三葉め
次に目が覚めた時、あれは聖女になるための儀だったのだと教えられた。私の部屋には、あの朱色の紋章が床に大きく浮かび上がっていた。
そこから二ヶ月、私は夢のように幸せな日々を送った。
豪奢なドレスや、眩い宝石、大輪の花束、国中からの贈り物で私の部屋は埋め尽くされた。
魔術で創られた使用人たちによって、常に綺麗に磨き上げた神殿。それが私の新しい家だった。気温も私のために調節され、塵一つない清廉な空間では、体を崩すことはまったくなかった。
神殿で使われる湧き水は、この世でもっとも清廉なもの。その水を使って洗った私の髪や肌は、日増しに人間離れした輝きを持つようになった。
食事は、いつも私の舌に合ったものが運ばれてきた。過去に他にも日本から召喚された女性がいたらしく、シェフは東洋風の調味も心得ていた。
私は、万全の警備の施された神殿の中だけで暮らした。
エドアルドの反乱分子の間者から、聖女はもっとも狙われるらしく、外出は厳禁だったのだ。
驚いたことに、聖女の役目といえば、ただそこにいるだけでよかった。
特に意識せずとも、それで聖域が張られ国が浄化されているらしい。不思議なことに、私もまた、自らが力を使っているのだと、どこかで感じることができていた。朱色の紋章に魔力を流し続けているのが、心臓から伝わってくるのだ。
外に出ずとも、神殿のなかの生活は刺激に満ちていた。
私の護衛として、これまた見目麗しい七人の男性が選ばれたのだ。
そのうち四人は、最初の日に私を囲っていたメンバーのなかでも年若かった青年たち。
ここから先には、私が初めの一ヶ月のうちにつけていた日記に書かれていた印象を、参考のため記しておこうと思う。
ひとりめは、人望厚く優秀な王太子のジュード。
太陽の御子と二つ名をつけられるだけあって、輝かんばかりに美しく、聡明で、優しかった。
たった十五歳とは信じられないほどに大人びていて、世の中を達観した目で見ていた。王族たる厳格な品格を纏う彼は、けれど同時に物語の中から抜け出してきた王子様のように甘い魅力も持っていた。
私が家に帰りたいと泣いてしまった時は、いつもぎゅっと抱きしめて、落ち着くまで背中を撫でてくれた。
王族公爵家の嫡男のフィリップは、怜悧で冷たそうな美貌の持ち主だった。
最年長の十九歳なだけあって、常に落ち着き払っていた。物をひとに教えるのがうまく、魔道具の使い方がわからなかったりするときは、いつも彼に聞いた。冷たそうな外見とは裏腹に辛抱強いところがあり、私がつまらない話をしてもおとなしく付き合ってくれた。そして最後には、そっと微笑みを口に刻んで私を優しく見つめてくれたのだ。
それから、王宮騎士であるノラン。
ジュードの幼馴染で専属の騎士でもあるという彼は、王宮騎士という特別な位を最年少の十六歳で授けられていた。なんでも武術に特別長けた者だけがもらえる称号で、エドアルド国には二十人ほどしかいないらしい。精悍な整った顔立ちのノランは、いつもお兄ちゃんぶるのが好きだった。
「ユリ様」とか「聖女様」などと私を呼びながらも、よくその鍛え上げられた腕で抱え上げて、遊んでくれた。
最後に、辺境伯の第二子のアーネスト。
私と同い年の十四歳の彼もまた、ノランと同じで、王宮魔術師という称号を歴代最年少で持つ天才だった。
童顔の愛らしい顔立ちに、ハニーブラウンのふわふわの髪。魔術師としての誇りをなによりも大事にしていて、大きな翠の瞳はいつも知識への渇望で輝いていた。私のいた世界にとても興味を示していて、質問ぜめに私をしては、ジュードに諌められていた。
あと三人は、後から護衛として選ばれたものらしい。
侯爵家の嫡男であり魔術家見習いのアーサー。
アーネストの弟子と紹介されたが、十二歳のアーサーの方がアーネストより大人びて見えることが多々あった。人見知りなのか、最初は私のことを快く思っておらず、いつも警戒心を露わにしていた。けれど一週間も経てば一番私に懐くようになり、少年っぽいやんちゃな笑みを端正な顔に浮かべた。
よくふたりでいたずらをしては、いっしょにみんなに叱られた。子どもらしさに溢れた彼だったけど、時折なにかを私に言いかけては、悲しげに遠くを見つめていた。
公爵家の第四子でノランの従騎士のギルバード。
私より四つ下の十歳の男の子だけれど、とてもしっかりした子だった。あくまでもビジネスライクな関係のアーネストとアーサーと違い、ギルバードは絶対の忠誠をノランに誓っていた。最初は聖女という私に対しても大げさに萎縮して、緊張しきって、いまにも気絶しそうだった。嫌われているのかと思っていたけど、ノランから聞くところによると、実は部屋に帰ってからは失礼な態度をとったと泣いていたらしい。
次第にアーサーにつられてか私と仲良くなり、特技なのだと恥ずかしそうにいって、お茶を入れたりお菓子を焼いてくれたりした。
それから、亡国の皇子だという紫陽だ。
シヨウ、とみんなには呼ばれていた。たった八歳の彼を見たとき、そのあまりの美しさに、私はこの少女(と勘違いしたのだ)こそが聖女なのではと焦ったものだ。
極東の国がエドアルドに下ったと同時に、シヨウは公爵の位を授けられたのだという。シヨウはほとんど喋らず、命ずればなんでもやったけれど、普段はぼんやりと虚空を見つめるばかりだった。
だから彼について語ることがあるとすれば、それはぞっとするくらいに綺麗な顔立ちだろう。
言葉ではとても形容できないほどシヨウは美しかったけれど、いうなれば彼は月光に照らされる白染めの花のようだった。私がそれまで想像することさえできなかったような美貌で、彼の中性的で神秘的な顔を見るたびに、これこそが美の完成形なのだと確信させられた。
三人は、おそらく先に紹介された四人にくっついて選ばれたのだと思われる。
この世界の貴族は、騎士か魔術師としての技術を磨くために、他の貴族に師を仰ぐのが通例だったのだ。だから、護衛の任についているのは、実質年上の四人だった。
出会って一ヶ月も経たないというのに、彼らのほとんどは驚くほど私に対して好意的だった。
これ以上ないほどに愛おしげに見つめられ、手を取られ、愛を囁かれる。
そんなことが毎日当たり前に起きた。
私は段々と、そもそもどうしてこんな素敵な場所から帰りたいのか、雲がかったように思い出せなくなった。
そんなハーレムの中での私のお気に入りは、やっぱり格別に華やかな美貌を持つこの国の王太子――ジュードだった。
彼だけは公務のせいで常に私の傍にいられるというわけではなかったが、帰ってくるといつもおしゃれなプレゼントを渡してくれた。ジュードは話をするのも上手く、どうしたら女性を飽きさせないかをよく心得ていた。
なにより、彼の見た目が好きだった。
あの日ベッドの上で目を覚ましたときから、ジュードの輝く金色の髪に私は目を奪われていた。それに、彼の蜜を煮詰めたかのような甘い瞳は、元の世界の誰も持っていない美しいものだった。
隅々まで洗練された彼の所作のひとつひとつを見ているだけで、一日中飽きなかった。
二番目に好きだったのは、ノランだった。
燃え盛る炎のような赤髪の騎士――ノランは、よくジュードと小さなことを賭けて競い合った。
例えばそれは、どちらか勝ったほうがその日の私のドレスを決められるだとか、ふたりきりでお茶を飲めるだとか、そういったことだった。
精悍な顔立ちのノランが、私のために主人であるジュードと剣技で競う。
それだけで、なんだかお姫様にでもなったかのような気分だった。