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聖女からの手紙  作者:
9/19

九葉め


 こちらへ来てからもうすぐ十一年になろうとしてた、ある日。私はついに元の世界へ帰る方法を見つけた。

 万里眼でどれだけ探してもなかった現世への渡り方を、誰かがつい数日前に書き留めたメモに見つけたのだ。


 必要な条件は、三つ。

 ひとつは、そこに描かれた魔法陣を展開すること。それは私の万里眼の能力で、脳内に出してしまえば、さほど難しいことではなかった。

 ふたつめは、膨大な魔力を用意すること。それもまた、私の潤沢な魔力を持ってすれば易いことだった。

 けれどみっつめ――過去に百年以内に現世と繋がった場所で、術を執り行うこと。これが厄介だった。


 私が知る限り、エドアルド国の王宮のほかに、術を執り行える場所はない。

 それはつまり敵陣に乗り込むということで、なるべく避けたかった。


 万里眼を使って、他の場所を探そうとも考えた。

 だが、それには時間が圧倒的に足りなかった。私が現世に帰る方法を見つけたことで契約が解消され、床の紋章が消えたのだ。逆説的に考えれば、私が見つけたメモに書かれたこの方法は、確実に現世へと帰られるものだということだ。


 しかし同時に、紋章が消えたということは、エドアルド国からすれば井戸の水がせき止められたようなものだ。すぐに、私が逃げようとしていることに気づかれてしまうだろう。


 もはや一刻の猶予もなかった。

 私は万里眼の能力を使って頭の中で転移陣を展開すると、すぐに魔術を発動させた。


 そして、王宮の結界に引っかからない限界の地点まで転移した。


 十一年ぶりに外の世界へ出ると、そこは驚きに満ち溢れていた。

 どれだけ外の世界が音や匂いにあふれていたのか、すっかり思い出せなくなっていたのだ。やっと時が回り出したように、草の匂い、水の音、風の感触、忘れていたものがなにもかも蘇っていく。


 調節されていない外気は冷たくて、ぶるりとひとつ身震いした。


「早く、早く王宮へ行かないと……でも、どうやって?」


 逸る気持ちが、自然と口をついて出た。ひとりで会話をすることが、いつのまにか癖になっていたのだ。


「橋は……ないか」


 そのまま王宮へ歩いていくことは、残念ながらできなかった。

 大きな川が目の前に立ちはだかり、そこを渡らなければ王宮へはつかないのだ。

 エドアルド国は、他国から侵略されたとき、魔術が破られても物理的に阻むことができるような位置に、王宮を造ったのだ。


 夜も更けたころだったうえに、明かりになるものは持っていなかった。

 ほとんどなにも見えなかったけれど、眼前の川はかなり流れが早いということは、音から推測できた。とてもじゃないが、私に渡りきることができるものではない。


 だからといって、魔術も使えない。強すぎる力というのも考えもので、ここで私が魔術を使って川を渡ろうとすれば、すぐに余波が出て位置が特定されてしまうだろう。神殿の中だったからこそ、転移魔術を使えたのだ。川の前では、王宮を目指していることが明らかになってしまう。


 手を打ちかねているうちに、向こう岸に王宮の兵が連なっているのが見えた。私を探しているのだろう。


 いっそ戦うべきか、それとも隠れるべきか。

 決心がつかないうちに、彼らは火の矢をいっせいにこっちに向かって放った。

 あとからわかったことだが、それは狙い撃ちにした攻撃ではなく、神殿の周囲を炎の海で囲うつもりだったらしい。


 灯油をたっぷりと含んだ燃え盛る矢が、あちらこちらに落ちた。

 ひとしきり矢を放つと、兵たちは、次の場所へと移っていった。


 灼熱の炎に煽られた風が、肌を包んだ。

 あまりの熱さに、耐えきれずに叫んでしまった。すると喉さえも焼こうと、熱風が気管に入っていく。


 焦った末に、私は川に飛び込んだ。とりあえずそこにいれば、焼死することはない。そう咄嗟に思ったのだ。


 しかし、見えていなかっただけで、川の流れは荒れ狂っていた。

 あっという間に、私は足を取られて溺れた。もがくことも叶わないまま、口の中に大量の水が流れ込んできた。


 どう考えても、もうダメだった。だけど、諦めきれなかった。


 ――こんなわけのわからない世界で、死にたくない。


 どれだけ怖くて痛い思いをしても、身体中が痣と傷だらけになっても、私の居場所で死にたかった。


 急流に流されながらも、なにかにすがろうと腕を必死に伸ばした。


 そのとき、あり得ないことが起きた。誰かが私の腕を力強く掴んだのだ。


 しっかりと私を片腕に抱きとめたまま、誰か――その男は川の対岸へと進んでいった。どうやら、ロープを胴体に巻きつけてここへ飛び込んだらしい。それでも流れに逆らうのは楽ではないのか、水の力に押されてその男の胴体が軋む音と、かすかなうめき声が聞こえた。


 川からなんとか上がるまで、その男が渡りきることを祈りながら、私はしっかりとした胸板にしがみついていた。


 だが、ひとたび陸地へ上がってしまえば、その男は私の敵だった。


 この世界に私の味方はいない。だから敵に違いない。

 きっと私を生贄にするため、王宮へ連れて行こうとしているのだろう、そう判断したのだ。


 激しく咳き込み、水を吐き出しながら、隙をついて男を殺す方法を考えていた。

 なるべく結界の中で魔術を使いたくはない。私の膨大な魔力では、すぐに感知されてしまう。だから、懐にあるナイフを使うしかなかった。


 暗がりの中、襲いかかろうとナイフを握ったとき、ふいに光が灯った。男が魔術を使ったのだ。


 浮かび上がった顔に、私は息を呑んだ。


 深い菫色の神秘的な瞳。研ぎ澄まされた月のような静謐な美貌。

 私を助けた青年は、私が想像したシヨウの十九歳の姿そのもの――いや、想像を超えて美しかった。


「シヨウ……?」


 疑問形になったのは、あまりにも私の知る彼――精巧な人形のように綺麗で従順なシヨウ――から、目の前の青年かけ離れていたからだ。


 水の滴る漆黒の艶やかな髪を鬱陶しげに掻き上げる仕草には、どこか荒っぽさがあった。薄手の服が水を含んで張りついた、彫刻のように均整な筋肉のついた胸板が、乱れた息に合わせて上下していた。


 女性の本能に訴えかけるような、そんな強烈な魅力がその姿にはあったのだ。


「現世うつしよに帰るんだな」


 シヨウは、率直にそう聞いてきた。

 その声にはなんの感情もなく、ただ事実を確認するためのもののように感じられた。


「帰るよ。そのために王宮へ行く。邪魔するなら、シヨウとは戦うことになる」


 ゆるくかぶりを振ったシヨウは、「邪魔立てする気はない」とはっきり否定した。


「王宮へ行くなら、案内が必要だ。いまなら兵も出払っている」


 相変わらず言葉足らずなのには呆れるが、味方をしてくれるつもりらしいというのはわかった。


 確かにいまなら私を探しに兵を動かしたところだろうし、王宮はもぬけの殻だ。だが、


「おかしいでしょ。なんでシヨウが助けてくれるの?」


 端正な顔立ちに、シヨウはあからさまに苛立ちを露わにした。

 ずいぶんと感情を表に出すようになっていたので、素直に驚いた。瞼を閉じれば、あのなにを言っても小さく頷いていたシヨウが浮かんでくるというのに。


「信用できないなら」


 そう言葉を区切った瞬間、シヨウの足元に紋章が現れる。


 複雑な魔術を使う時には、大抵の人間は魔法陣を描いてそのうえで発動させる。しかし、修練を積んだ魔術師ならば、構造を理解している魔法陣を頭の中で描き、床に転写させることができる。

 私の万里眼が非常に強力な能力である理由も、いちいち魔法陣を覚えずとも、いつでも頭の中に展開させることができるためだ。


 しかしそんなものに頼らずとも、なんの魔術をシヨウが描いたのかは、簡単に読み取ることができた。


 忌々しいまでに見慣れてしまった、その紋章は――契約魔術の印だ。


「あなたが帰ることができなければ、俺の存在は消滅する」


 呆気にとられて、声も出なかった。

 契約魔術は絶対なのだ。どうやっても、覆すことはできない。だからこそ、規格外の力を持っていた異世界の人間でさえ、抵抗できなかったのだ。


「シヨウ、おまえ、なにを考えているの……」


 シヨウは返事をせずに、傍に置いてあった剣を持ち上げると、腰に巻き付いていたロープを切り落とした。

 痛々しい傷が見えて、思わず私のほうが呻いた。縄に締め付けられ肌が裂けてしまったのか、服に血が滲んでいた。シヨウは顔をしかめた私を一瞥すると、魔術を使い、傷口を塞いだ。


「時間がない。ユリ、行こう」


 逞ましい腕に引き上げられ、歩かされる。

 ともすれば転びそうになる足場の悪い道を、シヨウは私を支えながらしっかりとした足取りで先導していった。


 ユリ、行こう――か。

 粗雑な口調になったものだ。それにさきほど、シヨウは自分のことを”俺”と呼んでいた。


 ふいに、なんだか全然知らない人間が前を歩いているように感じた。


「なんかいまのシヨウ、可愛くないな……」


 半分は嘘だ。可愛くはないが、目を離せない色香はあった。

 嫌味のつもりでいったが、シヨウは黙々と歩いていくばかりだった。


 本当に知らない男のようだと思った。

 だけど、時々ちらりとこちらの様子を確認してくる紫の瞳を見ていると、やっぱりシヨウなんだな、とどこか安心した。

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