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第1話「髙木 有馬」(18)

「おうい、何とか言いなよ。友達が倒れているぜ」


こちらを向いたスーツの男は脱力した右手をぶらぶらさせながら飄々と言った。

やはり年齢は二十代後半だろう、眠たそうに垂れた目付きを俺に向け、ふわりと緩やかに巻いた癖毛(くせげ)を右目の上あたりで分けている。気怠げな優男と表現するのが的確だろうか。

男のそんな台詞に、まるで喉だけは動く許可を出された様に声を出せる事に気づいた。


「しかしね、記憶違いだな。この道。使っている人もちゃんと調べたんだけどな、ねえ友達君。」

男が緩く巻いて伸びた髪をわしゃわしゃと無造作に掻く。

こちらに気付いているならば逃げて人を呼ぶ手は愚策だ、倒れるソフト部員達が被害を(こうむ)りかねない。


「それとも友達じゃあ無かったかな、でも似てる制服着てるよね、同じ学校だよね。」

(なお)も平然とした態度を崩さない男にどうにか反抗しようと言葉を絞り出す。


「何…してんだよ、その子達に。」

震えを全く載せずに声を出せた自分を褒めてやりたい。それ程に、未知と無理解は人間にとっての恐怖であった。


俺の台詞にスーツ男が足元を一瞥(いちべつ)する。

「ああごめんね、こうしちゃうと危ない様子に見えるよね。安心してよ、気絶してるだけだからさ。」


そう言い終わらぬ内に男がしゃがみ込んで、倒れる女生徒の内の一人を抱き抱えて立ち上がる。

動揺のせいだろうか、それが先程まで賑やかに会話していた自分の友人であると、気付くのは随分と遅かった。

「西野…!」


「うん、この子に用事があってさ。」


「離せよ…西野を離せよ!」

その言葉をキッカケにした様に、身体が意思を取り戻した。喉を中心に氷が溶け落ちるような痺れが全身を伝う。

動ける、動けるぞ。


「僕さ、スーツが凄く好きなんだよね。人間を(かた)にはめる装置っていうのかな、魅力じゃない。」

平然と雑談を挟む様子も、男が平時の様相で犯行に及んだ事を物語っていた。


スーツ男が西野を少し離れた場所に運んで石垣にもたれた状態で座らせる。

「逆にさ、子供とか学生とか、苦手なんだよ。苦手と言うか、嫌いだね。僕が嫌いな無秩序を食べて育ってるみたいな、あの感じ。あの感じだよ。ああ、帰ったら直ぐに手を洗う事にするよ、こんな仕事。」


「なにを……ッ!!?」

(はや)い。

スーツ男が細身の癖に驚く程の身のこなしで瞬時に間合いをつめ、俺の目が驚愕に見開かれる。

反射的に右手を動かせたのは奇跡だった、飛び込んでくる男の左頬をめがけて拳を突き出す。


ぐるん。


と漫画でしか聞いたことのない効果音が耳に響き、視界が回転する。

俺は強烈な速度でコンクリートの地面に背中から叩きつけられ、声にならない呻き声を上げた。


何が。

俺の右ストレートは空を切り、その右腕の勢いを利用して反対側に投げられたのだ。そう遅すぎる理解が追いつく頃にはこれまた遅すぎる激痛に襲われる。涙混じりの視界で男を捉えながら必死に身体を起こそうともがいた。


尋常じゃない。身のこなしが尋常ではないのだ。


「ああ動くなよ、面倒臭い。暴れたってどうせ当たりゃしないんだ。」

全く息を荒げる事なく最初と変わらないトーンで男が言った。

投げられた反動で西野の側に転がった俺に近付いてくる。(こわ)い、(こわ)い、(こわ)い。


足が恐れで(すく)んでしまうのが分かった。動悸が酸素の供給を妨げる。

男が(おもむろ)に左手を此方(こちら)に向け、そのまま開けた掌を俺の顔に向けて突き出して…


「きゃあああ!」

と、男の背後の道、つまり俺がやって来た方向に中年の女性が立っていた。偶然角を曲がった所で倒れ込む女子生徒達を見つけてしまったのか、キィと耳に響く金切り声を上げている。

「ひ、人が!人があ!!」


スーツの男の顔に珍しく苛立ちが浮かぶのが分かった。ゆらりと振り返って叫ぶ女性に素早く歩みよる。


このタイミングしかない。頭と身体の両方が認識していた。

俺はまだ酸素が足りていない肺に鞭打ってガバッと上体を起こし立ち上がる、まだ男はこちらを見ていない。

西野を肩に担いで息を大きく吸い込んだ。


男は。小刻みに叫びながら挙動不審に慌てふためく中年女性の頭に左の掌をかざした。

途端、女性の目が大きく見開かれ、胴体がびくんと大きく跳ねる。一秒にも満たない硬直の後、不運な目撃者は糸が切れた人形のようにプツンとその場に倒れ込んだ。

男は()()()()()()()で女性を昏絶させたのだ。


場を的確に処理し振り返った男の顔に先程垣間見せた苛立ちは微塵も残っておらず、また平時の眠たげな顔に戻ってた。


しかしその視界に俺たちの姿はなく、少し遠くで離れていく足音が響くのみであった。


「…面倒だ。」

先程に倍する苛立ちが、男の顔に色濃く浮かんでいた。


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