ふたつ
1
毎朝私は、自分のためだけに丁寧に珈琲を煎れる。誰のためにでもなく自分のためだけにこれほど丁寧にすることが他にあるだろうか。
丁寧に丁寧に珈琲を煎れながら、私はまた彼のことを考えている。それは自然に無意識に。
彼の会話の時間軸は、過去と現在が入り混じる。少し前に勤めていた本当はずっとそこにいたかった会社のこと、中学生の時の陸上県大会記録の凄さ、海外で体験したハードボイルドな出来事、有名人と距離が近い話。
自分の「すごい」話。
それはものすごく遠い過去だったりするのに、彼はまるで今の出来事のように話す。そして今の話はしない。初めから感じていたその違和感が、もう彼に気を使わなくてもいいのだと自分を許した私にジワジワ攻め寄せる。その違和感をもう、ニコニコ笑って聞いてやることは出来なくなっている。会話が段々、成立しなくなる。
でも彼は私に、過去にこだわらず前を向いて歩いてほしいと言った。誰しも自分のことはわからないのかと想像する。そしてきっと、私もそうやって、自分のことなど棚に上げて彼をこっそり批判しているのだろうと知る。
3ヶ月前、彼に距離を置こうと言われたとき、たぶん私は本当に変われた。病気のように彼にぶつけ続けてきた気持ちを跳ね返されたとき、私は自立することができた。心底疲れて私に距離を置こうと言った彼と1ヶ月後に会ったとき、それでも彼を一目見て、ああ、この1ヶ月の間、彼も彼なりに思い悩んでいたんだなとすぐにわかった。彼の寂しげな表情が、また私の依存心をくすぐった。だから私は、私が彼と気持ちの良い距離感を模索している間、心の支えにしていたゲシュタルトの祈りを、少しだけ自分流に変えて暗唱する。
「私は、私のために生きる。 あなたは、あなたのために生きる。 私は、あなたのために存在するわけではない。
そしてあなたも、私のために存在するわけではない。 私は私。 あなたはあなた。 もしも偶然が2人の人生を、共に歩ませるなら、それは素晴らしいことだ。
そしてもしも、2人が別々の人生を歩んでいくとしても、それもまた、素晴らしいことだ。 誰かと共に歩む人生は輝かしく素敵だ。
そして独りでゆく人生もまた、輝かしく素敵なものだ。」
2
依存と愛情と、執着と優しさが錯綜する。どれが真実でどれがまやかしか見分けることができず振り回される。これが真実か?これが自分の本質かと絶えず立ち止まって見る癖がついた。それでもなお振り回されることの多さに最近は笑う。笑ってそれで、それらは笑えるほどに大したことではないのだとわかる。
大好きと大嫌いは対局にない。大好きと大嫌いは隣り合わせだ。ほんの一歩でいつでも、大好きにも大嫌いにもいける。彼に対する気持ちの波を見ていてそう感じた。それは、もはや彼に対する気持ちだけの話ではないのでは?と思う。良いことと悪いことも、善行と悪行も、仲良しと喧嘩も、全部そうなのではないかと。そして考える。じゃあ、それらの対局にあるものはいったい何なのだろうかと。
3
男になりたいと思ったことがあった。それは純粋に男になりたかったのではなく、女がいやだっただけかもしれない。
女同士のいざこざの渦からぬけだしたいがためだけに男ばかりの高校を選んで進学したとはっきり記憶している。男といるほうが気持ちがよい。
男ばかり友達をつくり男ばかりのなかですごし、男のようにしゃべった。そしてそれは自分が女であるということをはっきりと際だたせ、女であることを満喫し気持ちよくなるための作業であった。自分だけが特別扱いされることの、なんともいえない心地良さ。
「私も男だったらよかったのに」
という言葉をまわりの男は信じてほほえんで聞き
「お前、もう男みたいじゃん」
と私の頭をポンポン叩きながらずっと仲間だと身体で示した。
でもあいつだけは「お前は男にはなれないよ」といった。
そんな男はいない。お前は女だ、と。あいつだけは私のずるさや女々しさを見抜いていた。私が初めてセックスしたあいつだけは。そうだあいつは私が初めてブロウジョブした男でもあった。
あれから何人の男に出会っただろう。大抵の男は出会ったばかりのころは私を獲得しようと必死で、獲得したと認識するやいなやすぐにリラックスモードに突入し、また元いた自分の世界観を満喫しようとする。一生懸命送ってくれたメールも日に日に数が減り、耳元で囁いた愛の言葉もなくなっていく。毎回私は失望し気持ちが急速に冷める音を聞く。私が別れを切り出す時、男にとっては寝耳に水だったりする。なんで急に?この女はもう俺のものだと思っていたのに。心底安心していたのに。なぜだ?俺がなにをしたっていうんだ。
私は、いつも私に夢中でいてくれる男でないならいらない。愛の言葉をささやいて、いつも私を求めてくれる男でなければ。そしてその内容は、決して真実でなくてもいいのだ。ただ愛してる、君に会いたいという、定型文をコピーし私にメールを送り続けてくれればいいのだ。その労力が、私には愛情なのだ。その私に向けられるエネルギーを、私はいつも渇望している。
でも私は知っている。そうやって男から愛を欲しがっているかぎり、決してみたされることはないと。他人が、誰かが愛を与えてくれるのだと思っている限り、私に心の平穏が訪れることはないと。そしてまた、今の男で同じことを繰り返してしまいそうになっているということも。
4
彼に言われた言葉を引きずっている。彼は私が1人で子どもを育てていることをすごいとは思ってくれない。だから彼は身体が思うように動かなくて仕事がままならなかったり、娘が学校に行けなくなって仕事を控えていたことを、「女性も働くことに前向きになるべきなのでは?」と表現して私を非難した。
ものすごい正しさで放たれたその指摘が、私のプライドも我慢も努力も全て打ち砕くような感覚で心にささった。本当にグサリと音がした気がした。肉体を動かすのがままならないという感覚は、そうなってみなければ絶対にわからないのだという猛烈な反発が腹の底から湧き上がった。痩せていった私を見ても、具合は大丈夫なのか、無理をしているのではないかと、声をかけてくれたことはなかった。
それは彼が優しくないということではなくただわからないのではないかと、今は思う。自分の感覚と相手の感覚は違うものだとか、体力が落ち動けなくなるとはどういうことなのか、理解しようという気はないのだろうと。ようするに私に大して興味がないのだ。
そしてまた、ああ、私だ、彼は私だと痛感する。私も彼とまったく同じく、彼にまったく、興味がないのだと。




