第1話「髙木 有馬」(11)
青色の道路標識に"三ツ木市"の文字を見つけて下道へ降りる。
瀬川が向かっているのは、もう二十年も前になるがかつて中学生時代に住んでいた家がある小さな神社だった。
祖父が所有していたその神社は、祖父の逝去と両親の離婚から財政的に維持が難しくなり、完全に宮内庁に返還した後、今では市が派遣する管理人が交代で手入れをしている。
今日は週の真ん中の平日、神社に誰もいない事は織り込み済みであったが、瀬川の目的地は神社そのものとは少し違う所にあった。
『晒し辺の首塚』
かつて室町時代に幕府に仕えた武将の首塚というものが神社の敷地内にあり、祖父が毎日綺麗に掃除していたのを瀬川も覚えていた。
その武将は幼い頃から一族郎党、将軍に良く仕えた麒麟児であったそうだが、あまりの豪傑ぶりにその人気と力を恐れた主君自身によって殺されてしまったという話である。名前すら書物にも全く残っていない上、その話も口伝である様なので事実は分からないが、確かに首塚の社には言い知れぬ厳かな雰囲気が漂っていた。
しかし首塚には本当にとある不思議な能力がある事を、知っているのは今では瀬川ただ一人であった。
その社は、内に置かれた死体を食べるのだ。
食べる、とはもちろん比喩であるが、しかし社の中に運んだ死体が急激に腐敗するが如く跡形もなく崩れていく様は、まるで人を食らった化け物の腑の中を覗いたような、そんな悍ましさを感じさせた。
そしてもう一つ、首塚の社は食らった人間の知識をも食べて自分のものにしてしまうのである。
つまりは本人が知り得たどんな質問でも、首塚に問えば正しい答えが返ってくるのだ。
故に、瀬川に集まる依頼は殺しよりもその情報を知りたがるものが殆どであった。
撥の事だから「瀬川さんというのは大変残忍な方で、死ぬより辛い拷問にかけて情報を聞き出しているんじゃあないかと」などと依頼主に説明しているのだろう。
まだそこまでの年でもなさそうな痩身の青年が、いつも同じな鼈甲縁の眼鏡を指で押し上げながら少し楽しそうに出鱈目を述べる様子が容易に想像できた。
撥の奴は見た目こそ塾講師のアルバイトにしか見えない好青年で、実際に仕事の斡旋で話す時もまるで本当に勉強を教えられている気になってしまうのだが、いかんせん結構な頻度で溢れる毒舌がその風貌に何ともミスマッチで妙に違和感を覚えた。
こんな業界だ、いつか毒舌が元で殺されるのでは無いかと瀬川は踏んでいた。
しかしながら、瀬川は首塚の話を他人にした事はなかったし撥の方も、依頼を完璧にこなしてくれるのだからと特に詮索もしてこない。
ある意味線引きの上手い連中が集まる仕事だからこそ、実績と信頼以上に物言う要素がない、非常に分かりやすい業界だと言えるだろう。
ともかく、そんな首塚の秘密は祖父にも聞いたことはなく、いまや瀬川しか知らない秘密であった。
下道を三十分ほど北上していつもの神社にたどり着き、裏手の路地にセダンを駐車させた。
後ろのスライドドアを開き、後部座席に寝かせてある人間大の大きな塊を慣れた手つきで担ぐ。黒いビニール袋に包まれたそれを肩に抱えて瀬川は神社の敷居を跨いだ。
そう言えば今回の仕事は、これも珍しい事に単純な殺しの依頼だけだったなと、付け足すように思い出した。
しかし殺すだけの仕事であっても、死体が跡形もなく消えるという首塚の特性はまさにこの仕事にうってつけの優れた死体処理装置であった。
ふとこの謎多き男が何をしたのか、どういう人物だったのか、首塚に聞いてみようかとも思ったが、必要以上に情報を知って自身の感情に余計な負担をかけるべきでは無いと思い止まった。
知るべき事以外は知らざるべき事なのだと、瀬川は痛い程分かっていた。
そんな雑念を振り払いながら数ヶ月振りに開く首塚の不気味な程軽い扉を引き、瀬川はまだ仄かに暖かい気がする新鮮な死体を社に運び込んだ。




