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第1話「髙木 有馬」(17)

―――音が無い。

声がしないのだ。


あれ程(にぎ)やかに話していた西野と後輩達の方から、一切声が聞こえてこない。


距離が離れてしまうにしては早過ぎるし、初対面で失礼な事だが黙らせようとしても出来ないような連中ではないだろうか、失礼な事だが。


何とか論理的にならないかと頭を()ねて考える間にも違和感は増大してゆく。

ざわ、ざわざわ、と形容(かたち)にならない嫌な感触が胸の中に広がっていく。静か過ぎやしないだろうか。


気付けばいつのまにか周囲には誰もおらず、決して人通りが多い場所ではなかったがこんな時に限ってと苛立ちが増した。

形の無いモヤモヤとした違和感になぜこんなに揺り動かされるのかとやけに冷静な頭で考えるが、頭脳と切り離されたかの様に胸の(ざわ)めきは増す一方だった。


確かめよう、それが一番早いではないか。

西野達が入って行った路地を追ってみれば良いのである、何事も無ければ万事大丈夫で済むのだ。


自転車を道の脇に停め、右側の路地に入る。路地は少し行った所で左に折れており、車一台分程の道が続いている様だった。


路地を急ぎ足で駆け抜け、左に折れる曲がり角を目指す。

一目確認すれば良い、何もこんな昼間からそれも数人のグループで危ない目に会う(はず)などまずないだろう。


路地を抜けるまでの数秒がやけに永く感じる。なんだ、早くしろよ。ほら、直ぐそこにいるだろ。

曲がり角に顔を出して通路を見た。




―――はじめに見えたのはもう随分前に見飽きた女子の制服であり、続いて理解したのはそれを着た数人がコンクリートの地面に倒れ伏している事であった。


動脈が広がる感覚を覚えながら身体を完全に通路に出した時点でもう一つの事に気が付いた。


男が立っている―――。

会社員とでも言えば良いだろうか、少なくとも俺がイメージする商社マンの様な格好をした細身の青年が倒れ()す数人のソフト部部員達の丁度ど真ん中に屹立(きつりつ)していた。


俺の中で濃い(かすみ)の様だった違和感が形ある答を見つけてより強くなった。


ざわ、ざわざわ。


こちらに後ろを向けている為ハッキリと人相が確認出来ないが、どうやらまだ若いように見える。

やや濃いアッシュがかった髪に濃紺のノータックスーツを着込み、少し猫背の背丈の程は成人男性の平均位だろうか。


緩く癖のついた髪がゆらゆらと揺れている。どうやら倒れ込む女子生徒達の顔を確認している様子だった。


声が出ない。まだ男はこちらに気付いていない様だ、どうする。

西野達は無事なのか、倒れているのはあの男に何かされたのだろう、誰一人としてピクリとも動かないのは気絶しているのか。

人を呼ぶべきか、武器は持っていない様に見える。

大声を出せば誰かが駆けつけてくれるだろうか、しかし到着までにどう時間を稼げばいい。


ぐるぐるぐると様々な思考が頭を駆け巡る。

足は動かなかった、手も顔も目線すらも、まるで凍結されたかの様に固定されて動かない。

頭脳だけが()(まぐる)しく加速する。


何よりも恐ろしかったのは、明らかに異常な事態の中で誰よりもその男こそが最も"日常"を感じさせていた事だろう。

まるでいつものオフィスワーク、デスク上での作業を淡々とこなす様なそんな抑揚の無さが、男の存在を周囲から一層際立たせていた。


声を、声をあげるのだ。

発声どころか呼吸も止まってしまった身体に頭脳が命令するが、肺が受け付けない。

足を動かせ。気付かれない内に警察を呼んでしまうべきだ。

今いる場所は、学校を挟んで()ぐ反対側に交番が位置している。これこそ不幸中の幸いではないか。


と、そこで俺が通路に飛び込んでからの数秒の沈黙を破ったのはスーツの男の、この場に酷くそぐわない抜けた声であった。


「なんだ、まだひとりいたんだ。」


妙に落ち着いて優しい響きの声は、しかしながらこの場においては余計に俺の身体を強張(こわば)らせた。

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