻先を掠めた。鼓膜に風を切る音が届く。

避けたのは()()()()()()()()()()()

(はや)くなった…!?

その思考が言語化する(いとま)もなく、加速していく拳打が徐々に身体を捕捉する。

五撃、六撃と拳が掠めた箇所がチリチリと熱くなった。

余裕は寸分も無く、焦りも(あら)わに必死で徒手空拳の鋭撃を避け続ける。

七撃目が顎の先を(こす)った。

噴き出す冷汗を感じた。理解が付随しない。


と、俺は不意に気付いた。

男は笑っている…スーツの男は(あざけ)りを涼しげな顔に描きつけていた。



―――遊んでいるのだ。


絶望に全身の血の気が引いていくのが分かった。思考が唖然と大口を開ける。


八撃目が右頬の真芯を捉えた。



――――――――――――――――――――



痛みすらもう無かった。

ただひたすらに身体中を(ほとばし)る熱さだけが神経に伝わっていた。

口の中で(にじ)むように血の味がして思わず唾を吐くと工事用具の辛子色の布に落ちて真っ赤な染みを作った。


スーツの男のもう何発目か分からない拳が右頬を強烈に撃った。

遅れて繰り出された俺の拳は男を捉えられない。型も何もなく怒りだけで握られたそれは虚しく空を切っただけであった。


「クソ…が、」

捌け口の見つからない苛立ちが言葉尻に(にじ)む。


「ああストレス解消ストレス発散、君さ、勝てると思ったろ、最初。なあ、勝てると思ったろ?」

男の右脚がふわりと浮き、風を裂いて俺の左脇腹に突き刺さる。細い脚の何処にこんな膂力があるのだろうか。勢いを殺し切れず積んである角材の山に突っ込んだ。


ガラガラと音を立てて崩れる木材の中で再三鋭い熱さが鈍い身体に突き刺さる。

寄りかかる角材に血を吐きかけながら(ようや)くこの熱さが密度の高い痛みだと気付いた。

自覚した途端に潜熱(せんねつ)が烈痛に戻る、全身を針で貫くような刺激に微睡(まどろ)んでいた思考が引き戻された。


徐々にクリアになる頭から憤慨が離れていくが遅過ぎる冷静さに追随する身体は残っていなかった。

骨は折れていない。この男は嗜虐欲を満たす為に敢えて打撃の威力を抑えている様だった。


俺は(おぼろ)げな思考の中、右側頭部への最後の蹴撃に横薙ぎに吹っ飛ばされた。

その勢いのまま地面を数(メートル)転がりまるで礫死体(れきしたい)の様にコンクリート製の冷たい床に投げ出された。


その一撃を幕切れに、やれ満足とでも言わんばかりにスーツの男が両手を軽く(はた)いた。血と汗で(かす)む視界に輪郭の定まらないスーツの男を辛うじて捉える。


最後の抵抗は起き上がる事だった。

青痣(あおあざ)擦過傷(さっかしょう)の目立つ汚れた右手に何とか力を込めて上体を起こし上げる。

微弱な重力にさえ、逆らった分だけ疼痛(とうつう)(さいな)まれる。最早涙も痛みも怒りも恐怖も、感情すら通り越した規格外の痛みだった。


「いやあ、痛そうだね。僕ってさ、ほら、性格が悪いとか良く言われるんだけど、君もそう思っているのかな。」

男が飄々然とそう話す。俺は動かせない身体に行き場をなくした憤慨を睥睨(へいげい)に込めた。


「でもさ仕事の邪魔した子供を、ちょっとした遊びに折檻(せっかん)するのも大人の役割だよね、うん。間違いない。」

男が確かな歩みで距離を切り縮めてくる。

鈍痛に耐えながら必死に這いずり、西野に被さる様にして彼女を庇護する。


「なんだよ、守れてないぞ?あは、その子、今から連れていくんだよ。俺が、君からうばって!なあ、なあ、なあなあなあなあ?」

高笑いが耳にこびりついて染み込んでいく。こんな奴に、こんな奴に…?

男の歩みは止まらず、遂に(かが)んで腕を伸ばせば届く位置まで漸近する。




男の手が酷くゆっくりと伸ばされる。俺は(まぶた)をきつく(つむ)った。


ごめん、西野―――。




―――刹那、打撃。


視界の左端から放たれた様に飛来した影がスーツの男を真横から殴打した。

男は辛うじて反応に足りた様子で限々(ぎりぎり)右腕を滑り込ませる。

ガッと鈍い防御音が建物に響き渡った。


予想の完全な埒外(らちがい)、第三者の登壇に(いよいよ)過負荷が酷くなる俺の思考がスパークする。


それは黒髪を肩上で切り揃えた容姿端麗なスーツの女性であった。


「美人OL…?」

明滅する頭でなんとも薄っぺらい感想を(ひね)り出した俺は、もうスーツは()()りだと振り絞った溜息を吐いた。

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